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永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

生命力としてのプラーナ

昨日の記事で、Swami Ramaの”聖なる旅”から、

プラーナについて書かれた部分をご紹介しましたが、

更にその続きをご紹介いたします。

 

『最初のプラーナの現れは、アカーシャである空間で、それは次第に現象的な宇宙へと発展しました。

ヴェーダンタによると、宇宙には死んでいる物質のようなものはありません。

全宇宙は生きている有機体です。

ヤマは、ナチケータにこの現象界に存在するものは何であれ、プラーナの振動の現れ にすぎない、と説明しました。

リグ・ヴェーダによると、宇宙的な力は、展開が始まる前に存在し、現れた宇宙の消 滅後も存在し続けるでしょう。

ひとつの巨大な源から、すべての自然の力が、突然現れました。

宇宙は、宇宙の根本であるひとつなるものの現れです。

この宇宙においては、プラーナの振動の消失と獲得のようなものはありせん。

プラーナの力により、発展の力を通して、内側と外側の世界は生まれます。

全世界は、本質においては永遠です。

しかし、その外側の形においては、永遠ではありません。

すべての宇宙の外的な形は破壊され、形のない物質である宇宙の母なるエネルギーが 永遠から永遠に存在し続けることでしょう。

生命があるところには、知性の現れがあります。

知性と生命は相伴っています。

この知性は、内なる自己のものであり、その手段としてプラーナという生命力を持っ ています。

プラーナの力の助けを通して、生きて機能しているのは、本当は真の自己なのです。

対象的な世界は、単に宇宙の半分です。

私たちが感覚で知覚するものは、完全なる世界ではありません。

心、思考、感情を含むもう半分は、外的な対象物の感覚の知覚によって説明すること はできません。

五感は、個人的なエゴが外的な世界と接触する主要なドアです。

これらの五感は、私たちが外的世界から振動を受け取るゲートなのです。

これらの振動は、最初は脳細胞に運ばれます。

分子の変化はこれらの細胞で起こり、振動は順番にエゴにより感覚へと翻訳されます。

次に、感覚は知覚概念に形成され、一連の精神的なプロセスの後、観念に変換されます。

これは、終わりなく続きます。あなたが何かの対象物を考えるとき、あなたは即座に、そのものの精神的なイメージを受け取ります。

それは観念と呼ばれます。

もし、知的な心が存在しなければ、どんな認識もないでしょう。

そういうわけで、ヴェーダンタは見解を述べています。

〝感覚器官よりも感覚は微細であるが、心は感覚を超えている。

そして、知性は心を超え、宇宙的な自我は、知性よりも偉大である〟

プラーナの力は、肉体における異なった機能により、プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、ウダーナ、サマーナという5つの名前を与えられています。

人間の身体では上昇する空気はプラーナで、下降する空気は、アパーナです。

ヴィヤーナはすべてのランプを貫く炎のようにさっと回り、体中ですべての流動体とエネルギーの循環を維持しています。

ウダーナは、死の際に、体から魂のガイドを務め、サマーナのおかげで、栄養が吸収されます。

魂、あるいはジィーバが離れるとき、生命エネルギーであるプラーナが続きます。

プラーナが離れるとき、他のすべての生命維持器官が続きます。

呼吸システムはプラーナの乗り物です。

心と体の関係を確立するのは呼吸なのです。

吸息と呼息が機能を止めると、死が起こります。

肉体的な死は変化であり、潜在意識と魂を無にすることはありません。

話す、掴(つか)む、動く、妊娠する、排泄(はいせつ)するという行為の5つの器官の微細な力と、感覚知覚器官と5つのプラーナとマナス、ブッディは微細体を続けます。

生まれ変わりのときに、魂は微細体に伴われます。

全身は死の際に分解しますが、微細体は存在し続けます。

メリットとデメリットの倉庫である潜在意識は、ジィーバ、あるいは魂のための乗り物になります。

私たちの多くの生のすべてのサンスカーラは、種子のような潜んだ状態で、私たちの潜在意識の倉庫にあるのです。

微細体と粗雑体との関係は、種子と植物との関係に似ています。

種子は、種子遺伝子において植物のすべての性質を内包しているように、潜在意識は、私たちの過去生のすべてのサンスカーラを留めています。

仏教徒とヨーガ行者は、魂と心と体を信じ、その間を区別しています。

魂は、創造されていません。

それは本質的には、意識であり完全です。

粗雑体の消滅の後、すべては潜在したままです。魂は生き返ります。

私たちの魂は、死後も、完全であり、消滅せず、分解せず、破壊されません。

もし魂が、真の実体であり存在であるなら、それを経験するいくつかの方法があるべきです。

適切な霊的な訓練を実行する誰もが、この経験を持つことができます。

生と死は、同じ事実にとっての異なる名前であるだけです。

それは、ひとつのコインの2つの面です。

このような区別を超えることができる人は、死を克服し、彼岸、すなわち、永遠の生命に到達することができます。

アートマンが不死であるという基本的な真理を理解する人は、死の神秘を解き明かすことができるのです。

サマディを達成した人々は、まさに今生のここで、死後の生を経験することができます。

自らの真の自己を悟った人は、不死なのです。』

(Swami Rama ”聖なる旅”)

 

 

私たちの本性は不死ですが、”わたし”は滅びる者です。

この違いを知り、自己の本性を悟った者は不死なのです。

 

サットサンガで、ナーナさんは、プラーナの働きを通して、

この”自己の本性”を、私たち一人一人が悟れるように、導いて下さっています。

 

”自己の本性”の目覚めに向かって、意識の変容に向かって、

私たちが、魂のゴールに到達できるようにと、

無知の世界を照らす叡智の光となって、燦然と輝きながら、

”それ”へと至る道を照らして下さっているのです。

 

 

全ての生物は永遠不滅であり

その実相人智によっては計り難い

破壊され得るのは物質体だけである

故にアルジュナよ 勇ましく戦え!

(バガヴァッド・ギーター第2章18)