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永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

神を見る人の性質(グナ)について

人間の真の本性でありアートマン(真我)は、体験を通して悟って行くことでしか、知ることはできない、と書いてきました。 しかし、これは、望めば叶うという類のことではないため、真我体得し得た人々は、これまでも少数でしたし、これからもそれは変わらな…

アートマン(真我)への道は、永遠の至福への道

「アートマン(真我)は、人間の真の本性である」と書きましたが、 そのことは、知識(頭)で理解するのではなく、体験を通して悟られなくては、真にわかったとは言えません。 ”ミルクは、その話を聞くだけでは知ったことにならず、見ただけでもまだ十分では…

アートマン(真我)は、人間の真の本性である

これまで数回にわたり、古くインドに誕生したウパニシャッドの聖典で説かれている「人間馬車説」と「人間五臓説」について、現代脳科学の知識も交えて解説してきましたが、 これらの記事を読んだ後で、3月17日の記事「ヨーガとは心の制御である」でご紹介…

人間五臓説と5つの鞘(層)

少し前の記事で、「人間馬車説」という”人間の構造図”についてご紹介しました。 この「人間馬車説」に似たもので「人間五臓説」というものがあります。 「人間馬車説」は、10頭の馬を5つの感覚器官(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)と5つの運動器官(手、…

ヨーガの科学(ラージャ・ヨーガ)

ラージャ・ヨーガは、斉一性と再現性があるという点において、「科学」であると言うことができます。 つまり、同じことをすると、同じ結果が得られる、ということが、経験的に起こるということになります。 現代の日本では、ヨーガというと、アーサナ(坐法…

ヨーガの叡智(シュリー・ヴィッディヤー)

前回の記事で、「経験(直接体験)を通してのみ、真理は悟られる」ということを、多くの聖者と呼ばれている人びとが、口を揃えておっしゃっている、とご紹介しました。 このことは、ナーナさんも、いつも仰っていることで、そのために活動されていることもお…

真理は、経験を通してのみ悟られる

これまで三回にわたって「人間」について見てきました。 何故、「人間」について分析し、考察したか?というと、それは、「人間」について知ることが、「神」を知ることにつながるからです。 以前の記事で、「神」について詳しく分析し、考察しましたが、 「…

自己制御(ヨーガ)は、解脱への道(方法)

前回の記事では、長々と、「人間の心」について見てみました。 私たちは、5つの感覚器官(五官)と5つの運動器官(身体)を使って、この世を経験しているわけですが、これらの諸器官から得られた情報は、電気信号に変換されて、高速で全身に張り巡らされてい…

ヨーガとは、心の制御である

前回の記事では、人間の構造を10頭立ての馬車の譬えで説明しているカタ・ウパニシャッドの内容をご紹介いたしました。 私たちは、5つの感覚器官と5つの運動器官を使って、この世を生きて(体験して)います。 しかし、よくよく考えてみると、これらの感…

人間の構造について(人間馬車説)

これまで何回にもわたり、「神」について考察してきましたが、 これからは、「神」に対する「人間」について考えていきたいと思います。 「人間」とは、どのようなモノでしょうか? 「人間」である”わたし”は、固有の肉体と固有の名前を持った存在です。 そ…

聖なる旅-目的をもって生き、恩寵を受けて逝く

これまで数回にわたり、スワミ・ヴィヴェーカーナンダと彼の師である聖ラーマクリシュナが遺されたお言葉より、抜粋してご紹介してきました正に同じことを、 今月3月30日に発売になりますスワミ・ラーマも彼の著書『聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受…

見神=内なる神に出会うこと

前回まで、何回にもわたり、二元論から出発して、限定非二元論を経て、非二元(一元)へとざっと見てきました。 自分を知ることは、神を知ることです。 そして、神を知ることは、実は、自分を知ることなのです。 実在としての”ただひとつなる一者”である「神…

ただひとつなるもの-不滅の自己

前回の記事でご紹介しましたスワミ・ヴィヴェーカーナンダのアドヴァイタ(不二一元論)における「神」「宇宙」「人間」間の相互関係について、概要だけでも掴めたでしょうか? この宇宙のほんの一部でしかない、と考えられている”人間”と、この宇宙の唯一の…

自己、すなわちアートマン(真我)こそ神なり

今回も、二元論、限定非二元論を経て、不二一元論(アドヴァイタ)について、更に考察を深めていきましょう。 この智慧を真に理解できるならば、神秘への扉は開きつつあると言えるでしょう。 『ではアドヴァイティスト(非二元論者)は何と言明するのか。 彼…

二元論から限定非二元論へ、そして、不二一元論(アドヴァイタ)へ

前回までの二回にわたって「二元論」について書きましたが、これらは少しばかり哲学的な考察を要する内容です。 これは、インドでは、ギャーナ・ヨーガと呼ばれている智識(ギャーナ)によって真理に到ろうとするヨーガ(行)で、 聖ラーマクリシュナも、度…

二元論における神と人間

前回の記事では、スワミ・ヴィヴェーカーナンダのギャーナ・ヨーガからの抜粋を元に、二元論における「神」と神による創造である「宇宙」についてご紹介しました。 今日も、その続きを見ていきたいと思います。 『すべての二元論的学説にともなう最初の困難…

二元論における神と宇宙

前回の記事で、『私たちは、ヒツジ(人間)だと思って生きているライオン(神)である』と書きました。 これは、ウパニシャッド哲学が誕生したインド周辺では、ヴェーダンタという名前で、古い時代から伝えられてきた馴染み深い教えとして、よく知られている…

ヒツジ(人間)だと思っているライオン(神)のお話し

前回の記事で、 『ナーナさんから湧き出でるプラーナという磁石の力は強力です。 多くの人の執着心を抑え、無駄な思考や感情を消滅させます。 こうして、エゴは自然と大人しくなり、やがては、エゴの層は限りなく薄くなり、心は素直で柔和となり、真の自己が…

神の化身(アヴァターラ)

前回の記事で、聖ラーマクリシュナの「不滅の言葉」よりご紹介させて頂いた文章の中で、 『船が突然、磁石の岩に近づきます。 するとそれの鉄のねじ釘や鉄の棒は全部ひきよせられてぬけ出し、船板は突然、バラバラになって自由に海上にうかびます。 神の恩寵…

神への愛(パラー・バクティ)

前回ご紹介したラーマクリシュナのお言葉の中に、 ”いちばん肝心なことは、神様に激しい信仰を持つこと。それから識別と離欲だ”という一文がありましたが、何故、そうなのか?ということを、ラーマクリシュナの高弟でいらっしゃいますスワミ・ヴィヴェーカー…

有形の神、無形の神

今回も、前回に引き続き、 パラー・バクティとは、どういうものか? また、有形の神、無形の神について、 聖ラーマクリシュナの「不滅の言葉」より抜粋してご紹介いたします。 ラーマクリシュナ 「情熱的な信仰(バクティ)が持てたらーー恋い慕う気持ちの信…

パラー・バクティ(最高の信愛)

人間の神への態度には、四つの段階があるとされています。 この段階は、固定したものではなく、神への信愛(バクティ)の発展のプロセスと見るならば、誰でも心がけ次第で、第一段階から第四段階にまで進むことは、十分可能です。 第一段階・・・情欲や強欲…

神 対 人間

私たちは、地球の素晴らしい風景を見たとき、美しい花や生き物に出会ったとき、言葉では言い表せないほど感動したり、 また、夜空を見上げて、頭上高く光り輝く星々を眺めながら、その大宇宙の美しさと壮大なスケールに打たれ、言葉を失い圧倒された経験があ…

「神」についての理解

前回の記事「神秘へ至る道」の中で、二つの言葉が出てきました。 それは、「神」と「エゴ」(自我)です。 神秘へと至る道の途中には、エゴ(自我)という名の扉があって、その扉の向こうに行かなれば、神秘の領域には入って行くことはできない、と書きまし…

神秘へ至る道

前回の記事のタイトルは、「神秘への扉」でした。 「神秘」とは、文字通り、神の秘(密)ということになります。 探求者が歩もうとしているのは、この神の神秘へ至る道です。 しかし、その道の途中には、この世とあの世を隔てている扉があり、簡単には、その…

神秘への扉

このブログで書かれていること、これから書かれることは、そのほとんどが、一般的な常識では判断し得ない、理解し難い神秘の領域に関することです。 ですから、信じられない、バカバカしい、そんな筈はない、頭がおかしいんじゃないか?などと思うのは、一般…

アートマンはブラフマンなり(梵我一如)

前回の記事で、アートマンとはすべての存在の本質である、と書きました。 「本質」とは何でしょうか? どの存在にも共通する普遍的な部分、と解釈することができると思います。 すべての物質は、元素からできています。 数種類の元素が集まって、個体である…

アートマン(真我)は本質である

前回の記事で、「あなたは誰ですか?」との問いへの答えとして、 『アートマンが答えです。私はアートマンです。あなたはアートマンです。 私とあなたはアートマンなのです。それが答えです。』 と書きましたが、 普通、そういきなり言われても、???とな…

アートマン(真我)こそが答え

「わたしは誰か?」 この問いへの答えは何でしょうか? ナーナさんが具体的に教えて下さろうとしているその問いへの答えは、スワミ・ラーマが「聖なる旅」の中で語っていることと同じです。 それでは、その部分だけ抜粋して、ご紹介いたしましょう。 「創造…

わたしは誰か?

昨日の問題は、どうでしたか? 「あなたは、誰ですか?」 という質問に、いろいろな答えや想いが、浮かんだことと思います。 中には、 「わたしは、わたし。それ以外にはあり得ないのに、何故、誰か?と問う必要があるのだろう? それに、わたしは、誰か?っ…

永遠の問い

今日は、ひとつみなさんに問題を出します。 これは、人間を卒業するための卒業試験だと思って、よーく考えてみて下さい。 卒業試験ですから、合格したら、人間を卒業することができる、ということになります。 不合格だったら。。。。? もう一度、いえ、試…

ジーバ・ムクタ(肉体を持ちながら、ブラフマンの叡智に目覚めている人)

完全に悟った存在、目覚めた存在、覚醒した存在と言うと、真っ先に頭い思い浮かぶのは、ナーナさんのことです。 古今東西、名前が後世に残っている聖者の方々は、現在多くいますが、 実は、その方々は、ほんの一部で、 名前の知られていない完全覚醒者も、大…

人を教え導く師とは?

前回の記事では、良い師、師たるに相応しい師とは、どういう師であるか?について書きました。 ダイヤモンドに似せたガラスが存在するように、 師に相応しくない者が、師のふりをすることも十分起こりうると、考えられます。 それでは、わたしたちは、どのよ…

真の師である完全に覚醒したマスターに出会うには?

自分の内側に、神が宿ったならば、師(グル)は必要ではありません。 真のグルは、内なる神であることは、言うまでもありません。 しかし、まだ内側に神が宿っていないなら、心の中に神が灯となって灯るまで、 探求者にとって、目に見える形の師(グル)は必…

弟子に準備ができたとき、師が現れる

三月末に発売予定の「聖なる旅」の著者であるスワミ・ラーマの既に日本で発売されている「ヒマラヤ聖者とともにー偉大なる霊性の師と過ごした日々」より、 師(グル)と生徒の関係について書かれているところがありますので、ご紹介させて頂きます。 「どの…

カルマ・ヨーガの完成(自由への道)

特別な修行をしなくても、日常生活を送りながらでも、自分の持っているモノをすべて放棄しなくても、叡智に到るための道が、カルマ・ヨーガであるとご紹介しました。 それは、カルマ・ヨーガによって、道の終点に到達できると実証して下さる存在が、実際に目…

自由への道(カルマ・ヨーガ)その3

これまで2回に渡って「カルマ・ヨーガ」について、詳しくご紹介してきましたが、 自分には、到底実践することは難しいと感じている方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、スポーツでも音楽でも、どのような分野であれ、 上手になり、自分が目指す高い目…

自由への道(カルマ・ヨーガ)その2

前回の記事には、私たちが自由になることを阻むモノは、自分の心の中にある執着であると書かれていました。 ですから、魂の完全なる自由を得るためには、無執着であることが必要です。 この心の無執着を達成するためのヨーガ(行)が、カルマ・ヨーガなので…

自由への道(カルマ・ヨーガ)

昨日の記事で、「カルマ・ヨーガ」というあまり聞きなれない言葉が出てきましたが、 「カルマ」とは、「働き」とか「動き」という意味のサンスクリット語で、 「ヨーガ」とは、「行」という意味のサンスクリット語です。 ですから、「カルマ・ヨーガ」とは、…

カルマ・ヨーガ(献身奉仕の道)

アートマン(真我)の道について、 ラーマクリシュナやスワミ・ラーマの言葉を引用してきましたが、 今日は、ナーナさんが、サットサンガでいつも私たちに語って下さっているお話しから、少しご紹介させて頂きます。 ナーナさんが神我一体となり、解脱される…

アートマン(真我)への道

昨日の記事でご紹介したラーマクリシュナの言葉の中で、 ”のんびりやってちゃダメだ。”とありましたが、 どうして、ラーマクリシュナがそのようなことを仰ったのか?という疑問が湧くかもしれません。 何故、見神において、のんびりやっていたらダメなのでし…

見神とマーヤー(幻妄)

前の記事で、霊意識が目覚めることについて書きましたが、 ラーマクリシュナが遺された言葉に、更に詳しい説明がありましたので、 併せてご紹介させて頂きます。 「ムラダーラに長く眠れるクンダリニーよ いざ頭頂に昇るのが おんみのつとめ 主なるシヴァの…

各チャクラの浄化とサード・アイの開眼

ナーナさんのサット・サンガに6か月以上参加されると、 ナーナさんの一番の理解者であり協力者であるキヨシゲさんのチャクラの浄化セッションとサード・アイ・セッションを受けることができるようになります。 これらのセッションは、本質のエナジー、プラ…

ナーナさんのサットサンガ

今日は、ナーナさんのサットサンガのご紹介をしたいと思います。 毎回特に決まっているわけではありませんが、 ナーナさんのサットサンガは、まずは、心を静かにするために、約20分程度目を閉じて、心を落ち着けることから始まります。 心が穏やかになり静…

生命力としてのプラーナ

昨日の記事で、Swami Ramaの”聖なる旅”から、 プラーナについて書かれた部分をご紹介しましたが、 更にその続きをご紹介いたします。 『最初のプラーナの現れは、アカーシャである空間で、それは次第に現象的な宇宙へと発展しました。 ヴェーダンタによると…

シャクティパータとプラナーナについて

ナーナさんのサットサンガでは、ナーナさんは私たち参加者に毎回、シャクティパータを授けて下さりますが、 この聞きなれない”シャクティパータ”とは何を指しているのでしょうか? 3月末に発売になるSwami Rama著の”聖なる旅”の中で、Swami Ramaは、シャクテ…

「聖なる旅」の帯の言葉

Swami Rama が最後に出版した”Sacred Journey”という本を翻訳し、 「聖なる旅」と言う日本語のタイトルにして、 この春に出版する予定で、いま、作業を進めている最中ですが、 実は、ナーナさんに、この本の監修をお願いしました。 と言うのは、ナーナさんで…

霊の教師(グル)の仕事

「人間がこの世の束縛から他人を解放していやることなど、出来っこない。 この、魂を虜にする現象(マーヤ―)をお創りになったあの御方だけが、 現象(マーヤ―)から解放することがおできになる。 サッチダーナンダ(真、智、喜)のほかには逃げ場所はない。…

霊の教師(グル)とは?

前回の記事で、ラーマ・クリシュナの言葉の中で、霊の教師(グル)という単語が出てきましたが、 グルという単語は、あまり日本人には馴染みがないと思われます。 或いは、言葉だけは知っていても、正しい意味で「グル」を理解していない場合が多いと感じま…

永遠の人のもうひとつの呼び名

「先生、社会人として生活していても悟ることができるのですか?」 「誰でも、解脱できるのだ。 だが、霊の教師(グル)の教えに従ってついていくことだ。 曲がりくねった道に踏み込んだら苦しいからね。 そして、解脱するのが随分と遅くなる。 この生涯では…