永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

クンダリニー(シャクティ)の目覚めは、霊性の目覚め

前回の記事で、ブラフマン(神)とシャクティは(力)は同じものだと書きました。

 

そして、このシャクティ(力)は、人体にも宿っていて、それをウパニシャッドでは、”クンダリニー”と呼んでいます。

 

今回は、この人体に宿る”神の力”である”クンダリニー”について、聖ラーマクリシュナのお言葉をご紹介することで、理解を深めていきたいと思います。

 

 

「その心の力、その大現象力(マハーマーヤー)が二十四の存在原理(五大要素(土、水、火、風、空)、我執(アハンカーラ)、理解力、気(未発の活力)、十根(五官の受動両面)、心、五官の対象(色声香味触)になっていらっしゃる。

わたしがいつか瞑想していたら、心がさまよい出て、ラクスの家に行ってしまった!

ラスクは道路掃除人(カーストでは、賤民の職業)だ。

わたしは自分の心に、『このウスノロ、ここに居ろ』と言いきかせた。

大実母(マー)が見せて下さったんだよ。

――あの家の人たちは仮にあんな状態で遊んでいるだけで、あの人たちの中にもちゃんとクンダリニーがあり、六つのチャクラもあるんだ、と!」

 

「イダー、ビンガラ、スシュムナー

――どの蓮もスシュムナーのなかにあって、それは霊意識に満ちているんだ。

蝋でつくった木のようなもので、枝も葉も実も、みんな蝋でできている。

ムーラダ―ラ(第一チャクラ)の蓮にクンダリニーシャクティがある。

四弁の蓮だ。

アディヤシャクティ(根源エネルギー)がすべての人の体のなかにクンダリニーという形で宿っていらっしゃるのだ。

蛇がトグロを巻いて眠っているようにね!

“眠れる蛇の形して蓮の底にぞ住み給う!”

信仰のヨーガによって、クンダリニーはものすごい速さで目覚めるんだよ。

これが目覚めないかぎり見神はできない。」

 

「わかっていると思うが、卵の中のヒナが充分大きくならないと、母鳥は殻を壊さない。

時が来れば鳥の卵はかえる。

だが、少し修行をすることは必要だ。

グルが何でもして下さるが――。

でも、最後のときは少し修行をさせる。

大きな木を伐り倒すとき、回りをほとんど切ってから、ちょっと脇へ退いて立っている。

すると、木はモリモリ音をたてながら自然に倒れる。

溝を掘って水を引くとき、さいごにごく僅かの部分を掘り残して脇に退いている。

すると、残った土は水を吸いこんで自然に崩れ、河の水がサラサラと溝に流れこんでくる。

我執、制限(ウパーディ)、こういったものをみな放して捨てたら神様にお会いできる。

“私は学者だ”“私は何某の息子だ”“私は金持ちだ”“私には身分がある”

――こういった制限(ウパーディー)を捨てると神が見える。

神は実在、他はみな無常なもの、世間ははかない空しいもの、これが識別だ。

識別ができなければ教えの核心はつかめない。

修行をつづけていると、あの御方の恵みによって成就する。

少しは苦労もしなけりゃならんよ。

その後で、悟りと歓喜がわがものになるんだからね。」

 

「智識、智識とくり返すだけでどうなるものかね?

智識を得た特徴(しるし)が二つあるんだよ。

第一は熱中すること。

つまり、神様が大好きになることだ。

ただ、智識、智識と分別ばかりして、神に対する愛が芽生えない場合は、その智識は間違いだ。

も一つの特徴(しるし)は、クンダリニーの力が目覚めること。

クンダリニーが眠っている間は智識は生じない。

坐って本ばかり読んで、あれこれ頭で考えているだけでいて心に情熱がないようなのは、智識の特徴(しるし)じゃない。

クンダリニーの力が目覚めると、バーヴァ、バクティ、プレーマが生じてくる。

これこそバクティ・ヨーガだ。」

 

「そうそう、わたしの魂(アートマン)は三昧に入って、大空(マハーカーシャ)(純粋意識)を鳥のように翔っている、と誰かが言ったね。

いつか、リシケシのサードゥがここに来た。

その人が、『三昧には五種類あるが、あんたはその全部を経験している』と言ったよ。

蟻のような動き(霊気が上がる状態)、魚のような動き、猿のような動き、鳥のような動き、蛇のような動き――この五つだ。

霊気(マハーヴァーユ)が上がるとき、蟻がジリジリと這い上がるような感じのときもあるし、ある三昧状態のときは、法悦の海の中で真我の魚がスイスイと気持ちよく泳ぎ戯れている感じだ!

時には横に寝ているとき、霊気(マハーヴァーユ)が猿のようにわたしを押したりして楽しく遊びまわっている。

そんなとき、わたしは黙っているんだ。

するとその霊気は、猿みたいにヒョイとサハスラーラに飛び上がるんだよ!

わたしが、”ギクッ”として跳び上がることがあるのは、そんなときなんだ。

それから鳥のように――こちらの枝からあちらの枝へ、あちらの枝からこちらの枝へとーー霊気が飛び移るんだよ!

それが止まったところは火が燃えるような感じになる。

そして、ムーラダーラからスワディスターナ(第二チャクラ)、スワディスターナから心臓へというようにして、だんだんと頭まで上がってくる。

あるときは、その霊気は蛇のような感じで上がっていくーーくねりながらね!

蛇みたいに這って、しまいには頭までいくと三昧(サマディ)に入る」

 

クンダリニーが起きないと霊性は表れない。

ムーラダーラにクンダリニーは眠っている。

霊性が目覚めると、その御方はスシュムナーの管を通って、スワディスターナ、マニプーラ(第三チャクラ)と上がり、さいごに頭の頂上にとどく。

それを霊気の通過(うごき)と言って、さいごに三昧に入るんだよ。

ただ本を読んだだけじゃ霊性は目覚めないよ。

あの御方を呼ばなけりゃだめ――。

一生懸命に心の底から求めればクンダリニーは起きて下さる。

話を聞いたり本を読んだりしただけの智識なんて!

ーーそんなことで悟れるものかい!」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

聖ラーマクリシュナのお言葉から、見神する、ブラフマン智を得る、真我(アートマン)が目覚める、など、所謂、霊的な体験と言われているものは、

実は、この”クンダリニー”の目覚めである、ということがわかります。

 

ナーナさんは、このクンダリニーシャクティの目覚め(上昇)を数回、短期間の間に経験されました。

 

そして、最後には、完全智を得られ、今は、アヴァターラ(神の化身)として、

私たちのムーラダーラに眠っているアディヤシャクティであるクンダリニーが目覚めるようにと、神の御力であるシャクティプラーナを使って下さっています。

 

クンダリニーが目覚めなければ、本当の意味で、”見神”したとは言えません。

つまり、自己の本性を悟った、ということにはならないのです。

 

これについては、スワミ・ラーマも同じようなことを自らの著書『聖なる旅ー目的をもって生き 恩寵を受けて逝く』に書かれていますので、次回詳しくご紹介させて頂きます。

 

 

 

☆ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与り、

自己変容したい人、真理を体得したい人、束縛から解放されたい人、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい人は、

こちらのナーナさんの公式ホームページをご覧頂き、サットサンガへご参加下さい。

サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)

 

 

 

 

十分な確信をもって一歩また一歩と

知性(ブッディ)に導かれてサマーディの峯に昇れ

そして心をただ一つ真我(アートマン)に固定し

ほかの一切を思うな 考えるな

 (バガヴァッド・ギーター第6章25)