永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(18)
これまでの記事で、”「神性」こそが、私たち人間の真の本質、本性である”と書きましたが、このことに気づいている人達は、まだ極僅かであり、「人間」と「神」の間には、大きな分離や隔たりがあるというのが、一般的な感覚でしょう。
「人間」は被造物であって、創造者である「神」とは、イコールではない、というのが、一般的常識と言えます。
私たち人間は、表面的な物質次元の顕れである「身体」と「心(マインド)」を「自己」とし、それを「人間」と呼んでいますが、それは「自己」のすべてではありません。
しかしながら、現実的には、通常、私たち人間は、表面的に顕れている「自己」以外は見ておらず、それしか認識せず、知らないために、前回の記事でご紹介しましたが、「人間」(自己)を多次元的に理解・把握する機会は、日常生活では皆無であるため、己の中の「真の自己」(アートマン)が「神」であることに気づくことができません。
生まれてからこれまで、表面に顕れている「自己」である「身体」と「心(マインド)」以外の「自己」を知らないがために、「身体」と「心(マインド)」を「自分」だと見做すことが当たり前となっていて、多くの場合、「自己」の多次元構造についての知識や体験がないため、意識が表面的な「自己」に留まってしまっていることが、己の中の「神性」に気づかないでいる、気付くことができないでいる最大の理由と言えます。
表面に顕れている「自己」は、物質次元の「身体」と物質次元の世界に対する反応である「心(マインド)」であり、この次元だけが、私たち人間が、簡単に認識できる世界のすべてであるために、五感で認知し、脳が認識できる世界は、多くの人の場合、物質次元に限定されており、多次元的な存在である「自己」は、頭では想像(イメージ)できても、実体として実感することは、かなり難しいために、これが最も大きな原因となって、自分自身の中に、「神性」を見出すことができない、ということが、多くの人に起きています。
しかし、ひとたび、”自分は霊的な存在である”という意識変換が起こるような霊的な体験が起これば、人間の多次元構造への理解や己の最奥に静かに鎮座する「霊的な存在」である「アートマン」(真の自己)への理解が深まり、その人の中で、揺らぐことのない強固な真実となることは、間違いありません。
そのためには、手っ取り早い方法としては、「霊的な体験」が起きることですが、個人を”己の中の神性を悟る”方向へと導いてくれるような「霊的な体験」が起こるのを阻んでいる一番の原因は、スワミ・シヴァナンダが、次の文の中で指摘している通りです。
このことは、多くの聖者の方々も、古今東西、「人間」と「神」の間に生じている「分離(感)」の根本原因であることを一様にご指摘されていますので、”己の中に神を見出す”プロセスにおいては、乗り越えなくてはならない一番大きな障壁と言えるでしょう。
Man’s Downfall(人間の転落)
『人間は、願望、切望、感情、嗜好、思考の束であり、願望、意志、行為の寄せ集めである。
願望の火が消されると、人間は死に絶えてしまう。
人間は考え、行動する。
考えることは、真の行動である。
彼は、願望のモノを手に入れようと行動する。
彼は、目を閉じて、静かに坐るかもしれないが、これは無活動ではない。
彼の心(マインド)は、働いており、何かをしようと考えているかもしれない。
願望がある所では何処でも、行動がある所では何処でも、不完全がある。
願望は、不完全で有限の結果である。
人間は、有限で不完全であり、制限で満ちている。
人間は、彼の幸福や(地球上での)滞在のために、モノに頼っている。
彼は、外側のモノとの関係を維持しており、願望によって支配され、駆り立てられ、願望やモノの奴隷になってしまう。
願望は、人間を支配し、人間は、彼の顔を神から背ける。
人間は、彼の本質である神聖なる性質を忘れてしまい、自分を分離した個人であると考える。
人間は、無知と利己心のために、自分自身を絶対者から離してしまう。
それで、彼は惨めさを感じる。
人間は、彼の本来の神聖なる無限の性質を忘れてしまった。
人間が、利己心や分離感覚を消滅させるならば、願望や切望を無に帰するならば、自分自身を無限であると見做すならば、すべての制限や不完全さ、惨めさは終わり、彼は、不滅と永遠の至福へ到達するだろう。』
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
次回に続きます。
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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(17)
前回の記事では、「人間」は、身体、心(マインド)、霊(魂)の「三位一体」であるとご紹介しましたが、身体と心(マインド)は、自我意識で簡単に把握できますが、霊(魂)となると、その実体を掴んでいる人は、かなり少ないと言えるでしょう。
ヨーガに卓越した人々が、人間の構造の中で、「霊(魂)」について言及しているのは、彼らが、確かに、その実体を何らかの形で把握したからで、けっして、空想や想像、仮定によるものではありません。
もう一度、ここで思い出して頂きたいのは、以前にもご紹介しました「人間」を構成する<5つの鞘>です。(「人間五臓説と5つの鞘(層) - 永遠の人」)
『人間は 5 つのコーシャという鞘(さや)から成っています。
粗大な物質的な鞘(食物鞘)、プラーナ鞘(生気鞘)、心の鞘(意志鞘)、知性の鞘(理智鞘)、そして至福の鞘(歓喜鞘)です。
それらは、鞘が種子を覆っているように、アートマンを覆っているので、鞘と呼ばれます。
それらはひとつの上に別の層が連続して重なって形作られているかのように記述されています。
物質的な鞘は一番外側で、歓喜鞘が一番内側です。
アートマンは分離していて、 5 つのこれらすべての鞘から離れており、超然としています。』(聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く byスワミ・ラーマ)』
三位一体の内、「身体」は、5つの鞘では、”食物鞘”、”プラーナ鞘(生気鞘)”に相当し、「心(マインド)」は、”意志鞘”と”理智鞘”に相当します。
そして、「人間」を構成している層の最奥にある”歓喜鞘”は、「アハンカーラ」(我執、自我=”わたし”という想い、意識)と「チッタ」(心素=潜在意識)、微細生気「スークシュマ・プラーナ」で構成され、「カーラナ・シャリーラ」(原因体)とも呼ばれています。
この原因体である”歓喜鞘”が、私たち人間一人一人の質料因(何からできているかの原因)となっており、この”歓喜鞘”に包まれるかのようにその中心に、真我(アートマン)が鎮座し、真我(アートマン)自らが、生命力というすべての鞘に浸透する光を放っています。
これが、ヨーガにおける「人間」の設計図とも言える多次元構造、仕組みです。
この中で、真我(アートマン)だけが唯一、個別性(個々の性質)に左右されない普遍的な存在ですが、あとのすべては、個別性(個々の性質)に影響を受けています。
この個別性が、私たち人間の多様性を生んでおり、一人一人の個性の違いを生んでいる訳ですが、実は、これらの個別性に影響を受けている鞘は、すべて不活性な、それ自体は生命を持たないものであり、例えるならば、身体と心(マインド)は、真我(アートマン)から絶え間なく放出されている生命力という電力(電気エネルギー)によって、光り輝いている電球のような存在であると言うことになります。
(前回の記事でご紹介しましたスワミ・シヴァナンダの『数個の電球を通って流れる電流は、一つであり、同じであるが、異なる種類の電球のために、異なっているように見られる。』とは、そういう意味であり、電流と電球の関係は、人間を含む全生物に当てはめることができる仕組み、自然の法則(ダルマ)と言えます。)
電球が電球として輝くには、電流(電気)が必要不可欠です。
同じように、私たち人間は、真我であるアートマンなしには存在できません。
私たち人間が存在している、ということは、真我であるアートマンが、確かに存在しているという証でもあるのです。
(西洋の哲学者デカルトは、『我思う、ゆえに我あり』と提唱しましたが、インドのウパニシャッドの考えでは、『我あり、ゆえに我思う』です。
つまり、「我」の主体は、「個我」(ジーヴァ)にあるのではなく、「真我」(アートマン)にあり、「個我」(ジーヴァ)は、「真我」(アートマン)の生命力を受けて、「人間」として”生きている”のです。)
ヨーガにおける最終目的は、この真我であるアートマンを、己の中に見出すことです。
それは、同時に、「わたし」の中に、「わたし」を在らしめ、「わたし」を活かしている「生命力の源泉」である「神」を発見することでもあります。
Immortality of the Soul(魂の不滅性)
人間は、この身体ではない。
人間は、感覚でもなく、心(マインド)でさえない。
身体と心(マインド)は、変化、崩壊、死がつきものである。
不滅である真の自己、アートマンである本当の人間は、永久的な、けっして終わりのない、永遠の、生まれもしない、完全で古のものである。
あなたは、身体を持っているが、あなたは身体ではない。
あなたは、心(マインド)を持っているが、あなたは心(マインド)ではない。
身体と心(マインド)は、大工の工具のように、あなたの道具である。
この身体は、魂の召使い、道具であり、牢屋ではない。
身体は、輝く霊、内側のアートマンである自ら光り輝く魂の神殿であり、それが、心(マインド)と身体のすべての機能をコントロールし動かしていることを知りなさい。
あなたは、肉体の息ではなく、霊の息を呼吸しているのである。
死は、終わりなどではない。
死は、総合的な全滅を意味してはいない。
死は、連続の鎖を終わりにはしない。
身体における魂という働く行為者は、身体と共には死なないし、死ぬことができない。
人間の魂は、不滅である。
人間がオーバーコートを脱ぎ捨てるように、彼は死の際に、肉体を脱ぎ捨てる。
身体は、魂の抜け殻である。
魂は、身体という馬車を動かすものである。
身体が壊れても、霊は生き続ける。
それでも、あなたは、あなたの思考、記憶、意志力、微細体を持っている。』
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
『もし人、現世において、真我を知り得れば、そこに真理あり。
もし人、現世において、真我を知り得ざれば、そこに大いなる破滅あり。
賢者はすべての生類に絶対者ブラフマンを認め、此世を去りて不死と成る。』
(ケナ・ウパニシャッド)
次回に続きます。
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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(16)
今回から数回に渡り、「人間」をテーマに、ヨーガ的な観点からの「人間像」をご紹介したいと思います。
私たちは、「人間」、生物学的な分類では、ホモ・サピエンス(知恵のある人の意)であり、生物学的に言うと、『直立二足歩行によって、ヒトは体躯に対して際立って大きな頭部を支えることが可能になった。結果、大脳の発達をもたらし、極めて高い知能を得た。加えて上肢が自由になったことにより、道具の製作・使用を行うようになり、身ぶり言語と発声・発音言語の発達が起き、文化活動が可能となった。』(Wikipediaより)と表現される生物(動物)であり、現在地球上で、最も広く分布する生物種である、と言えます。
このような表現とは別に、「人間」に対するあなたが抱いているイメージは、どういうものでしょうか?
「人間」であるあなたが、「自己(自分)」として把握している「人間」とは、どのような存在でしょうか?
あなたが、抱いている「人間像」は、あなたが自分自身に対して抱いている「自己イメージ」でもあります。
そして、この「自己イメージ」は、そのまま、あなたの意識の反映でもあるのです。
これからご紹介しますスワミ・シヴァナンダの「人間」についての解説は、私たち一般人が抱いている一般的な「人間像」とは異なっているかもしれませんが、ヨーガ、或いは、ウパニシャッド(インド哲学)の世界では、「人間」をこのような存在として捉えています。
果たして、一般的な「人間像」と、ヨーガ的な観点からの「人間像」との間に、どのような違いがあり、また、どのような共通点があるでしょうか?
このヨーガにおける「人間像」は、「自己探求」や「自己実現」(Self-Realisation)における基本的な考え方であるため、この「人間」という存在の基本的な根本構造を理解することによって、全宇宙における多次元的な(多重構造的な)存在としての「自己」への理解が深まり、自己の本質であるアートマンへと至る道が、より明確となることでしょう。
Man(人間)
赤ん坊は、オギャーと泣く。
子どもは、飛び跳ね、踊り、おもちゃで遊ぶ。
学生は、本を持って歩く。
成長した青年は、学位を得る。
若者は、口髭をより合わせ、闘い、口論し、女性の後を追いかける。
彼は、名声と評判とを得ようとし、富を蓄え、子どもをもうける。
そして、年老いて、眼鏡をかけ、入れ歯をし、杖を使ってよろよろ歩く。
終に、彼は、ちょっと間をおいて、息を引き取る。
熱された鉄片の上にまかれた水の一滴は、シューという音をたてて、即座に気化される。
人間は、人生と呼ばれる短い期間の間、少しばかり音をたてて、たちまちの内に消えて行く。
人間とは、何なのか?
彼は、何になれるのか?
心(マインド)とは、何なのか?
何が、一番良い状態なのか?
これらについての学びは、実に有益である。
Body, Mind and Soul(身体、心、魂)
西洋人にとっては、人間は、単に、心(マインド)を賦与され、魂を所有している物質的な創造物である。
ヒンドゥーの人々にとっては、人間は、本質的には、心(マインド)を通して彼自身を表現している魂であり、物質次元上の機能の写しとして、身体をもっている魂である。
人間は、身体を持っている魂である。
人間は、本質的には、霊的な存在である。
人間は、生きる、それは、本質では霊であり、魂だからである。
人間の真の性質は、神である。
肉体と知性は、内なる魂に依存しているが、人間はそれについては、ほとんど知らないか、全く知らない。
霊を悟る(実現する)と、人間は、安心、確信、完全さ、自由、独立、不死、永遠の至福を達成する。
すべての人間は、生まれながらに、平等である。
一つのアートマンが、すべての存在の中に、等しく住んでいる。
意識の性質によって、すべての人間は似ているが、しかし、心(マインド)と命の性質によって、彼らは広範囲に分かれている。
数個の電球を通って流れる電流は、一つであり、同じであるが、異なる種類の電球のために、異なっているように見られる。
そう、人間も、心(マインド)と異なる種類の気質によって、異なっている。
人間は、身体、心(マインド)、魂の三位一体である。
意識は、心(マインド)と(肉体という)物質によって覆いをかけられている。
それ故、人間は、彼の本質的な神聖なる性質を悟る(実現する)ことができない。
人間が、心(マインド)と物質の束縛から解放されない限り、彼は、真の自己であるアートマンの智識を持つことはできない。
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次回に続きます。
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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(15)
己の内奥に内在している「真の自己」であるアートマンを悟る(実現する)ことは、私たち一般人にとっては、そう簡単なことではないとは言え、不可能という訳でもありません。(その一つの良いお手本として、ナーナ先生がいて下さいます)
個人個人の「意識の変容」のプロセスは、人それぞれですので、他者と比べる必要はありませんし、神が個人に用意して下さった個人のストーリーを比べることは、意味がありません。
その中では、必要な時に、必要なことが起きて、ストーリーは展開して行きますので、個人が、そのストーリーを創作することはできませんが、私たちは、人生において、努力や日々の訓練を続けることで、物事の展開が変化することも経験的に知っています。
(例えば、減量したいのであれば、適度な運動と適切な量の食事を摂ることで、その目的は達せられるでしょう)
心の底から願っていれば、その願いは、行動に表れます。
この世を動かしている因果の法則によれば、心にあるものが、行為となって表われ、そして、その行為は結果を生み、その結果である現象が、自分に返って来るということになっています。
ですから、良い種子を撒けば、良い実がなり、結果として、願いが成就する方向へと流れて行くと言うことになります。
ただ心の中で思っているだけでは、現象的な変化は起きず、結果として、何も変わって行かない、ということになります。
スワミ・シヴァナンダのような、ヨーガにおいて既に達成した人から発せられるメッセージに触れることは、心の中にある「自己実現」への気持ちを高め、集中して実践に取り組む姿勢や強い心を養ってくれます。
アーサナやプラーナヤーマ、瞑想も、意識的に、主体的に取り組むことで、もたらされる結果は、自ずと違って来ることでしょう。
そして、ヨーガの実践段階が進んだ人たちへの注意事項として、スワミ・シヴァナンダからの特別なアドバイスがありますので、ご紹介しておきたいと思います。
ヨーガが進んで、体、心、意識に変化が起き始めると、シッディという超人的な力が芽生えることがあります。
シッディにはいろいろあり、どのようなシッディが発現するか?は、人それぞれであり、一定の決まりがある訳ではありません。
ヨーガ修行が深まった時、クンダリニーが目覚めた時、それまでなかった超人的な力が芽生え、その力に動揺したり、狂喜する人もいることでしょう。
シッディは、ヨーガの道における進捗状況を確認できる一つの指標と考えることもできますが、ある意味で、神が人間に与える体験の中で、誘惑という最後の試練と言えるかもしれません。
神は、時に、人間に試練をお与えになったり、試されることで、その人の在り方を確認されることがあります。
ですから、もしシッディが出現したとしたら、自分の人間性がチェックされているのだと思えれば、誘惑という罠に嵌り、堕落へと下降する道を歩むことはないでしょう。
執着が、人間をこの地上に縛りつけているのですから、「自己実現(真の自己を悟る)」「神への回帰(神との合一)」という最終目的地へ到達するには、シッディをも手放し、あらゆる執着から解放され、自由になる必要があるのです。
Spiritual Growth Is Gradual(霊的な成長はゆるやかである)
『ヨーガにおいて成功に達することは、あらゆる人の力量の範囲内である。
必要とされていることは、誠実な献身、不断でむらのない鍛錬(アヴィヤーサ)である。
霊的な成長は、ゆるやかであり、段階的に前進する発達がある。
あなたは、偉大なるヨーガ行者(ヨーギー)の偉業を達成するのに、二、三カ月で、ニルヴィカルパ・サマディ(無分別三昧)に入ろうと、熱狂的に焦るべきではない。
感覚は、完全に征服されなくてはならない。
神聖なる徳が、養われなくてはならない。
悪い性質は、根絶されなくてはならない。
心(マインド)は、完全に制御されなくてはならない。
仕事は、途方もないものであり、骨の折れる仕事である。
あなたは、厳格な苦行(タパス)と瞑想を実践し、結果を我慢強く待たなければならないだろう。
あなたは、ヨーガの階段を、一段ずつ昇って行かなくてはならない。
あなたは、霊的な道を、一段階ずつ前進して行かなくてはならない。』
A Note of Caution(注意事項)
『ヨーガにおいて完成に到達した後、もし人が、世界の好ましくない不適切な風潮に、少しも影響されないのであれば、世界に入ることができる。
多くの人々は、世界の向上のための仕事という名目で、名声を求めて、彼らの低い力を実演するために、ヨーガの完成以前に、世界に入ってしまう。
彼らは、世間的な人間のレベルよりも更に悪いレベルにまで引き下げられてしまう。
もしヨーギーが注意深くなければ、もしヨーギーがヤマ(註①)、ニヤマ(註②)の初歩的な実践において充分に確立していなければ、彼は、無意識に誘惑-悪魔によって彼の理想から押し流されてしまう。
彼は、利己的な目的のために彼の力を使い、希望のない転落を経験する。
彼の知性は、盲目的になり、邪道に陥り、酔ったものとなり、彼の理解は、混乱したものになる。
彼は、もはや神聖なるヨーギーではなく、黒魔術師かヨーガの山師であり、ヨーギー達の群れの中の黒い羊である。
彼は、社会全体に対する脅威である。
多くの人は、体へのヒーリングやテレパシー、読心術やその他の偉大なる神通力(超能力)が得られるのは、ヨーガを通してであるため、プラーナヤーマや他のヨーガの訓練に惹きつけられる。
もし彼らが成功に到達すると、彼らはそこだけに留まるべきではない。
人生のゴールは、“ヒーリング”や“超能力”ではない。
彼らは、最高の高みに達することに、彼らのエネルギーを使うべきである。
ヨーガは、超能力を獲得するためのものではない。
もしヨーガの生徒が超能力を獲得する気になっているならば、彼の更なる進歩はひどく遅れ、道を見失うであろう。
最も高いサマーディを得ることに懸命なヨーギーは、超能力がやって来る度に、それらを拒絶しなければならない。
超能力は、神からの誘惑である。
これらの超能力を拒絶することによってのみ、人はヨーガにおいて成功に達する。
あなたは、少しばかりの一瞥や体験を得た時に、サーダナ(実践)を止めてはいけない。
あなたが完成に達するまで、実践を続けなさい。
実践を止め、世界の中で動き回ってはいけない。
例には、事欠かない。
数多くの人々が、破滅してしまった。
一瞥は、あなたに安全を与えることはできない。』
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
註①禁忌事項(1)アヒムサー(非暴力)(2)サティヤ(正直)(3)アステヤ(不盗)(4)ブラフマチャルヤ(禁欲)(5)アパリグラハ(不貪)
註②推奨事項(1)シャウチャ(清浄)(2)サントシャ(満足)(3)タパス(苦行)(4)スヴァーディヤーヤ(聖典読誦)(5)イーシュヴァラ・プラニダーナ(信仰)
次回に続きます。
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「ヨーガ」について、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine]」から抜粋してご紹介していますが、その中で、『神を悟るための四つの主な道は、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、ジニャーナ・ヨーガである』ことを、前回までの記事でご紹介しました。
その続きで、今回の記事は、アーサナ(体位坐法)やプラーナヤーマ(調気法)、瞑想を主に実践するラージャ・ヨーガ(アシュタンガ・ヨーガ)についてです。
神を悟るための方法としての「ヨーガ」が、ここでは、その実践手法の違いから、四つの「ヨーガ」に分類されてはいますが、これらの「ヨーガ」は、完全に分離・独立している訳ではなく、互いに深く関わっているため、同時に実践することが可能ですし、また、その方が、相乗効果は高いと言えます。
つまり、ラージャ・ヨーガを実践しながら、ジニャーナ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガを実践することは、「統合のヨーガ」として充分可能ですし、その方が、私たちにより多くの実りある結果をもたらしてくれる、とスワミ・シヴァナンダは仰っている訳です。
それは、『あなたは、濁りが取り除かれ、風によって波立たされた水が静かになり、表面にある苔が取り除かれた時にだけ、湖の表面にはっきりと自分の顔を見ることができる。自己実現(Self-Realisation)とは、そういうものである。』とのスワミ・シヴァナンダの御言葉の通り、己の「真の自己」(アートマン)として実在する「神」を悟るには、「意識における純粋性」を実現することが大切であり、この「意識における純粋性」は、「心における純粋性」と深く結びついており、「心における純粋性」は、身体(身体エネルギー)が清浄であることと、深く結びついていますので、「統合のヨーガ」は、直接的には「体・心・意識」における純粋性を高めることだと言えます。
『心(マインド)には、三つの弱点、マラ(不純)、ヴィクシェパ(混乱)、アバラナ(無知)がある。
不純は、カルマ・ヨーガの実践によって、取り除かれるべきである。
混乱は、ウパーサナ(礼拝)によって、取り除かれるべきである。
無知は、ジュナーナ・ヨーガの実践によって、破壊されるべきである。
その時だけ、自己実現(Self-Realisation)は、可能である。』
アーサナやプラーナヤーマ、瞑想を主とするラージャ・ヨーガの実践は、他の三つのヨーガと目的地は同じですが、更に、存在のエネルギー的な深層部に深く入り、「意識」の変容を促すため、存在の最奥の中心部に内在する「真の自己」であるアートマンを直接体験するには、非常に高い効果があると言えます。(この部分の詳細に関しましては、別の機会にご紹介したいと思います)
主に、アーサナやプラーナヤーマ、瞑想などの実践によるラージャ・ヨーガによってもたらされる心身に著しく顕れる効果について、スワミ・シヴァナンダは、次のように仰っています。
Benefits of Yoga Practice(ヨーガ実践の恩恵)
今日の生活は、ストレスと緊張、神経の苛立ち、熱情と慌ただしさに溢れている。
もし、人がヨーガの初歩的な訓練を少しでも実践すれば、彼は複雑な存在と上手くやって行く能力を、はるかに上手に養えるだろう。
ヨーガは、完全性、平和、そして持続する幸福をもたらす。
あなたは、ヨーガの実践により、いつでも心の穏やかさを持つことができ、安らかな眠りにつくことができる。
あなたは、エネルギー、活力、生命力、寿命、そして高水準の健康を増進することができる。
あなたは、短期間に、効率的に仕事をすることができる。
あなたは、人生におけるすべての道のりで、成功することができる。
ヨーガは、あなたに、新しい力、自信、独立心を吹き込む。
体と心は、あなたの言いなりになるであろう。
ヨーガは、あなたの感情を制御された状態にし、仕事中のあなたの集中力を増強する。
ヨーガの訓練は、平静や落ち着きを与え、奇跡的に人生を建て直す。
ヨーガ的な生活方法は、人の理解を深め、人に神、及び、人間と神との関係を知らしめる。
ヨーガは、無知から智慧へ、弱さから力強さへ、不調和から調和へ、憎しみから愛へ、欠乏から満足へ、有限から無限へ、分離から単一へ、不完全から完全へと至る。
ヨーガは、哀しむ人や惨めな人には希望を、弱い人には力を、病気の人には健康を、無知な人には智慧を与える。
ヨーガの鍛錬を通して、心、体、発言する器官は調和して一緒に働く。
ヨーガ実践者にとって、新しい前途、新しい健康、新しい気づき、新しい哲学が流れ込み、活き活きと彼の人生を変容させる。
力への切望、物質的な貪欲、官能的な興奮、利己心、富への情熱、低い欲望は、人を魂においては真の人生から物質的な人生へと引き寄せる。
もし人が、真剣にヨーガの原則を実践するならば、彼は失った神の栄光を取り戻すことができる。
ヨーガは、動物的な性質を神聖な性質に変え、彼を神の栄光と光輝の頂点へと引き揚げる。
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
次回に続きます。
Hari Om Tat Sat!
So ham !
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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(13)
前回の記事では、神を悟る(体験する)ための主な道(ヨーガ)として、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジュナーナ・ヨーガをご紹介しました。
これらのヨーガを通して、私たちが、真の自己として、私たち人間の内奥に内在していらっしゃる実在としての「神」を悟る(体験する)方向へと導かれることが可能となるのは、神は実在し、この世のあらゆるモノとして顕れているからこそですが、古今東西において聖者とされている方々ばかりでなく、同じく、「人間」として生まれて来た私たち一人一人にも、真の自己として内在する実在としての「神」を悟る(体験する)可能性は、等しく備わっています。
ただ、その可能性は、目に見える力として顕在化していないために、その力の存在に、全く気付いていない場合が多いと言えます。
自己実現が成就しないのは、ある意味、心の底から切望していないから、という見方もありますが、中には、心から切望しているにも拘わらず、その具体的、かつ効果的な方法がわからないという方々もいらっしゃることでしょう。
そういう方々のために、このブログでは、誰にでも内在する力を少しでも発揮し、己の可能性を開花させ、自己実現へと大きく飛躍するためのヒントとして、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」をご紹介しています。
これらの三つのヨーガについて、スワミ・シヴァナンダは、更に明快な言葉で解説して下さっていますので、ご紹介したいと思います。
The Yoga of Synthesis(統合のヨーガ)
一方に偏った開発は、感心しない。
宗教は、人間全体を、ハートも知性も手をも教育し、開発しなくてはならない。
その時だけ、彼は完成に達するであろう。
人は、意志、感情、思考の奇妙で複雑な混合物である。
彼は、自分の望みの目的物を所有することを望む。
彼は、感情を持ち、それで彼は感じる。
彼は、理性を持ち、それで彼は考え、推論する。
人によっては、感情的な要素が勝るかもしれないが、中には、理性的な要素が優勢な人もいる。
意志や感情や思考が、はっきりと分かれていないように、また、仕事、献身、知識も互いに限定されてはいない。
心(マインド)には、三つの弱点、マラ(不純)、ヴィクシェパ(混乱)、アバラナ(無知)がある。
不純は、カルマ・ヨーガの実践によって、取り除かれるべきである。
混乱は、ウパーサナ(礼拝)によって、取り除かれるべきである。
無知は、ジュナーナ・ヨーガの実践によって、破壊されるべきである。
その時だけ、自己実現(Self-Realisation)は、可能である。
もし、あなたが、鏡で自分の顔をはっきりと見たいのであれば、あなたは鏡の汚れを取り除き、その状態を維持し、そして覆いを取り除かなければならない。
あなたは、濁りが取り除かれ、風によって波立たされた水が静かになり、表面にある苔が取り除かれた時にだけ、湖の表面にはっきりと自分の顔を見ることができる。
自己実現(Self-Realisation)とは、そういうものである。
行為、感情、知性は、この身体という馬車につながれた三頭の馬である。
それらは、完全に調和して働き、その時だけ、馬車はスムーズに走る。
統合的な開発がなければならない。
あなたは、シャンカラ(註①)の頭、ブッダ(註②)のハート、ジャナカ王(註③)の手を持たなくてはならない。
統合のヨーガだけが、完全なる開発をもたらす。
統合のヨーガだけが、頭、ハート、手を開発し、人を完成に導く。
あらゆる方向に調和してバランスを取ることは、宗教の理想であり、統合のヨーガの実践により達成されることができる。
すべての存在の中に、一つの真の自己を見ることは、ジュナーナ、智慧である。
真の自己を愛することは、バクティ、献身である。
真の自己に仕えることは、カルマ、行為である。
ジュナーナ・ヨーギーが智慧に達する時、彼は献身と無私の行為を賦与される。
彼がすべての中に、ひとつなる真の自己を見る時、カルマ・ヨーガは、彼にとっては、彼の霊的な性質の自発的な表現である。
献身者が、献身において完成に達する時、彼は智慧と行動を持つ。
彼がどこにでも一つなる神を見る時、彼にとっては、カルマ・ヨーガは、彼の神聖なる性質の表現である。
カルマ・ヨーギーは、彼の行為が完全に無私である時、智慧と献身に達する。
三つの道は、実際には、一つであるが、その中で、三つの異なる気質が一つ、或いは、他の分離し難い構成要素を強調している。
ヨーガは、真の自己を見出し、愛し、奉仕することができる方法を提供している。
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
註①(8世紀に活躍した中世インドの思想家。不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した。)
註②(紀元前5世紀前後の北インドの哲学者で、仏教の開祖。)
註③(インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の登場人物で、インド神話最大の英雄の一人ラーマの妃シータの父。戦いにおいて勝つ望みがなくなった時、神々に祈りを捧げると、神々はジャナカに勝利を与えた。)
次回に続きます。
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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(12)
前回から、「ヨーガ」についてご紹介していますが、
私たちが「ヨーガ」と聞くと、先ず、ハタ・ヨーガの行法である「アーサナ」(体位坐法・ポーズ)やプラーナヤーマ(調気法)を思い浮かべる人が多いと思われます。
しかし、ここでは、「ヨーガ」の本来の意味が「統一」であることから、「神との合一」「神の直接体験」としての「ヨーガ」について、ご紹介しています。
現在、一般的には、アーサナやプラーナヤーマなどのハタ・ヨーガの行法が、「ヨーガ」として紹介されていることが多いとは言え、結果として「神の直接体験」「神との合一」へと導かれる方法であるならば、その方法は、「ヨーガ」と呼ぶことができます。
私たち人間には、それぞれ生まれながらにして、気質というものが備わっています。
例えば、音楽が得意な人もいれば、運動することが得意な人、考えることが得意な人、話すことが得意な人など、人それぞれの特性を持って生きています。
個人を構成する要素として内在しているこの特性は、自分の力で変えることはできません。
気質は違っていても、気質に優劣はありませんし、また、「ヨーガ」に向いている気質や、向いていない気質がある、ということもありません。
誰でも、自分の気質を活かして、その気質に合った「ヨーガ」を実践することは、充分可能です。
それぞれの気質に合った「神の直接体験」「神との合一」の方法としての「ヨーガ」について、スワミ・シヴァナンダの御言葉を、ご紹介したいと思います。
Yoga Is not Physical Exercise(ヨーガは体操ではない)
ヨーガが体操、或いは、ただのアーサナ(体位坐法)やプラーナヤーマ(調気法)などであるという初心者の考えは、恐ろしい過ちである。
ヨーガアーサナ(体位坐法)、プラーナヤーマ(調気法)、バンダ(ハタ・ヨーガの行法で、筋肉による締め付け)、ムドラー(ハタ・ヨーガの行法で、印相)、そしてクリヤ(クンダリニー覚醒技法)は、真のヨーガとは全く関係がない。
それらは、ヨーガの実践における補助と考えられている。
大抵の人は、体操レベルを超えたヨーガに触れてもいない、何故ならば、真のヨーガは、有能な教師の指導の元で、集中した思考と結合した集中した個人的な訓練とを必要とするからである。
ヨーガは、肉体を超えた霊的な恩恵を約束しているが、即時の成果と世俗的な繁栄をやかましく要求する一般人には、魅力的ではなくなる。
The Four Paths (四つの道)
神を悟るための四つの主な道は、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、そしてジュナーナ・ヨーガである。
カルマ・ヨーガ(奉仕のヨーガ)は、活動的な気質の人に適している。
バクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)は、献身的な気質の人に適している。
ラージャ・ヨーガ(瞑想を主とした八階梯のヨーガ)は、神秘主義的な気質の人に適している。
ジュナーナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)は、論理的で哲学的な気質の人に適している。
カルマ・ヨーガは、無私の奉仕の道である。
バクティ・ヨーガは、神に専心した献身の道である。
ラージャ・ヨーガは、自己抑制の道である。
ジュナーナ・ヨーガは、智慧の道である。
カルマ・ヨーガは、意志の訓練である。
ジュナーナ・ヨーガは、知性と理性の訓練である。
バクティ・ヨーガは、感情の訓練である。
意志は、神への完全なる帰依を通して、すべての行為を清める。
知性は、神の栄光と威厳を悟る。
感情は、神聖なる歓喜という至福を経験する。
三つの永遠なる道は、ジュナーナ、カルマ、バクティである。
神は、愛であり、善であり、真理である。
神は、帰依者によって、愛として経験される。
神は、カルマ・ヨーギーによって、善として経験される。
神は、ジュナーナ・ヨーギーによって、真理として経験される。
カルマ・ヨーガの実践だけが救済への手段であると主張する人々がいる。
神への帰依が神を悟るための唯一の方法だと考える人々がいる。
智慧の道が最終的な至福へ到達する唯一の道だと信じている人々がいる。
その他、三つのすべての道は、完成と自由をもたらすのに等しく有効であると考える人々がいる。
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