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永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

カルマ・ヨーガの完成(自由への道)

特別な修行をしなくても、日常生活を送りながらでも、自分の持っているモノをすべて放棄しなくても、叡智に到るための道が、カルマ・ヨーガであるとご紹介しました。

 

それは、カルマ・ヨーガによって、道の終点に到達できると実証して下さる存在が、実際に目の前にいらっしゃるので、

このブログを通して、出家したわけでもない一般人であっても実践できるヨーガ(行)として、カルマ・ヨーガをご紹介しています。

 

実際にそのようなお手本がある、ということは、私たちにとっては、何と力強い希望でしょう。

 

ナーナさんは、目覚めの瞬間が訪れるまで、特にスピリチュアルなモノやコトに興味はなかったそうで、そのような本も読んだことはなく、講演会にもセミナーにも参加したことはなかったそうです。

それでも、それは起こりました。

 

ヨーガの世界では、どんなに修行しても、「神が微笑まない限り、それは起こらない」と言われています。

 

カルマ・ヨーガを通してだけでも、真理を悟り、解放された自由な存在となり、叡智と至福そのものとなることは可能だということを、そのお手本として、ナーナさんは私たちに見せて下さっています。

 

カルマ・ヨーガについては、今回が最後となりますが、

大聖ラーマクリシュナの高弟でいらっしゃいますヴィヴェーカーナンダの「カルマ・ヨーガ」からの抜粋をご紹介し、まとめとしたいと思います。

 

「誰であれ、自分は世を助けるために生れて来たのだ、などと考えるのは、まったくのナンセンスです。

それは要するに、高慢です。

善徳のようなふりをした利己性です。

皆さんが自分の心と神経を十分に訓練して、この世界は皆さんにも他の何者にも依存しているのではない、ということを悟ったとき、そのときにはもう、苦痛という形の反応が仕事の結果として生じるようなことはないでしょう。

人に何かを与えて何事も期待しないときには--その人が感謝することさえ期待しないときには--彼の忘恩が気にさわることもないでしょう。

皆さんは何ものもあてにしてはいなかったのですから。

お返しの形で何かを受ける権利がある、などとはまったく考えていなかったのですから。

皆さんは彼に、彼が受けるに値するものを与えただけなのです。

彼自身のカルマが、彼にそれをもたらしたのです。

あなたのカルマが、あなたをしてそれの運び手たらしめたのです。

何であなたが、何かを与えたと言ってそれを誇る理由などありますか。

あなたは金かその他の贈り物を運んだ運び手、世界はそれ自身のカルマによって、あなたにそれをさせることができたのです。

どこに、あなたがそれを誇る理由がありますか。

あなたが世界に与えるものは、たいして立派なものではありません。

あなたが無執着の感情をわがものとしたときには、もう、あなたにとっては善いも悪いもないでしょう。

利己性だけが、善悪の区別をつけるのです。

 

これは非常に理解が困難なことですが、しかしあなたもやがては、あなたがそういう力を許すのでさえなければ、宇宙間に何ひとつ、あなたを支配する力を持つものはいない、ということを学ぶでしょう。

自己が馬鹿になって独立性を失うのでなければ、人の自己を支配することのできるものはいません。

それゆえ、無執着によって、あなたは自分に働きかけるあらゆるものの力を克服し、否定して下さい。

自分がそれを許すまでは、何者にも自分に影響を与える権利はない、と、口で言うのは非常にやさしいのです。

しかし、ほんとうに、彼に作用することを何者にも許さない人、外部世界の影響を受けても幸福にも不幸にもならない人、の特徴はどんなものなのでしょうか。

そのしるしは、好い運命も悪い運命も、彼の心にはいかなる変化も起こさない、というものです。

あらゆる条件のもとで、彼は常に同じ心境を保っています。

 

このように、自分自身を支配することのできた人は、外部のいかなるものにも影響されることはありません。

彼はもう、奴隷になるおそれはありません。

彼の心は自由を得たのです。

このような人だけが、この世でまともに生きるに適しているのです。

われわれは普通、この世について二種類の意見を持つ人を見いだします。

ある人びとは悲観論者であって、「この世は何という恐ろしいところなのだろう、何と悪いこと!」と言います。

またある人びとは楽観論者であって、「この世は何と美しいのだろう、何とすばらしいこと!」と言います。

まだ自分の心を支配していない人びとにとっては、世界は悪にみちているか、またはせいぜい、善と悪との混合です。

われわれが自分たちの心の主人公になるとき、この世界がそのまま、われわれにとって楽観的な世界となりましょう。

そのときには何ものも、善か悪としてわれわれに作用することはしないでしょう。

われわれは、一切物がそれのふさわしい場所にあるのを、調和しているのを、見いだすでありましょう。

この世は地獄である、と言いつつ出発するある人びとがしばしば、自己制御の実践に成功すると、最後にはこの世界は天国だ、と言います。

もしわれわれがほんとうのカルマ・ヨーギーであって、この境地に到達するよう自分を訓練したいと思っているなら、たとえどこから出発しても、完全な自己滅却の境地に到達することは、間違いありません。

そしてこの見せかけの自己が行ってしまうや否や、最初はわれわれに悪にみちていると見えるこの世界が、至福にみちた天国そのものとして現れるでしょう。

このようなのがカルマ・ヨーガの目的であり、このようなのが、実生活の中でのそれの完成であります。」

(カルマ・ヨーガ スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)

 

 

今、ナーナさんは、自らの体験を通して、サットサンガで多くの人を、人間として最高の到達点に導こうとされています。

ナーナさんが持っていらっしゃる御力は、のちのちブログでもご紹介させて頂きますが、

ナーナさんは、私たち自身が今生で、カルマ・ヨーガや他のヨーガ(行)を誠心誠意実践したとしても、それを通して辿るプロセスには限界があることも、よくご存知です。

 

カルマ・ヨーガも徹底してやらなくては、行とはなり得ません。

 

自らの自由は、自らの解放は、自分の手で掴み取るしかないのですが、

その道は、容易とは言えず、かなり困難であることは、明らかです。

 

しかし、今は、ナーナさんという恩寵の扉が開いている時なのです。

ナーナさんを通して、その時を真摯に求める人なら誰もが、目覚めの時を迎えることは、可能なのだということは、私たちの救いです。

 

ナーナさんという恩寵については、このブログの中で少しづつ書いていきたいと思っていますが、

ただ求めるだけではなく、ヨーガ(行)の実践を通して、自己努力する人にのみ、恩寵は降り注ぐことも忘れてはなりません。

 

恩寵によって、最後の神秘のヴェールが剥がれた時、すべては明らかになるでしょう。

 

個人個人が、その最後の瞬間を迎えるために、

いまここで、ナーナさんは恩寵の経路として働くために、私たちと共にいて下さっています。

ですから、その恩寵に有り難く素直に与ることは、自分のプロセスを早める最も楽な方法であることは間違いありません。

私たちが、その恩寵に与ることで、ヨーギーが一生をかけても到達できないかもしれない人類の究極のゴールに、ナーナさんのお力を借りて、到達することも可能なのです。

 

グルという恩寵はあっても、生徒には、それを受け取る準備が必要です。

そのためには、自分でできる努力は最低限しなくてはなりません。

 

何かを成し遂げようと奮闘するそのエネルギーが、集中を生み、そのエネルギーの集中が、恩寵を呼び寄せるのです。

 

ナーナさんのサットサンガへの参加は、自由への道を短縮してくれます。

それを望む人すべてに、平等に、恩寵の扉は開いています。

 

この恩寵に与れる人は、それまでよりも楽に、ゴールまでの道を歩むことができるでしょう。

 

何よりも、恩寵の扉が開いている間に、その扉を通り抜け、自由への道を完成しようと志すことが、目覚めへの第一歩だと言えるでしょう。

 

ナーナさんのサットサンガへのご参加をご希望される場合は、

以下の公式ホームページよりお申し込みを受け付けています。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)

 

 

http://ameblo.jp/premagrace/ (すべては本質の流れのままに――サットサンガ参加者の体験談、感想)

 

 

幾多の誕生をくりかえして修行を重ね

誠実に努力して霊的向上に励み

すべての汚濁(よごれ)を洗い清めたヨーギーは

ついに至上の目的地に着くのである

 (バガヴァッド・ギーター第6章45) 

 

(少しの間ですが、ブログ更新お休みします。)