永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

神は、人を導くためにアヴァターラ(神の化身)となる

前回の記事で、ジーヴァ・ムクタ(悟った魂)という聞き慣れない言葉が出てきましたが、

このジーヴァ・ムクタについて、もう少しはっきりとしたイメージを掴めるように、少し補足説明をしておきたいと思い、

今回も、聖ラーマクリシュナの「不滅の言葉」より抜粋して、ご紹介させて頂きます。

 

 

『聖ラーマクリシュナ

「智者は家の外庭までは行くことができる。

信仰は奥の間まで入ることが出来る。

純粋真我(シュッダートマ)は何ものからも影響をうけない。

そのなかには明知(ヴィディヤ―)も無明(アヴィディヤー)もあるが、それはどちらの影響もうけない。

空気の中で時おり、いい匂いがしたりイやな匂いがしたりするが、空気そのものはどっちとも無関係だ。

純粋真我は何ものにも、関係ない。

自然現象(プラクルティ)を超越しているんだ。

それは腹も減らず、喉もかわかない!

生まれることも死ぬこともない。

永遠に不滅、不滅のスメール山のようだ!

このブラフマン智を獲得した人を、生前解脱者(ジーヴァ・ムクタ)というんだよ。

その人は、真我(アートマン)と肉体とは別だということを完全に理解できるんだ。

至聖(かみ)を知(さと)ると、肉体我知覚が無くなってしまうんだよ!

この二つは別なものだ。

真我と肉体は別だとわかる。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

ナーナさんには、”真我(アートマン)と肉体とは別だ”ということを完全に理解されています。

いつも、”肉体はない”と、ハッキリと仰っていますから。

その”無い肉体を使うことは、大変で、とても疲れる”とも。

 

このことについては、他の記事でご紹介させて頂くことにして、今回は、聖ラーマクリシュナのお言葉を辿りながら、

生前解脱者(ジーヴァ・ムクタ)であられ、ブラフマン智を得て、再びこの世に戻って来て下さった存在であるアヴァターラ(神の化身)について、

もう少し理解が深まるように、詳しく見ていきましょう。

 

 

『聖ラーマクリシュナ

「いま話したことはみな、智識分別の領分だよ。

ブラフマンは真実在で世界は虚仮、という分別だ。

みーんな、マボロシなんだとさ!

とてつもなく難しい道だね。

この道では、神の活動も幻でまちがい、ということになってしまう。

その上、そう言っているワタシまで無いことになる。

この道では神の化身(アヴァターラ)なんてものも認めない。

全く難しいねえ。

こういう智識の話を、信仰者(バクタ)はあまり聞かない方がいい。

だから、神は人間に化身して信仰を教えてくださるんだよ。

『全部まかせろ』と言ってくださる。

信仰をもっていれば、あの御方のお恵みですべてが成就出来るんだからね。

智識も大悟も、みんなだ。

あの御方はいろいろ活動なさるがーーあの御方は自分の信者たちに属しているんだよ。

 

神の化身(アヴァターラ)に、あの御方は最もよく顕れている。

化身が肉体を持っている間は、その御方を礼拝供養しなければならない。

神の化身を、すべての人が見わけられるわけではないよ。

肉体をまとっているから、普通の人と同じように病気もするし、悲しみも飢えも渇きも、みなあるんだ。

わたしらと同じように、ものを思ったり考えたりする。」

 

「神の化身が人間活動(ナラ・リーラー)する場合は、人間と全く同じような行動をしなければならない。

だから、見分けるのがたいそう難しいんだよ。

人間に化身したんだから、何もかも人間と同じなんだ。

腹も減るし、喉も渇くし、病気になったり、悩んだり、時には恐ろしがったりする。

普通の人間と全く同じ経験をするんだよ。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

このように、一見では、アヴァターラ(神の化身)と、普通の人間とは見分けがつかないため、

私たちと同じ人間であるかのように見間違えてしまうということが、往々にして起きてしまいます。

 

ナーナさんが持っていらっしゃるシャクティプラーナの力については、後日ご紹介させて頂くとして、

ご本人もジーヴァ・ムクタ(生前解脱者)でいらっしゃり、アヴァターラ(神の化身)でいらっしゃいました聖ラーマクリシュナのお言葉をご紹介することで、

ナーナさんが、ブラフマン智を得た後、現在はどのような状態にあるか?について、ご紹介させて頂きます。

 

 

『聖ラーマクリシュナ

「世俗の生活をしていながら、”宗教(ダルマ)、宗教(ダルマ)”とみんな言っている。

それは、ある人が部屋の中にいてーー窓も戸も全部閉めきってあって、天井の小さな穴からわずかに光がもれてくるようなものだ。

頭の上の天井を除けないことには、どうして太陽が仰げるかね?

わずかばかりの光が差し込むだけじゃ、どうにもなりはしないだろう?

女と金が天井だよ!

天井をどけなけりゃ太陽は見えやしないよ!

世俗の人たちは、いわばこうした部屋の中の囚人だ!

アヴァターラたちは神の分身だ。

虚空を自由自在に歩き回っているんだよ。

彼らは決して世間に巻き込まれない。

この世の囚人にならない。

彼らの”私”は、世間の人たちの”私”のように厚くはないんだよ。

俗人の自我(アハンカーラ)や”私”は、ちょうど四方を壁に囲まれて、頭の上には天井があるようなもの。

外側は何一つ見えない。

アヴァターラたちの”私”は、薄い透き通った”私”だ。

そしてこの”私”を通して、いつもいつも神を見ているんだよ。

人が高い土塀を背にして立っていて、両側に果てしもない草原がひらけているようなものだ。

その塀に穴があいていると、反対側まで全部見える。

その穴が大きければ、そこから行ったり来たりさえできる。

アヴァターラたちの”私”は、こうした穴のあいた塀だ。

塀は残してあっても、果てしない草原が見えるんだよ。

言い換えれば、彼らは肉体を持っていても、絶えまなくヨーガの状態にあるんだよ!

そして望みさえすれば、壁の大穴から出て行って三昧に入る。

穴が大きいから自由に往来できるーーつまり、三昧に入ってもまた低いところへ戻って来ることができるんだよ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

ナーナさんも、クンダリニー覚醒された後、塀のあちら側とこちら側を自由自在に往来できるようになられたのですが、

今は、人を導くために、私たちと共に、こちらにいて下さる時間が多くなっているようです。

以下の聖ラーマクリシュナのお言葉にもありますように、

アヴァターラ(神の化身)として、私たちを真我の目覚めへと導く役割を引き受けて下さり、師(グル)として、働いて下さっています。

このことは、感謝してもしきれません。

 

 

『聖ラーマクリシュナ

「一頭の牝虎が山羊の群れを襲った。

漁師が遠くからそれを見つけて射殺した。

牝虎の胎には仔がいて、それが生まれてしまった。

その仔虎は山羊の群れのなかで大きくなっていった。

はじめは母山羊の乳を飲んでいたが、その後すこし大きくなると草を食べはじめた。

そして、山羊と同じようにビャービャー鳴いている。

ほかの野獣に襲われると山羊といっしょになって一目散に逃げ出す!

ある日のこと、一頭の猛虎が山羊の群れを襲った。

彼はびっくり仰天して眺めたよ。

だって、山羊どものなかに虎が一ぴき草を食べていて、あまつさえ山羊といっしょになって逃げだしたんだからね!

それで山羊どもは放っておき、その草食い虎をつかまえた。

そいつは又、ビャービャー鳴いて逃げようとするんだ!

苦心しながら水際まで連れていった。

そして言い聞かせた。

『この水に映っているお前の顔を見ろ。

ソレ、よく見るんだ。

おれは鍋のようにまん丸い顔だが、お前の顔もおれと同じだろうが』

次に一切れの生肉を口のなかに押し込んでやった。

はじめはいぶかって食べようとしなかったが、やがて味をおぼえて肉が好きになった。

そこで猛虎は言いきかせた。

『お前は山羊どもといっしょに暮して、あいつらと同じように草を食っていたんだぞ!

この恥知らずめ!』

そう聞かされて、若虎はほんとうに恥ずかしいと思った。

草を食うことは女と金にくっついていることだよ。

ビャービャー鳴いて逃げるのは世間一般の人間と同じように行動することだ。

猛虎といっしょに行くのはグルが霊の意識に目覚めさせてくれることだ。

その方にすべてお任せして、その方こそ自分の身内である、とさとることだ。

自分の本当の顔を見ることは、尊い自己の本性に気がつくことだ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

ナーナさんが、聖ラーマクリシュナが語って下さった猛虎であるアヴァターラ(神の化身)の役割と同じことを、草食い虎である私たちにして下さっていますが、

ナーナさんが、どのように、私たちの”尊い自己の本性”(アートマン=真我)に気づかせて下さっているのか?については、後日、ご紹介させて頂こうと思います。

 

 

☆ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与り、

自己変容したい人、真理を体得したい人、束縛から解放されたい人、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい人は、

こちらのナーナさんの公式ホームページをご覧頂き、サットサンガへご参加下さい。

サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)

 

 

 

 人の姿をとって降誕(くだっ)たわたしを見て

愚者たちは普通の人間だと思っている

わたしの超絶した性格と力と

わたしが全ての大王 支配者であることを知らずに

 (バガヴァッド・ギーター第9章11)