神秘への扉
このブログで書かれていること、これから書かれることは、そのほとんどが、一般的な常識では判断し得ない、理解し難い神秘の領域に関することです。
ですから、信じられない、バカバカしい、そんな筈はない、頭がおかしいんじゃないか?などと思うのは、一般的な反応であり、
それはそれで、常識人として当たり前の反応なので、そう感じることに何も問題はありません。
むしろ、そういう反応をする人の方が、圧倒的に多いというのが当たり前だと思います。
しかし、人間卒業である”解脱”を目指し、生と死の仕組みを知り、この世とあの世の仕組みを知ることにおいては、どんな常識も全くと言って好いほど、役に立ちません。
それは、この世とあの世の間には、目に見えない壁があり、エゴの目からは、向こう側が見えないようになっているからです。
完全覚醒者であられるナーナさんも、同じようなことを仰います。
「エゴだけが、真の本性(アートマン)と自己とを分けています。
エゴが取り除かれると、真の本性(アートマン)が姿を現します」と。
それでは、何故、人は、自分の真の本性を悟る必要があるのでしょうか?
それは、それを望む人だけが求めればよいのであって、万人に共通の目的とは言い難いようにも感じます。
実際、ご紹介しているインドのウパニシャッドの文献の中で、特に哲学的にも純粋性の高い叡智として語られている部分は、アーラヌカヤ(森林書)と呼ばれています。
何故、「森林書」と呼ばれているかと言うと、
<その内容が非常に聖なるものであり、秘儀的であり、神秘的であり、危険であるために、人の住む村落では伝えられない学ばれるべきではないがゆえに、森林の中で一人きりになった上級のヴェーダ学生にのみ伝えられるべき文献、そのような学生により学ばれるべき文献>という意味なのだそうです。
つまり、このブログで取り扱っている内容は、”聖なるものであり、秘儀的で、神秘的で、危険である”のです。
ですから、それなりの準備が整った人にしか興味を持たれないことでしょうし、
また、そのような準備ができた人にのみ向けた内容となっているはずですし、
また、そのような準備ができた人のみが、理解していくことができるものだと言うことになります。
それは、神秘への扉は誰にでも開かれていますが、その扉の向こうに行くことができる人は、ごく限られた少数の人であることを示しています。
このブログに書かれていることは、人生を生きる上で、ほとんど役に立たないことばかりです。
ですから、より良く人生を生きたいと思っている人は、このブログを読んでも何の役にも立たないでしょう。
ですが、これを人間卒業のための奥義として理解しようとする人には、多くの恩恵がやって来ることでしょう。
それは、まずは、ヴェーダ聖典のウパニシャッドの考え方につながることで、智慧という恩寵がやって来ます。
そして、智慧がやって来ると、次に、師という恩寵がやって来ます。
ナーナさんがされていることへの理解が深まるので、ナーナさんが、いかに正しい師、真の師であるかを理解することができるようになるでしょう。
エゴの目で見ている限りは、形ある神の恩寵を信じ、それに与ることができないのです。
それでは何故、このような人生を生きるのに全く役に立たないようなブログを通して、
何を伝えようとしているのか?また、それは何のためなのか?
また、どうして、ナーナさんが、サットサンガを通して、私たちを最終的なゴールである私たちの本性、真の自己であるアートマンと出会えるように、私たちを導かれようとしているか?ということですが、
それは、3月末に発売のスワミ・ラーマの「聖なる旅-目的をもって生き、恩寵を受けて逝くー」の中のこの一文に書かれていますので、ご紹介させて頂きます。
『死なないものを選びなさい。
それが神秘への解決法です。
アートマンが答えなのです。
挑戦はアートマンを見つけることです。
この世のものは、楽しまれるようになっています。
それらは永続しないので、それらに執着することは賢明ではありません。
この世のものを楽しみなさい。
それからそれらを行かせなさい。
それらにあなたの人生を通過させなさい。
人生のすべてを抱擁し、人生のすべてを理解しなさい。
しかし、智慧をもってそれを成し、叡智に向かって動きなさい。
この世の生は目的ではなく、手段なのです。
うまく人生を生きることは、技術です。
それは智慧だけでなく、勇気をも必要とします。
〝この人間の永遠でない現実への束縛は〞とシャンカラは言いました。
〝武器によって、風によって、火によって、あるいは何万という行動によって破壊されることはない。
叡智の鋭い剣以外のものは、この束縛を切断することはできない。
それは識別力により鍛えられ、神聖なる恩寵を通して、心の純粋さにより作られる〞
人生は、短く特別です。
対象物と誘惑の鼠籠の中のここで、あなたの時間を浪費してはなりません。
楽しみを追い駆けないことです。
霊的な成長のためにこの世のものを使いなさい。
それが、人生を選択するということです。
ゴールはアートマンです。
ウパニシャッドのメッセージは、ただひとつが在る、ということです。
すべてはひとつです。
この世のものに対して願望を持つことは、ひとつを多くに変えます。
ヤマはナチケータに語りました。
〝多くを見て、ひとつを見ないものは、死から死へと彷徨う〞
選択とは、神か富か、永遠か一時的か、ひとつか多くか、アートマンかこの世の願望
か、ということです。
ひとつの選択は、永遠の生であり、他の選択は、死から死を意味します。
それが奥義なのです。』
(聖なる旅 -目的をもって生き、恩寵を受けて逝くー スワミ・ラーマ)
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わたしだけが その享受者である
このわたしの実相を知らぬうちは
生物は輪廻転生をくりかえすのだ
(バガヴァッド・ギーター第9章24)