カルマ・ヨーガ(献身奉仕の道)
アートマン(真我)の道について、
ラーマクリシュナやスワミ・ラーマの言葉を引用してきましたが、
今日は、ナーナさんが、サットサンガでいつも私たちに語って下さっているお話しから、少しご紹介させて頂きます。
ナーナさんが神我一体となり、解脱されるまでの経緯は、ブログ”突然私がアセンションした記録”に、ある時から詳しく書かれていますが、
その前は、どうであったのでしょうか?という疑問がありましたので、
ナーナさんに出会ってからまもなく、ご本人に伺ったことがあります。
それは、不遇とも言える家族環境、幾たびか訪れた原因不明の肉体の痛みや不調、一歩間違えば死んでしまったかもしれない事故体験、
けっして楽な人生ではなかったと思われるような人生においても、
常に前向きで、自分を制し、人を愛し、人知れずボランティア的な奉仕の心で、見返りのことなど全く考えず、この世のために成した数々の行為、
けっして嘘をつかず、人を恨まず、憎まず、一度決めたことは達成しようと諦めずに努力したこと、自分の持っているモノでいつも満足していたこと。。。。など、
ナーナさんが、いつもサットサンガで、
「ラージャ・ヨーガの八支則の第一段階のヤマと第二段階のニヤマをきっちりと修めることは、目覚めのための準備となります」
と仰っていますが、それは、実際に、ナーナさん自らの経験を元に仰っている言葉なのです。
ですから、私たちは、修行のために出家する必要もありませんし、死を覚悟して厳しい修行に励む必要もありませんし、持っているすべてを手放す必要もありません。
「何なりとすべき仕事はして、ただ心はいつも神をおもっていなさい。
女房子供や親たちといっしょに住んで、よく面倒をみてやりなさい。
自分のもののように大事にしてやれ。
でも心の中では、誰一人、自分のものじゃないということを、しっかりと心得ておくんだね。
世間でいろんなことをしても、心は神に預けっぱなしにしておきなさい。
神への信仰を持たずに世間で暮らしていると、だんだん心が世俗の垢に汚れてくる。
災害や、悲しみ、苦しみにガマンができなくなってくる。
世間のことを考えれば考えるほど執着が増してくる。
神への信仰という油を手にぬってから、世間の仕事をすることだ。
だが、この信仰をわがものにするには、独りになることが必要だ。
心を静めて神を想うことによって、正しい智慧も、離欲の心も、信仰も、わがものにすることができるんだよ。
世間のことにばかりかまけていると、心がだんだん低くなっていく。
世間ではただ女と金のことしか考えないからね」
「無私の気持ちで何でもしなさいよ。
無私の精神で行動するように、一生懸命努力するんだよ」
これを、インドでは、カルマ・ヨーガ(献身奉仕の道)と言います。
「この世は仕事をする場所だ。仕事をつづけている間に智慧が生まれてくる。
導師(グル)は、”こういうことをしろ、ああいうことはするな”と教えて下さる。
また、”報いを求めないで仕事をするように”と注意して下さる。
こうした仕事をやっているうちに心の汚れがとれていく--良い医者にかかると、薬を飲みつづけているうちに病気が治っていくようなものだ。
どうしてあの御方は、この世から解放して下さらんのだろうか?
病気が治れば出して下さる。
”女と金についての経験はもうたくさんだ”ということになったとき、許して出して下さるよ」
「もし事務員が監獄に入れられたら、もちろん、監獄の中で暮らすわけだが、じゃ監獄から出されたら、どっかの道端でシャナリシャナリと踊っているかね?
そうじゃないだろう。
また事務員の口を見つけて前と同じ仕事をするよ。
グルのお恵みで真理の智慧を獲た後でも、”身体を持ったまま解脱した人”として世の中で暮らしていくよ」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
ナーナさんは、何事も無私の心で成すことがとても大切だと、いつもサットサンガで仰っています。
ナーナさんご自身が、そうされて、今の結果となったという事実もありますが、
何よりも、私たちがこれまでの人生を続けながら、アートマン(真我)に到ることができる実践方法として、
”カルマ・ヨーガ”を、自らの体験を元に、確信をもって、私たちに教えて下さっているのです。
心身ともに、清らかになること。
それは、身体においてはエネルギーを綺麗にすること。
そして、心においては、無私の心を持つこと。
そのためには、無私の心で、何でも良いので、世の中のためになると思うことをしなさい、と仰っています。
それは、私たちが、限られた人生という時間を無駄にすることなく、目覚めへの準備を整えることができるようにと、愛の心で導いて下さっているのです。
そして、何よりも、それを自ら実践し、私たちへのお手本として、
”肉体を持ったまま解脱した人”(ジーバ・ムクタ)として、私たちと共にこの世に在って、
個の魂の最終的な目的地へと、私たちが一人一人到達できるように、
肉体を持った神の化身(アヴァター)として、働いて下さっているのです。
故に仕事の結果に執着することなく
ただ為すべき義務としてそれを行え
執着心なく働くことによって
人は至上者(かみ)のもとにいけるのである。
(バガヴァッド・ギーター第3章19)