プラーナヤーマとは?
前回の記事で、呼吸をコントロールすることを、日本語では、呼吸法、調気法と言っていますが、ヨーガの世界では、プラーナヤーマと呼ばれている、と書きました。
このプラーナヤーマとは、ラージャ・ヨーガの8段階ある内の4段階目です。
(第1段階は、ヤマ(禁止事項)、第2段階は、ニヤマ(推奨事項)、第3段階は、アーサナ(坐法)となっています)
それでは、このプラーナヤーマとは、一体、何のことを言っているのでしょうか?
現在、多くのヨーガ教室に通って、ヨーガを実践している人たちの中でも、プラーナヤーマを実践している人は少ないと思われます。
それは、現在教えれているヨーガは、アーサナ(坐法)を中心としたハタ・ヨーガが主だからと考えられます。
(日本のヨーガ・インストラクターの方々の多くは、ハタ・ヨーガの先生であることが多いです)
プラーナヤーマは、ラージャ・ヨーガにおける第5段階以上に上がるために、
また、チャクラで言うと、第4チャクラのアナハタ・チャクラより上位のチャクラを目覚めさせるために非常に重要だと思われますので、詳しく見てみましょう。
それでは、ラージャ・ヨーガの視点から見た「プラーナヤーマ」について、聖ラーマクリシュナの高弟でいらっしゃいましたスワミ・ヴィヴェーカーナンダのお言葉から、ご紹介させて頂きます。
『本題にもどり、つぎにプラーナヤーマ、呼吸の制御にうつります。
それが心の力の集中と何の関係があるのでしょうか?
呼吸は、このからだという機械のはずみ車のようなものなのです。
みなさんは大きな機械で、はずみ車がまずうごき、そのうごきがつぎつぎにより精妙な部分へとつたえられ、
ついにもっとも繊細な装置がうごくのをごらんになるでしょう。
呼吸はそのはずみ車であって、このからだの中のあらゆるものに、原動力を供給し、またそれを調整しているのです。
あるとき、ある大王につかえる大臣がいました。
彼は王の不興をこうむりました。
王は罰として彼を非常に高い塔のいただきにとじこめるよう命じました。
大臣はそこで、死ぬのを待つことになりました。
しかし彼は忠実な妻を持っており、彼女が夜、塔の下にきて夫をよび、たすける方法をたずねました。
彼は彼女に、つぎの夜、一本の長いロープと、丈夫なより糸と、荷造り用の糸と、絹糸と、一本のカブト虫と、そして少しばかりのハチ蜜とを持ってこい、と命じました。
たいそう不思議に思いながら、善良な妻は夫の命じるままに、これらの品を持って塔の下にきました。
夫は彼女に、カブト虫に絹糸のはしをしっかりとむすびつけ、それのつのに一滴のはち蜜をぬりつけ、それを塔のかべにそって上をむけてはなせ、と命じました。
彼女はこれらすべての指示にしたがい、カブト虫は長い旅に出発しました。
それはハチ蜜のにおいをおってひたすらのぼりつづけ、ついに塔のいただきに達しました。
大臣はそれをとらえ、絹糸のはしを手にしました。
彼は妻に、糸の別のはしを荷造り糸にむすびつけるよう命じ、それをひきあげて手にすると、つよいより糸で、つぎにロープでおなじ動作をくりかえさせ、ついにロープのはしを手にしました。
そのあとはらくなものでした。
大臣はロープをつたって下におり、逃亡しました。
われわれのこのからだの中で、呼吸運動は「絹糸」です。
それをつかみ、それを制御する方法を学ぶことによって、われわれは神経のながれという荷造り糸をつかみ、これからわれわれの思いという、丈夫なより糸を、そして最後にプラーナというロープをつかみます。
それを制御することによって、われわれは自由を得るのです。
われわれは自分たちのからだについて何もしりません。
知ることができないのです。
せいぜい、死体をとりあげてバラバラに切ることができるだけです。
生きているけものをとらえて、からだの中でおこっていることを見ようとそれをバラバラに切ることのできる人はいます。
それでも、われわれ自身のからだのことは何もわからないのです。
われわれは、それについてはほとんど何も知りません。
どうしてでしょうか。
われわれの注意力は、内部でおこっている非常に精妙なうごきをとらえるにたるほどの識別をしていないからです。
われわれは、心がもっと精妙になって、からだの中にいわばもっと深くはいったときにはじめて、それらを知ることができるのです。
精妙な知覚を得るためには、もっと粗大な知覚からはじめなければなりません。
エンジン全体をうごかしているものをつかまなければなりません。
それが、呼吸としてもっともはっきりとあらわれている、プラーナなのです。
ですから、われわれは呼吸とともに少しづつからだの中にはいって行くことによって、もろもろの精妙な力、すなわちからだの中枢全体をうごいている神経のながれについて、知ることができるのです。
それらを知覚し、感じることを学ぶやいなや、われわれはそれらを、そして肉体を、制御することができるようになるでしょう。
心もまた、これらさまざまの神経のながれによって動かされます。
ですからついにはわれわれは、肉体と心を完全に支配し、両者を自分の召使いとする境地に達するでしょう。
知ることは力です。
われわれはこの力を得なければなりません。
ですからわれわれはまずプラーナヤーマ、プラーナの訓練からはじめるべきです。
このプラーナヤーマは長い主題でして、十分に説明するには数回の講義が必要でありましょう。
われわれは、順をおってそれを学ぶことにしましょう。
人間の肉体の中でこのプラーナがもっともはっきりと現われるのは、肺の活動で、もしそれがとまるなら、原則として、肉体の中の力の他のすべての現われはただちにとまるでしょう。
しかし、この活動がとまったときにも肉体は生きつづけるように、自分を訓練することのできる人びとがいます。
自分を何日間か土にうめ、それでもいきをしないで生きていることのできる人びとも、いくらかはいます。
精妙なものに到達するためには、より粗大なもののたすけを得なければなりません。
そうして、目的を達するまで、もっとも精妙なものにむかって、そろそろとすすんで行くのです。
プラーナヤーマは実は、肺のこの運動を制御することなのです。
そしてこの運動は呼吸とつながっています。
呼吸がそれを生み出しているのではなく、反対に、「それ」が呼吸を生み出しているのです。
このうごきが、ポンプのはたらきをして、空気をすいこむのです。
プラーナが肺を動かし、肺の運動が空気を吸いこむのです。
ですから、プラーナヤーマは呼吸ではなく、肺臓をうごかす、その筋肉の力を制御することです。
神経をつたわって筋肉へ、そして筋肉から肺臓へとでてゆき、肺臓をある形にうごかすその筋力が、プラーナであり、それをわれわれは、プラーナヤーマの実習によって制御しなければならないのです。
プラーナが制御されるようになりますと、われわれはただちに、体内のプラーナの他のすべての活動が、徐々に支配下にはいってくることを知るでしょう。
私自身、からだのほとんどすべての筋肉を支配する人びとにあったことがあります。
またそれは当然でしょう。
もし私が自分のからだのある筋肉を支配することができるなら、すべての筋肉と神経を支配することができないはずはありません。
どうして不可能だなどと言えますか。
現在は支配はうしなわれ、運動は自動的になっています。
われわれは自分の耳を意のままにうごかすことはできません
しかしけものたちにはそれができる、ということは知っています。
われわれは使わないから、それをうしなったのです。
これは、先祖がえりと呼ばれるものです。
また、われわれは、潜在的になった運動は表面にもどすことができる、ということを知っています。
きびしい努力と修練とによって、もっとも奥ふかくにかくれている、肉体のある運動が完全な支配下にとりもどされるのです。
このように考えて行くと、そこには不可能はなく、反対に、肉体の各部分は完全な支配下におくことができるものである、ということがわかります。
このことを、ヨーギーはプラーナヤーマによっておこなうのです。』
(ラージャ・ヨーガ スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)
プラーナヤーマについて正しく理解することは、非常に重要な鍵だと思われますので、次回も、もう少し詳しく見ていきましょう
ヨーガを行ずる人は全ての執着を捨て
体と心と知性を用いて
様々に活動し 仕事をするが
それは ただ 自分を浄化するためである
(バガヴァッド・ギーター第5章11)
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