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永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

霊の教師(グル)とは?

前回の記事で、ラーマ・クリシュナの言葉の中で、霊の教師(グル)という単語が出てきましたが、

グルという単語は、あまり日本人には馴染みがないと思われます。

或いは、言葉だけは知っていても、正しい意味で「グル」を理解していない場合が多いと感じます。

グルは、サンスクリット語で、「指導者」「教師」「尊敬すべき人物」などを意味し、日本語では、「導師」「尊師」と訳されることが多いようです。

また、古くからインドでは、ヨーガの修行を達成するためには、グルは必要不可欠だとされています。

 

今、翻訳を終え、来春に出版する予定のSwami Rama(スワミ・ラーマ)が最後に出した本である「Sacred Journey」(聖なる旅)という本の中で、

ヨーギーである著者Swami Ramaが語る”グル”について、本の発売前に、ここでご紹介したいと思います。

 

 

『東洋の伝統では、グルは教師よりもはるかに上の存在です。

グルは、人間としての達成に向かって個人を導いている特別なエネルギーを表しています。

恩寵(おんちょう)は、エネルギーの瞬間力です。
これを別の方法で表現するなら、私たちが神と呼ぶ完全さに向かってすべての人間を動かしている宇宙に浸透している知性の推進力が存在します。

グルは、その知性です。

その知性に対するすべての人の感受性は異なります。
それは準備次第であり、ヴァイラーギャ(無執着)と、アビヤーサ(霊的修行)の発達を含みます。
言い換えれば、グルは常にそこにいますが、生徒はグルが命じなくてはならないことを受け取る準備ができていないかもしれません。
生徒に準備ができたとき、グルはやって来て、生徒が無知のヴェールを取り除くことにおいて、前進するのに必要なことをするのを助けます。
ランプの芯と油が適切に準備されると、マスターはランプに灯を灯すと言われています。

グルは人ではありませんが、グルは人で表すことができます。
非常に高いレベルまで自身の霊的な気付きを発展させてきた人は、他者を導くことができ、グルとみなされます。
内面の導きに見事に順応している人だけが、他者において内面の導きの目覚めを起こさせることができるのです。
グルは、物質的な存在ではありません。もし、グルがこの力は自分のものだと思い始めたなら、そのとき、彼らはもはや導き手ではありません。
グルは伝統であり、叡智(えいち)の流れなのです。

インドでは、グルは尊敬の念を持って使われる聖なる言葉であり、常に最上の智慧(ちえ)と関連づけて考えられます。
グルは、人生において唯一無二の存在です。
弟子とグルとの間の人間関係は、他のどの人間関係にも似ていません。
グルは母でも、父でも、息子でも、娘でもない、と言われています。
グルは、社会的慣習的な意味における友人でもありません。
また、ときとして、グルは父であり、母であり、息子であり、娘であり、友人であり、一人ですべてを兼ねている、と言われます。
グルは、弟子にとっては、太陽であり、月であり、空であり、地球なのです。
グルは、究極の自由へと人生を通して、魂を維持し、養育し、導きます。
グルとの人間関係は、無条件の愛の最も純粋な形の上に基礎を置いています。
グルと共に完全なる開放があります。
弟子はグルから何も秘密にすべきではありません。
伝統では、これが、生徒がグルのところに行き、燃やすための1束の薪を提供する理由です。
1束の薪は、弟子が持っているすべてが無条件でグルに提供されることを象徴しています。
グルが生徒を霊的に形作るという仕事をすることができるように、すべてはグルに提供されます。
弟子は、十分な信頼を持ってやって来て、彼の全人生をグルに任せます。
グルはその人生を受け取り、(たた)き切り、必要でないものを燃やします。それから、注意深く残ったものを聖なるものに形作ります。

この切り刻んで、燃やすことにおいては、グルは無慈悲です。
グルの仕事は、弟子と手をつなぎ、涙を拭くことではなく、弟子のエゴと、弟子と自由の間に立ちはだかるすべてを粉々に切り刻むことなのです。
グルは依存を許しません。
もし、弟子があまりにグルに依存するようになると、グルは弟子を押しやり、独立することを強制します。
それが、最も深い愛の優れた表現なのです。

グルと共に霊的な道の途上にあるということは、簡単なことではありません。
それは楽しいことではありません。
グルは、弟子を試み、彼らを最も困難な状況に置き、彼らのために障害物を作り出します。
すべての試み、困難、障害物は、弟子の意識を訓練し、拡張するためのものなのです。

それはグルのたったひとつの仕事です。
グルは弟子から何も欲しません。グルは、魂を悟りに向かって動かすその力なのです。
グルの行動は、純粋な愛からのものです。
太陽ははるか頭上で輝き生きているように、グルも霊的な愛を与え、無執着なのです。

グルは、霊的な叡智の経路です。
イエスは、繰り返し彼の弟子たちにこのことを思い起こさせました。
〝あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです〟(新約聖書ヨハネ福音書14章24)
父とは、純粋なる叡智の流れです。
イエスは、悟った存在として、叡智に調子を合わせていたのです。

人間は、けっしてグルになることはできません。
グルは人間的な経験ではありません。
あるいは、さらに言うならば、グルは感覚上の経験ではありません。
グルであることは、神聖な経験です。
人間は、数々の力により、力を受け取り伝える経路として自分自身が使われることを許可します。
そうやって、それが起こり、グルが現れます。
それをするには、人間は無私の心を学ばなくてはなりません。愛することを学ばなくてはなりません。
真の愛は何も期待しません。
それは、グルが如何に純粋に生きるかということです。
利己的でない愛は、彼らの悟りの基本であり、叡智の経路としての彼らの役割の基本なのです。

グルはゴールではありません。
グルとして崇拝されることを確立した者は、グルではありません。
キリストも仏陀(ぶっだ)も他の偉大な人々もこのような例とはなりませんでした。
グルは川を渡るためのボートのようなものです。
良いボートを持つことは重要ですし、水漏れしているボートを持つことは大変危険です。
ボートはあなたに川を渡らせてくれます。
川を横切ったら、ボートはもはや必要ありません。
旅を完成した後は、あなたはボートにしがみつきませんし、あなたは間違いなくボートを崇拝しません。』

(聖なる旅 ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く- スワミ・ラーマ*著)

 

 

 

アルジュナ

利得の業を離れ 空理空論を捨て

わたしを愛慕し わたしのために働き

わたしを至上目的とし 一切生類に思いやりをもつ者は

必ず 疑いなくわたしのもとに来るのだ

(バガヴァッド・ギーター第11章55)

 

 

 

*スワミ・ラーマ(Swami Rama)(19251996

ヒマラヤから生まれた偉大なる聖者の一人。

インドに生まれ、インドとヨーロッパで教育を受け、ヒマラヤ山岳地帯にある洞窟やチベットで霊的な訓練を受ける。

1969年、渡米する。その後、約30冊の本(共著を含む)を著作し、詩人、画家、建築家、音楽家として、また、哲学や科学分野での専門家として知られる。

1971年、米国のペンシルバニア州に『ヒマラヤン・インターナショナル・インスティチュート・オブ・ヨガ・サイエンス・アンド・フィロソフィー』(Himalayan International Institute of Yoga Science and Philosophy)を創設する。

1989年、インドに戻り、デラドンに『ヒマラヤン・インスティチュート・ホスピタル・トラスト(HIHT)』(Himalayan Institute Hospital Trust Medial College)を創設する。

1996年、肉体を去る。