永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

アートマンはブラフマンなり(梵我一如)

前回の記事で、アートマンとはすべての存在の本質である、と書きました。

 

「本質」とは何でしょうか?

 

どの存在にも共通する普遍的な部分、と解釈することができると思います。

 

すべての物質は、元素からできています。

数種類の元素が集まって、個体である物質を構成しています。

 

アートマンは、それらのすべての元素に共通なモノであり、それなしには、物質が存在できないモノと考えるとイメージしやすいと思います。

 

”それ”はただ一つであり、”それ”はすべての存在の本質ゆえに、目に見えないモノも含む物質的な存在は、”それ”なしには存在できません。

 

その”ただひとつ”を、私たちはアートマンを通して悟ることができる、と言うことが言われています。

 

『内側に居住するアートマンの永遠の本質は、ウパニシャッドの中心的なテーマです。
これは死の神秘の秘密であり、生を理解するための鍵です。

神はすべてに浸透し、私たちの生命の命である魂に生命力を吹き込んでいるアートマンです。

アートマンは永遠に存続し、不変であり、故に死ぬことはありません。

滅びるものだけが死なねばなりません。

滅びるものは、不滅なるものの発見における道具として仕えるためだけにそこにあ
ります。
死ぬのは、この世の次元を訪問する際に、魂の覆いを提供している外観である体です。
内側の自己は影響を受けないままです。

それは永遠なる存在なので、死にませんし、死ぬことができません。
バガヴァッド・ギーターは述べています。

〝彼は非顕現であり、思考の対象ではない、そして不朽だと言われている。それ故、彼を知れば、あなたは誰かのことを嘆き悲しむことはない〞

 

大望を抱く人は、最初に、アートマンからその人格的な一時的な面を理智的に識別しなくてはなりません。

人の真の本性は、心でも感覚でもなく、アートマンなのです。
アートマンは、習慣、願望、恐れの層の下に隠れています。

これらの習慣や思考はあまりに堅固に身を固めているので、アートマンを認識する前に、集中力と瞑想の訓練で、層を貫通しなくてはなりません。

瞑想は心の散乱したすべての力を集め、アートマンに至る心を切り通すことができるひとつの強力な剃刀のような力で、それらを寄せ集める手段なのです。
アートマンを感覚を通して悟ることはなく、また、学びや神聖なる教えを通して発見することもできません。

微細で、深く、そして永遠であるアートマンは、心を浄化する集中力と瞑想の訓練を通してのみ現れます。
瞑想は、探求者を、習慣、願望、恐れが生きている感覚と限られた心の層を通過させ、
不滅であるそれと対面することになるサマディの超越意識の状態に導きます。

アートマンが悟られると、探求者は、一時的なこの世の状態である苦しみや喜び、哀しみや惨めさを超越します。

アートマンがいるところには、死は近づくことができません。

アートマンは絶対的な存在の王国であり、永遠の王国であり、私たち内面の深さと同じ程度に離れているだけなのです。』

(聖なる旅 -目的をもって生き、恩寵を受けて逝くー スワミ・ラーマ)

 

そして、カタ・ウパニシャッドでも

 

『人が明知をもたず、思慮を欠き、常に不浄であるならば、彼は目標に到達することはなく、輪廻に陥る。

他方、明知を有し、思慮をもち、常に清らかである人は目標に到達し、再び(輪廻の生存に)生まれることはない』(カタ・ウパニシャッド

 

解脱のための決定的な要件は、<明知>ということになります。

ウパニシャッドの指し示す明知とはアートマンブラフマン、すなわち梵我一如という知に他なりません。

 

ブラフマンとは、この宇宙で唯一の存在である”ただひとつ”のことです。

 

つまり、

 

アートマンが答えです。私はアートマンです。あなたはアートマンです。

私とあなたはアートマンなのです。それが答えです。』

 

この文章は、

 

私もあなたもブラフマンである と言っているのです。

 

そして、この知を得た人は、人間を超えた存在が自分であるという明知に至ったことで、人間を超えます。

 

自分が完全に自由な存在であったこと、始めからそうであったこと。

本来は、この善悪、幸不幸という二元世界を超えた永遠の至福の世界の住人であったことを完全に思い出した人は、肉体が滅んでも、不死なのです。

 

『このアートマンは教示によっては得られないし、知恵によっても、多くの学習によっても得られない。』(カタ・ウパニシャッド

 

それでは、どのようにしたら、私たち人間は、解脱への鍵を握っているこの五感では感知し得ないアートマンを悟っていくことができるのでしょうか?

 

 

 

個々に分かれて存在するように見えるが

かれは決して分かれず常に一(ひとつ)である

かれは万生万物の維持者であるが

一切の絶滅者であり 創造育成者である

(バガヴァッド・ギーター第13章17)