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永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

ブラフマランドラは、生と死の門

前回は、クンダリニーについて、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ラージャ・ヨーガ」よりご紹介させて頂きましたが、

今回は、スワミ・ラーマの「聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」より、クンダリニーおよびアートマンの座であるブラフマランドラについて、ご紹介いたします。

 

前回併せてご紹介させて頂きましたナーナさんのクンダリニー覚醒体験を克明に記述された「突然私がアセンションした記録」の中の文章に、

「体の根底から頭頂に向かって、何か強い力が高速スピードで登って行き、」とは、仙骨神経叢辺りに眠っているとされるクンダリニーシャクティ)が、スシュムナー管を上昇し、

「頭頂のてっぺんの蓋が ポン↑っと音を立てて勢いよく何処かへ吹っ飛んで行きました!」とあるのは、このブラフマランドラ(サハスラーラ・チャクラ)が、突然開いたことを指していると思われます。

 

正に、スワミ・ラーマが、ヨーギーとしての体験を語っていらっしゃるそのものを、ナーナさんは体験されたことになります。

 

それでは、このクンダリニーの目覚めが、何を意味するのか?について、スワミ・ラーマの著書に書かれていることから、紐解いてみましょう。

 

 

『ヨーガの達人は、死からさらに多くのことが学べることを発見しました。

死は単なる永遠への魂の旅における必要な休止ではありません。

それは、人の意志で使うことができる通路であり道具なのです。

これを理解するために、再びカタ・ウパニシャッドに戻ります。

ヤマは、体を王宮と呼びました。

王はアートマンです。

ヤマは、王宮への 11 の門を述べました。

この門のうち 7 つは感覚的なものである、 2 つの眼、 2 つの耳、 2 つの鼻孔、 1 つの口です。

さらに 3 つの門は、臍と生殖器官と排泄器官です。

最後の門は、通常は知られていない器官ですが、脳の中央にあり、頭頂に位置する泉門であるブラフマランドラと呼ばれているものです。

それは、アートマンである王の座であり、永遠の座なのです。

この座より、アートマンはすべての随行者である、心、知性、知覚器官、全体の感覚を支配し、命令します。

最初の 10 の門はこの世の生への通路です。

ブラフマランドラは、神聖で永遠なる生への入り口です。

普通の人の場合は、生命力は、特にその人の最も強烈な願望の座であった 10 の門のいずれかを通って離れていきます。

完成されたヨーガ行者は、 11 番目の門を通って離れていきます。

ウパニシャッドは、違いを強調し、これらすべての門の王はアートマンであると強調しています。

アートマンは、仕えられるべきものであり、そのやり方は、知性や心、感覚をコントロールすることにより、 11 の門における活動を制することなのです。

ヨーガ行者は、これらの入り口をコントロールする方法や、アートマンを発見し仕える方法について知っています。

彼らは、生まれ変わりの神秘を理解するために、ブラフマランドラを使うことを学んでいるのです。

永遠の世界と永遠の生への入り口が、十分に統制されると、そのとき、この世の生と永遠の生との間のつながりが理解されます。

死の惨めさと死に伴う恐れの大きな苦しみは、消滅します。

感覚、思考の波、心と体のエネルギーを含む人間を構成するすべての要素が調和するとき、アートマンは現れます。

死は、体の習慣です。

どんな化学的な構成が似た体でも、変化し滅び、死ぬことになっているので、同じ体で永遠に生きる人はいません。

必ず死ぬことになっているものにしがみつくことは、恐れと惨めさを作り出します。

その執着は、自然であり物質的な面だけに焦点を合わせる人々により分かち合われます。

彼らは、全体に気付いていないので、苦しむのです。

サマディにおいて最終的に最高点に達する瞑想は、この体にしがみつくことからの自由を約束しています。

瞑想を通して、 11 の門のコントロールは達成されます。

そのとき、人は心、体、魂への自制力を持ち、全体に気づくようになります。

瞑想の技術には宗教的な教義はありません。

ブラフマランドラは、アートマンとの合一のときにのみ、開きます。

そしてその合一は、心の中に変動がなく、願望もなく、恐れも執着もない超越状態であるサマディを通して可能です。

サマディという単語は、答えられないどんな疑問もなく、解決されないどんな神秘もないというサマヒタンを意味します。

同時に、心のおしゃべりは消え、すべての言語は忘れられます。

このような状態では、心はじっと考えたり、深く考えたりする方法はありません。

これは、心が永遠の超越した知性の黙想に同化している心の栄光ある状態です。

ヤマは、不死の領域が達成され、アートマンが悟られるサマディの状態を述べました。彼は言いました。

〝すべての感覚が器官から退き、静かになったとき、心が静寂になり静止し、思考が心を乱さないとき、その状態で、アートマンの栄光は悟られ、至福が地平線に現れ出す。

それが、サマディの状態である〞サマディの最高の状態は、全く死とは似ていません。

死が無知の暗闇における経験である一方で、サマディは悟りの状態です。

サマディにおいては、人は完全に意識的ですが、死においては、意識はありません。

通常の人にとって、死は長くて深い眠りなのです。

魂は、死後、心に執着したままです。

しかし、個人は深い眠りにいます。

自覚はありません。

ヤマは、ナチケータに語りました。

サマディとは〝死の状態ではない。それは物質的、精神的な世界の領域を超えた単一性であり、同一性である〞

関係性の世界においては、魂は 3 つの異なる状態を経験します。

目覚めている状態、夢見ている状態、深く夢のない状態。

トゥーリヤとして知られる 4 つ目の状態においては、アートマンは魂の 3 つの門の超然とした目撃者としての本質にあると言えます。

深い眠りの状態の間、魂はすべての苦しみと痛みから自由を楽しみますが、トゥーリヤにおいては、それはすべての他の状態から、完全に離れていることを経験します。

超越意識であるトゥーリヤは、サマディと同意語です。

サマディと深い眠りの違いは、表面上はほとんどありません。

深い眠りは喜びの状態ですが、人はそれに気づいていません。

サマディにおいては、ヨーガ行者は、至福の状態に完全に気づいています。

それは、アートマンから引き出された直接体験なのですが、他のどんな方法を通しても推測することはできません。

サマディには、 2 つの種類があります。

形があるものはサヴィカルパで、形のないものはニルヴィカルパです。

サヴィカルパ・サマディの間、ヨーガ行者は、自分自身の肉体的精神的な状態とプロセスを、それらは彼には属していないのですが、見ます。

彼は、完全に切り離されています。

これは、思考者、対象物、そして(思考の)意味すべてが、この状態の間、現在に在るため、サヴィカルパ・サマディと呼ばれます。

ニルヴィカルパ・サマディにおいては、人はすべての執着から自由です。

この深い状態では、思考の意味と対象物は、存在しません。

知っている者のみが存在します。

ニルヴィカルパは、ヨーガ行者が永遠なる至福と溶け合い、アートマンである真の自己と融合している最高の状態です。

サマディの経験は、述べることができません。

なぜならば、思考、言葉、行いを超えた他に類を見ない状態だからです。

人間は数えきれない束縛に縛られています。

サマディが達成されると、探求者は永遠に自由になります。

これは、死のないヨーガ行者の永遠の住居である最高の状態です。

死後の生は、死の境界が超越される状態であるサマディに到達した人々により、正に今生のここで経験されることができます。

生の知られた部分は、 2 つの点である誕生と死の間に引き伸ばされている線です。

人の存在の大部分は、これら 2 つの知られた点を超えては、不可知であり不可視なのです。

通常の人は、死と呼ばれる移行についての知識がありません。

しかし、悟った、あるいは、熟達したヨーガ行者は、この世とあの世を理解しています。

11 の門をコントロールすることを学んだ人々は、何があの世であるかを知っており、その知識は、彼らに生だけでなく死への勝利をも与えます。

この勝利した人々は、死の気まぐれには従属していません。

彼らは肉体を脱ぎ捨て、自分自身で決めたときに、自分自身のコントロールの下で死にます。

彼らは、意識的に11 番目の門であるブラフマランドラを通過します。

この門を通ることを知っている人は、この世を彼が知っているのとまったく同じように、あの世について知っていると言えます。

もはや、この世とあの世の間にはどんなヴェールもありません。

熟達したヨーガ行者は、いろいろな方法で、体を脱ぎ捨てることを学びます。

私たちは、ここでは、通常の死を横に置いておいて、死ぬという行為に立ち向かう別のやり方があるということを単にわかってもらうために、いくつかのヨーガ行者の古典的な技法について、少し触れておきます。

ヨーガ行者によって使用されている〝死ぬ〞という一般的な単語は、マハー・サマディです。

サマディは、人類により到達可能な静寂の最高の状態に対する単語です。

マハーは、偉大な、という意味です。

ヨーガ行者は、死と同じくらいシンプルに、人生の終わりを死というより、体を脱ぎ捨てる、もはや必要なくなったものを手放す、という言い方をします。

 

ナチケータは、意識的に体を手放す技法について説明されました。

ヤマは、彼にすべてのナディ、あるいは体のエネルギー通路のうち、最も重要であるのがスシュムナであると説明しました。

スシュムナは脊柱の中央を通り上へと流れます。

スシュムナを通して、クンダリニーという霊的なエネルギー、あるいは神聖なる力が流れます。

スシュムナは自由のキーポイントです。

死の際に、スシュムナに入ることができる人は、人生の最高のゴールであるブラフマンに到達します。

他のすべての道は生まれ変わりの道です。

体を離れるために、ヨーガ行者は、クンダリニーという眠っている蛇の力を目覚めさせ、このエネルギーはスシュムナの通路に入ります。

それは、眉間の間の 2 つの花弁の蓮の花であるアジナ・チャクラまで上がります。

ここでヨーガ行者は、プラーナとして死の超越知られる体の他のすべての生命エネルギーを集め、コントロールします。

彼は、自分の意識を現世的な存在感や感覚、 5 つの下位のチャクラから引き出します。

彼は、アジナ・チャクラに、それから次第に、クラウン・チャクラであるサハスラーラに向かって集中します。

頭頂に集中している間、彼は泉門を通り体を離れ、最終的に絶対的ブラフマンの領域まで上ります。』

(聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く  スワミ・ラーマ)

 

 

この文章からも、魂の最終の目的地に到る道とは、クンダリニーが目覚めることで、ブラフマランドラが開くこと、と言えるかと思います。

 

そして、このクンダリニーを目覚めさせるために、プラーナヤーマがその準備段階で、ひと役買っていることは明らかです。

 

プラーナヤーマとクンダリニーについては、今回までにして、次回は、上位チャクラについて、詳しく見ていきましょう。

 

 

 

クンティーの息子よ

どのようにしてこの完成の境地に達するか

円満完全なるブラフマンに達するかを簡単に話して聞かせよう

 

正しい知性(ブッディ)を通じて清純となり

固い決意によって自己の心を制御し

感覚的快楽の対象を退け

物事に愛憎の念をもたず

 

静かな場所に住み

小食にして体と心と言葉を抑制し

常にヨーガに余念なく

世事に煩わされず

 

我執 力 物欲 誇りを捨て

情欲と怒りから離脱し

所有意識を持たず常に平静である人は必ず

ブラフマンと合一し至上完全の境地に到る

(バガヴァッド・ギーター第18章50-53)

 

 

 

クンダリニー覚醒されたナーナさんのサットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨさんの個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促されます。

 

☆自己変容したい、真理を体得したい、束縛から解放されたい、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい方々のために、ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与るサットサンガ、個人セッションが開催されています。

詳しくは、ナーナさんの公式ホームページをご覧下さい。

サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。

(シャクティプラーナによるシャクティパータは、サットサンガに6回以上参加した後、ナーナさんの個人セッションにて受けることができます)

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)