永遠の人
神の創造のなかには、実にさまざまな人間や動物や草木がある。
動物のなかには、いいのも悪いのもある。
虎のようにどう猛な生きものもいる。
草木のなかには、甘い実がなるものもあるし、毒の実がなるものもある。
それと同じことでね、人間のなかには善人もいれば悪人もいるんだよ。
聖者もいるし、あきれた不道徳漢もいる。
不信人な俗人も多いが、信心深いきれいな心の人もいる。
この世にいる人間は、大ざっぱに分けて四種類あるんだよ。
ーー縛られた人。解脱を求める人。解脱した人。それから、永遠の人。
永遠の人は--人びとを幸福にするため、人びとに真理を教えるためにだけ、この世にいる。
縛られた人は--世間のことに心を奪われてしまい、神のことをすっかり忘れている。夢にも神のことなど考えたりはしない人間だ。
解脱を求める人は--この世のカセから、自由になりたいと思って努力している人たちだ。だが彼らのなかでも解脱できる人もあり、できない人もある。
解脱した人は--この世の”女と金”に縛られない。聖者や、偉大な魂の人だ。この人たちの心には世俗的な思いは全然なく、ひたすら神の蓮華の御足を想っている。
湖に魚網がしかけてある。二、三匹の魚は利口で、決して網にかからない。
これは永遠の人に似ている。だがほとんどの魚は網にかかってしまう。
このなかで、いく匹かの魚は逃げようとしてがんばる。
これが解脱(自由)を求める人だ。けれども皆が逃げられるわけではない。
二匹か三匹くらいが、ドボーン、ドボーンと音をたてて逃げていく。
--そんなとき、漁師は言うよ。『オッ、一匹でかい奴が逃げちまったぞ!』
しかし、網にかかった大部分の魚は逃げられない。逃げようともしない。
それどころか、網の目を口にくわえて湖底の泥のなかにもぐりこんで、ジッとして横になって、『もう心配ない。おれたちはうまくいっている』などと考えている。
やがて漁師たちが網を引きあげて、一匹のこらずつかまってしまうのに、それがどうしてもわからないんだ。
これがそっくりそのまま縛られた人の有様だよ。
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
わたしが不生、無始であり
全宇宙の至上主であると知る者のみ
人間のなかにあって幻影に迷うことなく
全ての罪けがれから解放される
(バガヴァッド・ギーター第10章3)