永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

各チャクラの浄化とサード・アイの開眼

ナーナさんのサット・サンガに6か月以上参加されると、

ナーナさんの一番の理解者であり協力者であるキヨシゲさんのチャクラの浄化セッションとサード・アイ・セッションを受けることができるようになります。

 

これらのセッションは、本質のエナジー、プラナーナが身体の隅々まで行き渡り流れるのを促進する目的で、希望者のみに行われています。

 

わたし自身、ナーナさんのプラナーナのエナジーを受けながら、キヨシゲさんのセッションを受けることで、変容が格段と早まったことを実感しています。

 

最初は、何も感じなかったエナジーですが、今では、身体が、プラナーナに反応すると、磁石のようになり、はっきりとエナジーの流れを感じられるようになりました。

また、チャクラからもエナジーが放出されているのを体感できるようになり、

チャクラというものが、実際に、この肉体に在ることが、体験を通して理解できるようになりました。

 

それでは、このチャクラとは何でしょうか?

これまでも何度か引用させて頂いているラーマクリシュナの言葉より抜粋し、ご紹介いたします。

 

ヴェーダにはブラフマン智の修行者のいろいろな段階が説明してある。

あの道は智慧の道でね、大へん難しい道だ。

これについて、ヴェーダには七住地ということで説明してある。

この七つの段階は心のいる場所だ。

世間のことだけに心をかまけている間は、排泄器(ムラダーラ・チャクラ)と生殖器(スワディスターナ・チャクラ)とへそ(マニプーラ・チャクラ)が心の住地だ。

心の四番目の住地は心臓(アナハタ・チャクラ)。

ここではじめて霊的に目覚める。

そして四方に光を見る。

天界の光を見て感動して、”すばらしい!””すばらしい!”と言っている。

そうなると、もう下の方には関心がなくなる。

心の五番目の住地は喉(ヴィシュッダ・チャクラ)。

心が喉まで上がると、もう無智も無明も皆消えて、神様のことよりほか、どんな話も聞いたりしゃべったりするのがいやになる。

もし、誰かがつまらぬ話でも始めると、その場を外してしまう。

心の六番目の住地は額(アジナー・チャクラ)だ。

心がそこにいくと、昼も夜も神様の姿を見るようになる。

でもまだ、少し”私”が残っている。

その人はその何とも譬えようもない色相(すがた)を見て、

気違いのようになってその姿に触って抱きつこうとするのだが、できないんだよ。

ちょうどランタンの中に灯があって、この光にすぐ触れそうに思っても、ガラスの板があるからじかに触ることができないようなもの。

頭のてっぺんに七番目の住地がある(サハスラーラ・チャクラ)。

そこに心がいくとサマーディ(三昧)になって、ブラフマン智の修行者はブラフマンを直接に見るのだ。」

「心がそこへ行くと心そのものが消えてしまう。

個霊と至高霊が一体となって三昧(サマーディ)に入る。

肉体感覚はなくなるよ。

外界は消え去って虚空となる。

いろいろな智識はなくなって考えることもできなくなる。

トワイランガ・スワミは言っている――

『分別するから多くのものがあると感じ、様々な感じ方がある。

三昧に入れば、二十一日たつと肉体は滅する』と。

とにかく、クンダリニーが目覚めなければ霊意識は起こってこないんだ!」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

ナーナさんの場合は、

クンダリニーという尾骶骨あたりに眠っているエナジーが、スシュムナ(脊柱に沿ってあるエナジーの経路)を上り、

頭頂のサハスラーラ・チャクラを突き抜けたのは、一回どころではなく、短期間に数回起こり、

最後には、完全に神我一体となり、”在るのはただひとつ”というブラフマン智に達せられ、今も”そこ”にいらっしゃいます。

(これを仏教ヒンドゥー教では、”解脱”と呼んでいます)

そして、わたしたちを、”そこ”に導いて下さろうと、サットサンガを開催して、

シャクティ・パータを授けて下さっているのです。

それは、何故かというと。。。。

 

「サマーディに入った後は、ふつう肉体を保っていることはできない。

ときたま、人びとを導くために肉体を保たしていることもある

--井戸が掘り上がると、人によってはカゴやスキを放り投げてしまう。

また人によっては、近所の人が使うかもしれないと思って、ちゃんとして取っておく。

こんなふうに、偉大な魂は人間の苦しみ哀しみを気遣ってくれるのだよ。

こういう人たちは利己的じゃないから、自分たちが智慧をものにしたからもうそれでいい、とは思わない。

しかし、力の現れ方は様々だ。

普通の程度の器量では、人を導くことを恐がるものだよ。

貧弱な木っ端は、自分だけじゃ何とか浮いているが、鳥が一羽来てとまれば沈んでしまう。

だが、大きな丸太は、自分が浮いているだけじゃなく、上に人間や牛や、象まで乗せて運んでいける。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

ナーナさんによるプラナーナのシャクティ・パータだけではなく、

目覚めの準備のために、キヨシゲさんによるチャクラの浄化や神の眼と言われるサード・アイの開眼のためのセッションを受けることで、

個霊が目指すゴールへと至るプロセスが一段と早まり、

超高速度で意識が変容していくことを実感できることでしょう。

 

意識の変容とは、霊意識の目覚めです。

 

霊意識が目覚めると、自分が”それ”である、ということが、体験的にわかるようになります。

チャクラの開花やクンダリニーの目覚めは、霊的なプロセスにおいては、不可避だということになります。

 

優秀なヨーギーでさえ、チャクラを開くには、厳しく長い修行が必要だそうです。

 

そう考えると、キヨシゲさんのセッションに与ることで、

ヨーギーのような厳しい修行をすることもなく、チャクラを開くことができるのは、

もちろん、それは、ナーナさんのお陰なのですが、

プラナーナのエナジーに与ることができるのと同じくらい稀なる恩寵と言えるのです。

 

 

ヨーガの実修によって

心の動きを完全に支配し得たところの

無上の境地をサマーディと言う

これは清浄心をもって自己の本質を知見し

それを味わい楽しむことである

この喜ばしくめでたき境地にあって

人は妙々至楽の歓喜地に住し

霊感覚によって自らを楽しむ

この境地に定着すれば真理より離れることなく

その人は至高最大の宝を獲たことを知る

ここに安定すれば

いかなる困難にも動揺せず

一切の苦より脱して

真実の大自由を得るのである

(バガヴァッド・ギーター第6章20-23)