宇宙根源の力、シャクティについて
前回の記事で、ナーナさんは、アヴァターラ(神の化身)として、
神が人間に化身して、このリアリティの次元に現れて下さっている、ということを書きましたが、
今回は、何故、そのような大胆なことが言えるのか?
そして、ナーナさんは、どのように、私たちの”尊い自己の本性”であるアートマン(=真我)に気づかせて下さっているのか?について、少しだけご紹介させて頂こうと思います。
ナーナさんが個人セッションでやって下さってるのは、シャクティパータと言うものですが、
これは、サンスクリット語で、シャクティは”力”を表し、パータは”授ける”を意味し、
シャクティパータは、文字通り、”力を授ける”という意味になります。
それでは、シャクティとは、どのような”力”でしょうか?
それは、一種の強力なエネルギーなのですが、如何せん、私たちは、エネルギーを目で見たり、感じたりすることができません。
エネルギーが光を発する時にのみ、目で確認することができますが、
例えば、動力源、光源としての電気から、放射能や電磁波など、五感で感じることがほとんどできないエネルギーに囲まれて生活していますが、
それほど身近でありながら、大抵の人は、目に見えないエネルギーについて考えたことも、感じたこともない、というのが現状でしょう。
シャクティというのは、宇宙を在らしめている力であり、聖ラーマクリシュナは、こう仰っています。
『ブラフマンである御方が根元造化力(アディヤシャクティ)だ。
無作用のとき、あの御方をブラフマンと呼んだりプルシャと言ったりする。
創り、保ち、壊すとき、あの御方をシャクティとかプラクリティとか呼ぶ。
プルシャ(精神、男性原理)とプラクリティ(質料因、自然、女性原理)だ。
プルシャである御方がプラクリティなんだ。
どちらも歓喜の権化だよ。』
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
つまり、シャクティとは、創り、保ち、壊す”力”、創造の力ということになります。
シャクティは、力そのものですが、動きが生じると、それは、プラーナとなります。
分かり易く譬えると、シャクティとプラーナの関係は、”火”と火の”燃える性質”との関係に似ています。
両者は、切り離しては考えられません。
しかし、プラーナは、いろいろな意味で使われることが多い単語なので、
ナーナさんから放たれているのは、シャクティプラーナ(宇宙創造の根元力)ということになります。
プラーナに関する更に詳しい説明は、後日することにして、
ナーナさんが、シャクティプラーナを、私たち一般人にも、理解できるように、五感で捉えられるものとして現して下さいましたので、ご紹介させて頂きます。
下にUPしました写真の上3枚は、ナーナさんが、シャクティプラーナをクリスタルに入れて下さり、
そのクリスタルをお水に入れて沢山の小さな気泡が生じたところを撮影したものです。
4枚目の写真は、ペットボトルのお水に、直接シャクティプラーナを入れて頂いたものです。
シャクティプラーナを充填したクリスタルをお水にしばらく入れておくと、数時間で、お水に小さな気泡が生じます。
そして、お水の味も変化しており、どのようなお水でも驚くほどおいしくなっています。
更に、このお水を飲むことで、多くの人にいろいろな変化が起きています。
シャクティプラーナの入ったお水に関する報告は、ナーナさんの公式ブログ『すべては本質の流れのままに』(http://ameblo.jp/premagrace/)の過去記事の中で、幾つか紹介されています。
主に、病気が良くなったことや、奇跡的なことが起きたこと、など、多くの体験談が寄せられていることから、シャクティプラーナの人智を超えた力を知ることができます。
シャクティパータは、このシャクティプラーナを、全身に流して頂くことですが、
これが、どういうことを意味するのか?については、また後日、ご紹介させて頂きます。
(現在、シャクティパータを受けることができるのは、個人セッションのみです。
また、お水は、サットサンガに2回目以降に参加された場合に、お水を持参すると、シャクティプラーナを入れて頂けます(有料)。
お水はどんなものでも構いませんが、ペットボトル(2リットルまで)2本までとなっています)
☆ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与り、
自己変容したい人、真理を体得したい人、束縛から解放されたい人、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい人は、
こちらのナーナさんの公式ホームページをご覧頂き、サットサンガへご参加下さい。
サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)
サットワ ラジャス タマスから成る
あらゆる状態の自然界万有は
すべてわたしのエネルギーから現象する
だがわたしはそれではなく わたしのなかにそれがあるのだ
(バガヴァッド・ギーター第7章12)