アートマン(真我)への道は、永遠の至福への道
「アートマン(真我)は、人間の真の本性である」と書きましたが、
そのことは、知識(頭)で理解するのではなく、体験を通して悟られなくては、真にわかったとは言えません。
”ミルクは、その話を聞くだけでは知ったことにならず、見ただけでもまだ十分ではなく、飲んで初めてミルクを知ったことになる”と聖ラーマクリシュナは語っています。
それでは、今回は、アートマン(真我)について語っている聖ラーマクリシュナのお言葉をご紹介させて頂きます。
アートマン(真我)こそが、人間の真の本性である、とヴェーダ聖典には書かれています。
先ずは、アートマン(真我)とは、どのようなモノか?について知らなくては、一般人が、それを見て、そして体験していく、というプロセスには発展しにくいでしょう。
聖ラーマクリシュナ
『チャイタニヤ様には三つの境地がおありだったーー
第一は外の境地ーーこのとき粗大なもの(粗大体)や微細なもの(微細体)に心が向いていた。
第二は半外半奥の境地ーーこのときは心は原因体に入って、その歓喜に浸っていた。
第三は深奥の境地ーーこのときは心は大原因に引き込まれていた。
ヴェーダンタの”五つの鞘”と、これはとてもよく一致するんだよ。
粗大体というのは物質鞘(食物鞘)と生命鞘(プラーナ鞘)にあたる。
微細体はつまり、精神鞘(意思鞘)と覚智鞘(理智鞘)にあたる。
原因体は歓喜鞘だ。
大原因は五鞘を超越している。
大原因に心が入ると、つまり三昧だ。
これはニルヴィカルパサマディ(三昧)とかジェダサマディ(三昧)と呼ばれている。
チャイタニヤ様は、”外の境地”のときは称名したり讃神歌をうたったりなすった。
”半外半奥の境地”のときは信者たちといっしょに踊りなすった。
”深奥の境地”のときは三昧にお入りになった」
「アートマン(真我)は肉体ではないという証拠は何でございますか?」
聖ラーマクリシュナ
「しょうこ?
神は見えるんだよ。
修行をすれば、あの御方のお恵みによって見神できるんだ。
リシ(賢者)たちはアートマンを直視なすった。
サイエンスでは神の実体を知ることはできないよ。
あれはただ、コレのなかにアレを混ぜるとこういうものになる、アレとソレをいっしょにすればコレができる、というようなすべて感覚でとらえられることがわかるだけーー。
だから、科学を理解する知性だけでは、それ以上の問題を覚ることはできないんだ。
サドゥ(行者)と交わることだ。
医者について歩き廻っていると、いつの間にか脈の抑え方がわかってくる。
行が必要だよ。そうすりゃ本質がつかめる。
聖典の文章を暗記しても何にもならん。
シッディ、シッディ(お神酒)と口で言うだけじゃ酔いはしないだろ。
シッディを飲まなけりゃだめだ。
神を見る話を人に分からせることはできないよ。
五つの子供に、夫婦間の歓びの話を分からせることはできないだろう?」
「おっしゃる通りでございます。
・・・・ときに、真我発見は、どんな方法で出来るものでしょうか?」
聖ラーマクリシュナ
「真我を見る方法は一心不乱になることだ。
見も心も言葉もいっしょになって、あの御方に届こうと努力することだよ。
胆汁が多くなると、黄疸にかかってあらゆるものが黄色に見える。
黄色以外はどんな色も見えなくなる。
お前たち役者のなかで女の役ばかりしている者は、女のような性質になるものだよ。
女の子ことばかり考えていると、気持ちの態度も女のようになる。
それと同じように、夜となく昼となくあの御方のことばかり考えていると、あの御方自身の性質が自分のものになるんだよ。
心をある色に染めると、そっくりその色になる。
心は洗濯屋にある衣類だ。
先ず心を清め、その次に神への思いに向けておく。
そうすりゃちゃんとその色になる」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
アートマン(真我)を探求していく道を辿る人は、極少数かもしれませんが、
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「この本を読み理解し実践することで、アートマン(真我) への長い旅を短縮することができます。
それは叡智への近道であり至福に満ちた道です。
アートマンは実在であり永遠の歓びです。
アートマンは、真の実在であり、永遠の至福なのです」
というお言葉を心に留め、共に、永遠の至福への道を歩んでまいりましょう。
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わたしが至上主であると知る者は
迷わぬ者であり 全てを知る者である
アルジュナよ 彼は全身全霊をもって
わたしを礼拝し わたしに仕えるのだ
(バガヴァッド・ギーター第15章19)