永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

アートマン(真我)こそが答え

「わたしは誰か?」

 

この問いへの答えは何でしょうか?

 

ナーナさんが具体的に教えて下さろうとしているその問いへの答えは、スワミ・ラーマが「聖なる旅」の中で語っていることと同じです。

 

それでは、その部分だけ抜粋して、ご紹介いたしましょう。

 

 

「創造の古い物語は、天国の後、すべての星、地球、空気、水、空、そしてすべての地
上と海の生物が作られ、神は人間を創造したと物語っています。

最初の人間が目覚め、初めてこの世の生を意識するようになったとき、彼は湖や川や山や森、飛び跳ねる魚、飛ぶ鳥、たくさんの種類の動物たちを見渡しました。

彼は何も言いませんでした。

彼は天国や太陽、月、何万もの星の宇宙の大いなる暗闇に向きました。

彼は静かでした。そのとき、彼は神を見ました。彼は静かでした。

彼が彼の周りの彼自身である創造主を含むすべてを理解したとき、地上におけるこの最初の人間は最後に自分自身を見て言いました。

〝私は誰なのか?〞彼は神にでさえ〝あなたは誰なのか?〞とは尋ねませんでした。

彼の最初の言葉、彼の最初の不思議に思う思考と最初の好奇心は彼自身の正体を知ることでした。
それはすべての人間を駆り立てる疑問です。

人間が成し、欲するすべてのものは、その疑問を含んでいます。

人々は幸福と平和を欲しています。

本能的に、彼らは幸福と平和の獲得は〝わたしは誰か?〞という疑問への答えにかかっていることを知っています。
意識的にこれを人生の疑問として理解することは、聖なる旅における最初の大きな一
歩です。

次の大きな一歩は答えを見つけることです。


アートマンが答えです。私はアートマンです。あなたはアートマンです。

私とあなたはアートマンなのです。それが答えです。

ヤマがナチケータに語ったように、アートマンについて聞くだけでは十分ではありま
せん。

アートマンは、到達され、理解され、経験によって知られなくてはなりません。
ヤマは、学ぶことだけでなく、知性を使うことでも、聖なる教えでも、アートマンに到
達するには十分でないことを説明しました。

アートマンに到達することは、選択と行動を必要とします。
それが、カタ・ウパニシャッドのメッセージであり、生と死の意味なのです。

ナチケータは、選択の機会を与えられました。

彼は、すべての最も偉大なものであるこの世にある富、力、感覚的な喜びなど、をそこで提供されました。

彼は他のものを選択しました。

世俗的な楽しみを選ぶことは、死と生の終わりのないサイクルにおいてもうひと回転することを意味するでしょう。

それぞれの楽しみにおいては、一瞬の喜びがあり、苦痛の流れが続き、失うことへの恐れが続き、遂には死が続くことでしょう。

それぞれの世俗的なものは変化し、死にます。

人々は、これらの楽しみから苦痛を感じますが、それでもなお、彼らはこれらのものが次には、最終的には、平和と幸福をもたらしてくれると信じ続けます。

この信念は、ナチケータが知ったように、人々を楽しみの次元である、生きて、願望し、恐れ、そして再び死ぬ次元に、何度も何度も引き戻します。
カタ・ウパニシャッドは、〝愚か者は、外側の楽しみを求めて走り、広範囲に取り巻
いている死の罠 わなに落ちます〞と言っています。

聖書の申命記の古い神は、はっきりと言っています。

〝私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい”

死なないものを選びなさい。

それが神秘への解決法です。

 

アートマンが答えなのです。
挑戦はアートマンを見つけることです。

この世のものは、楽しまれるようになっています。

それらは永続しないので、それらに執着することは賢明ではありません。

この世のものを楽しみなさい。それからそれらを行かせなさい。

それらにあなたの人生を通過させなさい。

人生のすべてを抱擁し、人生のすべてを理解しなさい。

しかし、智慧をもってそれを成し、叡智に向かって動きなさい。

この世の生は目的ではなく、手段なのです。」

(聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝くー スワミ・ラーマ)

 

 

「わたしは誰か?」という問いに対するこの答えは、今まで自分だと思っていたモノとは違い、想像もつかないモノであったかもしれません。

 

アートマンが答えです。私はアートマンです。あなたはアートマンです。

私とあなたはアートマンなのです。それが答えです。」

 

アートマン(真我)とは何でしょうか?

 

アートマンとは、あなたが想像つかないように、

他の人間にとっても想像もつかないモノですから、人間が作り出した言葉で表現することは不可能です。

それ故、アートマンという言葉は、答えとしては不十分であり、厳しい見方をするならば、答えそのものではありません。

 

答えがアートマンだと知っていても、

アートマンを具体的に(体験を通して)識っていなければ、

「あなたは誰ですか?」という問いへの答えを答えたことにはならないのです。

 

しかし、これが答えです。

 

人間は知っていても知らなくても、この答えに向かって、一歩一歩歩んでいます。

 

すべての人は、アートマン(真我)に出会う道の途上にいるのです。

 

 

 

 

アルジュナよ わたしは真我(たましい)として

一切生類の胸に住んでいるーーまた

わたしは万物万象の始めであり

中間であり そして終わりである

(バガヴァッド・ギーター第7章20)