わたしは誰か?
昨日の問題は、どうでしたか?
「あなたは、誰ですか?」
という質問に、いろいろな答えや想いが、浮かんだことと思います。
中には、
「わたしは、わたし。それ以外にはあり得ないのに、何故、誰か?と問う必要があるのだろう?
それに、わたしは、誰か?って、そんなの決まっている。
わたしは、○○××という名前で、日本人で、△△に住んでいて、歳は。。。。」
という考えが浮かんだ方もいらっしゃることでしょう。
この質問を出したのは、そういう個人的な情報を収集したいからではありません。
それでは、何のために?ということになりますが、
この質問への答えこそが、実は、わたしたちが悟りとか、目覚めとか、覚醒と呼んでいるスピリチュアルな意識変容の達成を証明する唯一のモノだと思えるからです。
ですから、どんな人であっても、この質問に楽々と答えられる人びとだけが、人間卒業、つまり、”解脱した人”ということになります。
それには、性別も、人種も、肌の色も、国籍も、年齢も、職業も、お金持ちか貧乏か。。。なども、一切関係ありません。
その一方で、この質問に明快に答えられないならば、いくらスピリチュアルな活動をしていても、
その人たちの活動は、他者の人間卒業のため、他者を解脱させるため、とは言えません。
スピリチュアルな活動に参加する場合、その目的が自分の望みに合っているかどうかは、常に自分で見分けていかなくてはならない、ということになります。
本人が卒業していない場合は、他者を卒業させられるわけがありません。
これは、少し考えれば、当たり前のことです。
そして、また、人間に人間を卒業される力などある筈がありません。
これも、少し考えれば、当たり前のことです。
しかし、ジーバ・ムクタ(肉体を持ちながら、ブラフマンの叡智に目覚めている人)
の記事にも少し書きましたが、
このような個を超越した存在の中には、自分が人間卒業(解脱)しただけでなく、他者をも同じところに導くことができる存在がいます。
それは。。。。
「三昧(サマディ)にはいろいろ種類があってね、リシケシの修行者の話はわたしの様子とそっくりだ。
体のなかに蟻がしのびこむように霊気が流れてくる。
時にはヒラリ、ヒラリと猿が枝から枝にとび移るように感じることもあるし、魚が泳いでいるように感じることもある。
経験してみないとわからないがね。
外の世界のことは忘れてしまう。
心がちょっと下りてくると言うんだーー『マー(大実母)!わたしをなおしておくれ、わたしは口が利きたいよ』と。
神の化身たち以外は三昧(サマディ)から戻ってこれないのだ。
人間は、一生懸命修行して三昧状態になることはできるが、もう戻ってこられないのだ。
あの御方が自ら人間となってこの世にいらっしゃった場合、つまり神の化身(アヴァタラ)として、人間の解脱の鍵を手にもってこられた場合は、三昧(サマディ)の後でこの世の意識にお戻りになる。
人々の幸福のためにね」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
「人を教え導く師とは?」の記事でも書きましたが、
”人を教え導くことを、神に許可された存在だけが、人を導くことができる”とラーマクリシュナは語っています。
そして、三昧(サマディ)を体験し、そこから戻った存在は、神の化身(アヴァタラ)だとも言っています。
ナーナさんがこれに当てはまる、と確信をもって言えるのは、
ナーナさんが、「わたしは誰か?」についての答えを、すんなりと教えて下さったからです。
それは、言葉を使ってではなく、言葉を超えた直観のエネルギーとも言うべき方法で、
ひと言も発さず、無言で、その御力をもって、この質問への答えを、体験を通して教えて下さったのです。
わたしは誰か?
しかし、これは、筆記試験ではないので、その答えを言葉で書くことはできません。
口頭で述べても、合格点には達することはできないでしょう。
実際に体験を通して、その答えに辿り着いたか?ということが、問われているのです。
ナーナさんは、その答えは直接体験によるもののみホンモノである、ということをよくご存知なので、
その御力の強力なパワーを使って、わたしたちを直接、答えそのものへと導こうとされています。
この答えは、3月末に発売になるスワミ・ラーマの「聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝くー」に詳しく書かれていますので、知りたい方は、是非、読んでみて下さい。
しかし、そこに書いてあることは、正しく正解ではありますが、そこに書いてあるままに、言葉で解答しても、合格点はもらえません。
それをよくご存知でいらっしゃるナーナさんは、わたしたちに、そぅ~と、虎の巻ならぬ、救いの手を差し伸べて下さっているのです。
それは、今のわたしたちの状態では、試験を受けても合格点に達することが出来ずに、再試験を受けに、また再誕する以外にない、ということをよく知っていらっしゃるので、
愛の心から、試験に無事合格できるように、あの手この手で、指導して下さっているのです。
サットサンガは、そんなナーナさんの想いのお陰で実現した人間卒業のための試験を受けようとしている人たちのための道場、学びの場です。
学びと言っても、言葉によるものもありますが、言葉なしでの学びもあります。
言葉に依らない方法で、サットサンガを開催して下さる存在を、他に知りません。
有名大学に合格したい人たちは、合格実績の高い予備校や塾に通います。
もちろん、自力で勉強して合格することも可能ですが、
指導してくれるその道のプロに教えてもらう方が、効果的に学習することができ、
自らの望みをより着実に、楽に達成できるとわかっているからです。
霊的な目覚め、覚醒を通して、解脱を求める探求者、求道者にも同じことが言えます。
自力で達成することも可能ですが、それには、どれくらいの時間がかかるか分かりません。
わたしのような特別に修行をしていない人間には、霊的な変容は、望むべくもない事柄であるのは明らかですが、
しかし、ナーナさんの御力により、真摯な気持ちで求め、素直な気持ちで従う者には、本人の努力次第で、チャンスが与えられる、ということを知りました。
これは、人間卒業を求めるすべての人にとって、朗報であることは間違いありません。
わたしたち一般人が、人間卒業のための試験問題「わたしは誰か?」に見事答えられるように、
ナーナさんは、無私の心で、わたしたちに仕えて下さっているのです。
そんなナーナさんのサットサンガへのご参加をご希望される方は、
以下の公式ホームページよりお申し込みを受け付けています。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)
http://ameblo.jp/premagrace/ (すべては本質の流れのままに――サットサンガ参加者の体験談、感想)
http://ameblo.jp/oneness-113/(突然私がアセンションした記録ーーナーナさんの変容のプロセスの記録)
全き智識を求めて努力する者は
おそらく幾千人の中の ただ一人
その秀れた求道者たち幾千人のなかで
わたしの実相を知るものは ただ一人
(バガヴァッド・ギーター第7章3)