永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

クンダリニーについて(4)

クンダリニーという私たちの体に眠っている生命エネルギーの源の力(シャクティ)について正しく理解するために、この宇宙に満ち満ちている宇宙エネルギー、プラーナについて、正しく理解する必要があります。

 

気功などで知られている「気エネルギー」と「プラーナ」は、同じものでしょうか?

それとも、違うのでしょうか?

もし同じでないとすると、どう違うのでしょうか?

 

その辺りの解説をご紹介することで、よりプラーナ、そしてクンダリニーについて、理解が深まることと思います。

 

プラーナは、肉体感覚として掴むことができると、空中浮遊を成功させたヨーギーの成瀬雅春さんは、書いています。

 

どのように体感すれば良いのか?また、どのような体感なのか?見て行きましょう。

 

 

『では、プラーナの存在を、どうやって把握し、理解することができるのでしょうか。

プラーナは体感する、つまり肉体感覚でつかむことができます。

逆に、肉体感覚としてつかめないうちは、知識でどんなに「プラーナが判った」と思っても、本当に判ったことにはなりません。

いや、それはまったく判っていないのと一緒だと思ってください。

たとえば、日本食を食べたことがない外国人に、盛りそばやきつねうどんの味を言葉で説明しても、理解してもらうのは大変です。

いろいろな角度から、きつねうどんの味をさまざまな言い回しで説明して、さてどのくらい判ってもらえるかというと、ほとんど判ってはもらえません。

では、どうやれば判ってもらえるかというと、きつねうどんを実際に食べてもらうしかないのです。

美味しいとかまずいといった感想は別として、「きつねうどんとはこういうものだ」ということは、食べたとたんに判ってしまいます。

プラーナを体験するというのは、まさに実際にうどんを食べてその味を知ることと同じです。

夢の中で食べるとか、食べる真似をするというのとは違います。

ところが実際には、プラーナを体感せずにプラーナを理解したと思っている人が少なくありません。

だから、たいていの場合は自信を持って「プラーナを体感した」とはならず、「あれ、これはプラーナの動きかな?」とクエスチョンマークがついた感覚になってしまいます。

これでは、体感していることにはなりません。

うどんを実際に食べている人は、「これがうどんの味だ」とはっきり判ります。

決して「食べているのかな?」「こんな味なのかなあ?」という疑問は生じません。

そういう疑問を感じるのは、食べることを想像しているときや、夢の中で食べているときです。

同じようにプラーナを体感していない人は、判ったと思っても、どうしても「これがプラーナかな?」という疑念を拭い去ることができません。

逆にきちんと体感すれば、「これがプラーナだ」とはっきり理解することができます。

 

では、そのプラーナをどう体感すればいいのでしょうか。

そのために、まずプラーナを意識的に取り込む方法を説明しましょう。

プラーナは宇宙に満ちている生命エネルギーですから、誰からでもどこからでも取り込むことができます。

たとえば私が、誰か別の人からプラーナを取り込むとしましょう。

そのときに、その人の生命エネルギー(=プラーナ)は、私に取られたからなくなってしまう訳ではありません。

生命エネルギーがなくなってしまえば、その人は死んでしまいますが、取られた分のプラーナは、他の人や生物、物質などからその人に入り込んできます。

このことからも、「プラーナ=気」とする解釈が正確ではないことが判ります。

「気」については、「他人の気を奪う」とか「自分の気を弱っている人に与える」といった言い方をします。

しかし、それはあくまで人間が相手の場合に限られ、「椅子の気を養う」とか「時計に気を与える」という表現はありません。

しかし、「気」ではなく、「プラーナ」であれば、相手が椅子でも時計でも、与えたりもらったりするのはごく自然なことです。

人のプラーナを取り込んで、人にプラーナを与えることもできるし、椅子のプラーナを取り込んで、時計にプラーナを与えることもできます。

「すべてがプラーナに満ちており、プラーナでできている」と解釈することが重要なのです。

それが、プラーナを体感するときの手掛かりになります。

ただし、すべてがプラーナでできているとは言っても、どこからプラーナを取り込んだかで、感じ方がいくらか異なります。

人からプラーナを取り込んだときと、椅子から取り込んだとき、時計から取り込んだときでは、それぞれ手応えというか、感じが違うのです。

「粘り気が違う」という表現もできます。

それは、プラーナを与える場合でも同じです。』

(死なないカラダ、死なない心 成瀬雅春)

 

 

 

アストラル体(幽体)とは何か知りたい。

 

スワミ・シバナンダ

アストラル体とは微細体で、幽体とも呼ばれる。

我々の感知できる肉体と相対する形で、非感覚に我々の肉体の中に存在する。

その関係は、サッカーボールの表皮(肉体、物質界)と内側に層をなす内袋(アストラル体)に似ている。

肉体とアストラル体はそれぞれの部分で正確に呼応している。

五つの行為器官(手、足、口、排泄、生殖)、五つの知覚器官(眼、耳、鼻、舌、皮膚)、五つのプラーナ(アパーナ、サマーナ、プラーナ、ウダーナ、ヴィヤーナ)、さらにマインド、インテレクト、チッタ、ブッディ、アートマンとなる。

これを「多重構造」と呼ぶ学者もいる。

ヨーガでいうパンチャ・コーシャ(五つの鞘)の内、マノーヤマ・コーシャ(意識の鞘)ニャーナマヤ・コーシャ(知識の鞘)がアストラル体である。

死後に肉体から抜け出して天国に行くのはこのアストラル体である。

さらに、永遠不滅の存在(大いなる神)を知り、アストラル体も消滅したとき、人は輪廻転生のサイクルから完全に解放される。

 

 

>死の時、体のどの部分から魂は抜けるのでしょうか。

 

 スワミ・シバナンダ

生命エネルギーは、ナーディと呼ばれる管を通して体内を駆け巡っている

プラーナは流れを引き上げ、アパーナは下げる働きをする。

この働きが絶え間なく行われているから、我々の生命は維持されているのだ。

しかし、どちらか一方が弱くなった瞬間、そこが魂の出口となる。

アパーナが譲った時、魂は頭、鼻、口などから抜け出る。

プラーナが譲った時は肛門から出る。

 

 

>現世からの脱出が目標ならば、慈善事業や奉仕活動の意味はどこにあるのか。

 

 スワミ・シバナンダ

現世からの脱出がゴールではなく、世俗的なことからの解放こそが真の目的である。

霊的修行において、ある段階までは慈善事業や奉仕は相当重要な意味を持つ。

しかしある時点以降は、より高い純粋意識によってすべてが超越される。

慈善事業が大きな変革や人類の救世主になれるわけではない。

しかし慈善や奉仕を行う人は、奉仕という行為によって自分のエゴを宇宙の愛の祭壇にささげ、お返しに心の浄化を得る。

心の浄化は霊的な向上には不可欠なことである。

 (ヨーガと空の科学 スワミ・シバナンダ)

 

 

 

 

魔性の者たちはーー為(す)るべきことと

為(し)てはならぬことの区別を知らない

清らかさも無く 礼儀もわきまえず

不誠実 不正直である

 

彼らは言うーー『この世界は幻影であり

何の根拠もなく 神など存在しない

すべては性欲によって産まれ出たもので

そのほかには何もない』と

 

このような考えの結果として

彼らは堕落し 知性を失い

有害な恐ろしい仕事をして

世界を破滅させようとする

(バガヴァッド・ギーター第16章7-9)

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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クンダリニーについて(3)

前回、前々回と「クンダリニー」という私たちの肉体に宿っている生命エネルギーの根源の力(シャクティ)についてご紹介しましたが、今回も、その続きの内容となります。

 

クンダリニーとプラーナもエネルギーではありますが、両者の関係を今一度整理してみましょう。

 

クンダリニーシャクティを覚醒させ、空中浮遊を成功させた成瀬雅春さんの著書より、両者の関係を説明している文をご紹介したいと思います。

 

これを理解するだけでも、目には見えないけれど、確実に存在するエネルギーの世界についての理解が深まることと思います。

 

神秘の扉が通じている世界は、人間の目には見えないけれど、確かに実在しているエネルギーの世界なのですから、解脱のプロセスにおいては、このエネルギーの世界に踏み込んで行く必要があります。

 

それは、どのような世界なのか?

 

ヨーギーの智慧に与ることで、未知なる世界への理解を深めていきましょう。

 

 

『私たちは誕生から成長を続け、やがて老化して死を迎えます。

その間、無数の細胞が誕生と死にあった細胞はすべてなくなってしまっているのに、同じ変形をした自分が存在しているというのは、生命の神秘です。

誕生から間もない赤ちゃんは、身体が柔軟です。

まもなく首が据わりますが、これは柔軟度が減ることを意味します。

そして成長するにしたがって、さらに柔軟度が減っていくのです。

やがて大人になって成長が止まり、老化現象が表れてきます。

そして、必ず死を迎えます。

誰一人の例外もなく、このルートをたどるのです。

その神秘的な「人間」を存在させている構成要素を、物理学的には細胞、素粒子、原子、電子、中性子などと呼んでいます。

物理学は究極の存在を求めて日進月歩で進化し、タキオンクォークニュートリノレプトンなどいろいろな名前をつけては、さらに微細な存在を探し求めます。

その先に、前に述べた究極の素粒子ヒッグス粒子」があるわけです。

しかしヨーガでは「プラーナ」という概念で、そのすべてを言い表しています。

「宇宙のあらゆる構成要素はプラーナでできている」

というごく簡単な一言で、世界の究極の存在を説明しているのです。

究極の物質を追い求める物理学者をあざ笑うかのように、ヨーガではその問題を、はるか昔に解決してしまっているという訳です。

プラーナというのは、簡単に言うと、根源的な生命エネルギーのことです。

そのプラーナを取り込むことによって、人間は生きることができ、生活することができ、死ぬこともできるのです(生命エネルギーではありますが、プラーナは死ぬのにも使われます)。

生まれてきた瞬間から死の瞬間まで、肉体を持っている人間は、プラーナを使うことを一時たりとも休むわけにはいきません。

では、なぜそのプラーナが究極の存在なのか、それを説明していきましょう。

 

根源的生命エネルギーであるプラーナは、宇宙に満ち満ちています。

私たちはそのプラーナを取り込んで、活用することで生命活動を維持しています。

ただし「プラーナ」という概念については、やや誤解されている部分があります。

プラーナは一般的に「気」と訳されることが多いようですが、気という言葉では少し説明不足です。

インドのヨーガでいう「プラーナ」と「気」とは、イコールでは結べません。

なぜなら、気という概念は、たとえば道路や椅子、時計といった物質に対しては一般的には使いません。

「この椅子は気でできている」「この時計は気でできている」という言い方は聞いたことがありません。

しかしヨーガでは、そういうものもすべてプラーナでできていると考えます。

もちろん、いわゆる「気」に当たるものもプラーナです。

プラーナは、地球上はもちろん、宇宙に存在しているあらゆるものを形作っているエネルギーです。

動物、植物、鉱物、気体も全部含め、存在として考えられるものはすべてプラーナが作り上げている、と解釈されています。

ヨーガの呼吸法は、「プラーナヤーマ」というのですが、それはサンスクリット語で「プラーナをアーヤーマ(コントロール)する」という意味です。

プラーナという言葉の複数形は、生命を意味します。

また、生き物のことをプラーニン(プラーナを有するもの)と呼びます。

そしてアーヤーマという語には、「コントロールする」に加えて「伸ばす」「拡張する」「長さ」「幅」「規則的」などの意味があります。

つまりヨーガ呼吸法は、単に呼吸のテクニックだけではなく、生命エネルギーを拡張する、生命力を高めるための方法であるのです。』

(死なないカラダ、死なない心 成瀬雅春)

 

 

 

>善人が苦しむのはなぜなのか。

前世のカルマのせいだと説明される。

では、カルマは天地創造の日までさかのぼるのか。

 

スワミ・シバナンダ

カルマの法則は一種冷酷な法である。

前世の行動の結果は必ず刈り取らなければならない。

善人がより苦しい目に遭うのは、精神的な向上の道を急いでいるからである。

過去生の悪いカルマは急いで消化され一掃されねばならない。

今生で救済されたいと熱望しているからである。

神の叡智は、彼に巨大な忍耐という力を与えられた。

霊的求道者や善人は多くの試練にぶつかると、その苦しみの中に神の恩恵を感じて歓喜する。

むしろ試練を歓迎する。

この世の一番の幸せは、痛みや苦しみを味わうことである。

なぜなら、苦痛は神への開眼の扉となるからである。 

 

 

>慈悲深い神は、なぜ誠実な人を幸福にしないのか。

なぜ過去のカルマから救うことができないのか。

 

スワミ・シバナンダ

カルマは原因と結果というサイクルで回る車輪のようなものである。

いったん弓から矢が放たれると、矢を射た本人であっても引き戻せない。

同様に原因からくる結果は止められず、後ほど対処しなければならない。

プララブーダ・カルマ(前生で作られた原因カルマ)が今生で結果となって現れた場合、取り消すことはできず、経験されなくてはならない。

では、神は帰依者をカルマからいかに救うのか。

慈悲深い神はその恩寵で、求道者の意志の力を補強してくれる。

明るい笑顔でカルマに堪えられる強い意志を培ってくれる。

帰依者は、前生のカルマに翻弄されるまでは決してない。

見事に神の恩寵で守られる。

厳しい吹雪の日でも、暖かい服を着て、暖かい家の中にいれば寒さを感じない。

たとえ他人の目には、貧困や病気などで厳しい状況に見えても、神への信仰と熱愛によって神から守られた信者は、苦しみを感じない。

神に溶け込んで永遠の至福を味わう。

 

 

>スワミジ、どうすればカルマから解放されますか。

 

スワミ・シバナンダ

日々の暮らしや仕事に従事する時、自分が行為者ではなく、自分の行動も含めた、すべての出来事の傍観者であると感じるようにしなさい。

あなたの本質である霊性は、行動するあなたとは別のものであると理解する。

それがヴェーダンタの論理である。

同様に効果的で、簡単な方法がある。

それは、神のみがすべての行動の真の行為者であり、あなたは神の行為の道具にすぎないと感じること。

そうすれば、あなたの行動はすべて神を崇拝する行為となり、行為の結果に縛られることがなくなる。

行為に対する見返りをいっさい考えることなく、利己主義にならずに行動できる。

自分が行為を行うという考えを捨て、「行為者は、わたしではない」と感じるようにする。

そこであなたは、カルマの法則に縛られることがなくなり、新たなカルマも作らない。

プララブーダ・カルマ(過去生で作られ、現生を決めるカルマ)が消化されるのを待てば、いずれ解脱に至る。

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

思い上がり 尊大な態度 うぬぼれ

怒り 荒々しさ 無知

これらの性質は プリターの息子よ

魔性に属するものである

 

神聖 高貴な性質は人を解脱に導き

魔の性質は人を束縛にみちびく

だがアルジュナよ 心配するな

君は神性をもって生れてきたのだ

 

この世界には二種の創造物がある

一つは神性をもつ者 他は魔性のもの

神性については既に話したから

次に魔性について説明しよう

(バガヴァッド・ギーター第16章4-6)

 

 

 

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クンダリニーについて(2)

前回に引き続き、私たちの人体に眠っている生命エネルギーの源の力であるクンダリニーについて、もう少し理解を深めるために、日本のクンダリニー・ヨーガの第一人者でいらっしゃいます成瀬雅春氏の著書より、クンダリニーについての解説文をご紹介したいと思います。

 

クンダリニーシャクティ(エネルギー)を目覚めさせ、その力(シャクティ)により、空中浮遊を2回も成功させたご実績のあるヨーギーの自らの体験で得た智慧に与ることで、通常の感覚では掴むことができないクンダリニーについてより深く理解できるようになることでしょう。

 

霊的な真の目覚めは、クンダリニーが目覚めることであるとまで言われています。

 

この霊的で神聖な力(シャクティ)は、実体験する(目覚めさせる)必要がありますが、先ずは、クンダリニーについて正しく理解することが重要です。

 

 

サンスクリット語のプラーナという言葉の複数形は、「生命」という意味である。

単数形のプラーニン(プラーナを有するもの)は生きもののことを指し、ヨーガでは「宇宙に満ちている根源的エネルギー」とされている。

宇宙のあらゆる存在はプラーナで構成されていると言われている。

つまり、この宇宙で存在として認められるものは、すべてプラーナというエネルギーで構成されているのだ。

だとすれば、当然、人間の存在もプラーナで成り立っていることになる。

そして、その根源的エネルギーであるプラーナが、人体内で超常的能力として活性化することを「クンダリニーの覚醒」という。

クンダリニー(kundalini)は、コイル、螺旋、巻き毛などを意味するサンスクリット語のクンダラ(kundala)という名詞から出た、「クンダリヌ(kundalin)螺旋を有するもの」の女性形主格である。

クンダリニーとクンダリー(kundali)は同じ意味であり、日本に入って「軍荼利明王」となった。

クンダリニーは、その「螺旋を有する」という意味から、3回半とぐろを巻いた蛇が眠っている姿がイメージされている。

蛇は生命力の象徴として扱われるところから、根源的生命エネルギーという意味合いもある。

よって、根源的生命エネルギーをもった蛇が3回とぐろを巻いた姿で眠っている状態が、クンダリニーということになる。

クンダリニーシャクティサンスクリット語で、シャクティ(sakti)は、動詞語根(sak)の「~する力をもつ」「~することができる」という言葉から派生している。

英語訳は「サーペントパワー(蛇の力)」である。

一方、クンダリニーパワーエネルギーは、英語の「パワー」「エネルギー」にサンスクリット語を組み合わせた、クンダリニーシャクティの別の表現である。

まとめると、プラーナは「宇宙に満ちている根源的エネルギー」であり、クンダリニーは、プラーナが人体内に「根源的生命エネルギー」として、3回とぐろを巻いた蛇の姿をとって眠っている状態のことである。

そして、その蛇の中に潜んでいる「宇宙根源力」をシャクティというのである。

宇宙根源力を象徴した神様は、シヴァ神のお妃「シャクティ女神」である。

したがって、「プラーナ」「クンダリニー」「シャクティ」という3つの言葉は、時として同じ意味合いで使われるが、間違いではない。

 

一般的に、クンダリニーという言葉はなじみ薄いが、たとえば火事場の馬鹿力のように、常識を超えて発揮される力はクンダリニーエネルギーである。

また、肉親の死や親しい人の不幸といった夢を見たのが現実となったという正夢も、特に超能力者でない普通の人にもあることだが、これもクンダリニーエネルギーの一つの現れ方である。

それから、出産時のショックや交通事故等によって肉体が受けた衝撃でクンダリニーが覚醒してしまうこともあるが、そういう場合はその後の社会生活が困難になる。

幻覚を視たり幻聴を聴いたりする程度ならまだしも、半身不随になったり精神病院に入院することになるケースもある。

クンダリニー・ヨーガの流派の中には、外的なショックを与えてクンダリニーの覚醒を促すという修行法を実践しているところもある。

そうすると、クンダリニーは簡単に覚醒してしまうが、事故と同じ状況に陥ることになるので非常に危険である。

危険なだけでなく、本来目指している「解脱」から遠ざかってしまうので、まったく無意味である。

すべての準備がととのうまで、クンダリニーを覚醒させるべきではない。

それまでにはいろいろな要素が必要だが、その中でもっとも重要なのは、徳のある人格者となることである。

人間として未完成なのに、クンダリニーだけ覚醒しても意味がないのだ。』

クンダリニーヨーガ 成瀬雅春)

 

 

 

>すべてが神により前もって決められているのならば、人はなぜ努力するのか。

失敗も神の意志なのか。

我々は受ける資格のあることだけを受けると聞く。

ならば我々が望んでも、値しないことは受けられないのか。

この懸念が自分では晴らせない。

 

 スワミ・シヴァナンダ

すべてが前もって運命づけられていることは本当だ。

大いなる神の意志によってすべては起きている。

一方、神は人間に自由意志をも与えられた。

善をなすか悪をなすかの裁量権である。

ブレイヨ・マルガ(即刻の快楽の道)とスレイヨ・マルガ(究極の善の道)である。

神の恩恵なくして、悟ることもできない。

神の恩恵を得るためにはプルシャッタ(自助努力)をすることだ。

『ヨーガ・ヴァシスタ』にも述べられている。

かかわった仕事に成功するか失敗するかは、神の恩恵の結果でしかない。

努力し、すべてを受け入れ、沈黙の目撃者たれ。

神のなせるミステリーを楽しめ。

人は、受けるに値することだけ受け取る。

それ以上でも以下でもない。

神の法則は人間社会の人の作った法律とは異なる。

神の法則、判断は最後の審判であり、質問の余地がない。

賄賂は通用しない。

神の法は完全で公平で全人類のため、個人のため、神の創造物すべてのために適用される。

神は自ら助くる者を助く。

ただし、その人の願いが神の意志と合致していることが必要である。

ゆりかごから墓場まで

生から死まで、神の気付きから永遠に安らぐまで、人のなすべきことは、努力、努力、努力である。

人事を尽くしたら、結果は気にせず、神にすべてをゆだねる。

そこで神の叡智が働く。

 

 

 

>長年サットサンガに参加し、ジャパ(誦経)と瞑想をしているが、神の認識が確信できない。

家族、地位、世事、お金へのモハ(思いこみ)がある。

どうしたらいいものか。

 

 

 スワミ・シヴァナンダ

モハ、マーヤ(幻影)、はパワフルである。

ある人の場合、前世のサムスカーラ(潜在印象)が大変強く現在の修行の効果が現れにくい。

サットサンガ、ジャパ(誦経)、瞑想などは疑いもなく大いに霊的修行のために役立つ。

しかし、神については無知のベールが余りにも分厚くて、ジャパや瞑想の力では突き抜けることが難しい。

あなたの今のジャパや瞑想は、来生の良いサムスカーラを作っているに過ぎない。

今から聖典、経典を学習し、アートマ・ヴィチャーラ(ブラフマン探求)を同時に行い、ヴィヴェーガ(識別智)を深め、ヴァイラーギャ(離欲)を心掛ければ、霊的修行のスピードは猛烈と早まるであろう。

離欲と神認識の学習は絶対に欠かせない。

これらをなおざりにして、サットサンガ、ジャパ、瞑想だけを続けてもすぐに結果は期待できない。

この世のマーヤ(幻影)は強大な力で迫ってくる。

断固とした自己放棄、離欲、禁欲と公平無私の生き方を貫いてこそ、マーヤを消滅できる。

この世はブラフマンの幻影にすぎない。

それを知ること。

すなわち大いなる神に目覚めることである。』

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

無恐怖 清らかな生活

霊的知識の養成 研究 慈善

自己抑制 供養 経典・聖典の学習

性的清浄 簡素な生活

 

非暴力 正直 怒らぬこと

離欲 平静 他人の欠点を探さぬこと

口煩さく小言を言わぬこと 生物に思いやりをもつ

物事を熱望しない 柔和 謙遜 果断

 

気力充満 寛容 不屈 清潔

羨望心や名誉欲がないことーー

アルジュナよ 以上のような高貴な性質は

神に向かう人々に属するものである

(バガヴァッド・ギーター第16章1-3)

 

 

 

 

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☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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クンダリニーについて(1)

宇宙エネルギーであるプラーナについて、数回にわたりご紹介してきましたが、今回は、私たちの内部に眠っていると言われています生命エネルギーの源であるクンダリニーについて、ご紹介したいと思います。

 

日本では、あまり知られていないクンダリニーですが、インドで発祥したヨーガでは、クンダリニーを目覚めさせることが、ヨーガの目的の一つとして考えられているほど、よく知られた存在です。

 

これまでと同様、スワミ・シヴァナンダの著書からの抜粋を引用させて頂きますが、ここに書かれていることは、比喩でも例え話でもなく、実際に存在するものを、その存在を知らない人々にも理解できるように、言葉を使っての説明となっています。

 

クンダリニーという生命エネルギーの源の力が目覚めないと、本当の意味での霊的な意識は目覚めない、と多くの聖者が語っています。

 

それでは、クンダリニーとは、一体どのようなモノなのでしょうか?

 

クンダリニーは、誰にでも眠った形で内在していますが、そのことに気づいている人は、極少数です。

 

眠った状態で内在しているクンダリニーは、目覚めさせ、体験することが必要ですが、ここでは、知識として、どのようなモノであるか?について、簡単ではありますが、ご紹介したいと思います。

 

 

クンダリニーは、蛇がとぐろを巻いたような姿で、尾てい骨の下、肛門の上にあるムーダーラーダ・チャクラ(根の力の中枢)に、顔を下に向け、三回半とぐろを巻いて眠っている状態にあり、サーペント・パワー(蛇の力)とも呼ばれている。

クンダリニーはプラーナとつながり、プラーナは心とつながっている。

チャクラとは体内にある各エネルギー・センターを指す。

知識の道を辿るヴェーダンタの人びとも、クンダリニーの力の覚醒を通じて初めて超越意識を達成するのである。

ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ニューナ・ヨーガのいずれも、この根源のエネルギーの覚醒なしには、サマーディ(三昧)あるいは、宇宙の真理と一体になる超越意識、超常能力への到達は不可能である。

世俗的な情欲と欲望が実際になくならなければ、クンダリニーの力とエネルギーは目覚めない。

シャクティ(力)を揺り動かす、打つ、動き回る、などがクンダリニーを覚醒させるのに役立つ。

強く動かす、はクンダリニーをさらに上昇させるのに役立つ。

クンダリニーの力が目覚めると、脊髄のなかにある、スシュムナー管を勢いよく上昇する。

するとすべての知覚が精神的空間の中で起きるようになる。

クンダリニーが目覚めた後、プラーナは、脊髄の中にある気道の流れ、プラフマ・ナーディーのスシュムナー管を、心とアグニと呼ばれる火を伴って、上に向かって昇る。

その時体に灼熱を感じる。

こうしてヨーギーは、肉体意識の呪縛から解き放たれ、物質世界から自由になれる。

初めてクンダリニーが目覚めるとすぐに、ヨーギーは短期間に、次の六つの経験をする。

アーナンダ「神聖な歓喜」、カムパナ「体のさまざまな部分の震え」、ウドバーヴァ「地面からの浮上」、クールニー「神聖な酔い、体は丸く動く」、ニドラー「眠り」、ムールッチャー「気絶」。

クンダリニーが目覚めた後、頭頂部のサハスラーラ・チャクラまで上昇させなければならない。

クンダリニーが下のチャクラ(エネルギーの中枢)から上のチャクラへ動く時、それぞれのチャクラの扉を開けて進んでいく。

ヨーギーはそれぞれのチャクラごとに別の種類のアーナンダ(至福)を経験する。

種々の超常的能力を得るとともに、さまざまな体験をする。

地水火風空の五大元素の支配ができる力を得る。

宇宙を、細やかな本来の姿で感知できるようになる。

さまざまのコーザル、原因体レベルの完全な知識を取得する。

クンダリニーがサハスラーラ・チャクラに到達すると、チダーカーシャという無限の智識としてのブラフマンに入る。

チャクラが開くと輝く光を発するが、超常的で常人の目には普通見えない。

 

からだには7つのチャクラ、いわゆる精神エネルギーのセンターが存在する。

一番下が肛門付近にあるムーラーダーラ・チャクラ(根のチャクラ)で、ここには蛇のようにとぐろを巻いてクンダリニーの力が眠っている。

その少し上にスヴァーディスターナ・チャクラ(脾臓のチャクラ)、次が臍にあるマニプーラ・チャクラ、心臓部にあるアナーハタ・チャクラ、喉にあるヴィシュッダ・チャクラ、眉間にあるアージュナー・チャクラ、頭上のサハスラーラ・チャクラである。

ラージャ・ヨーギーは眉間のアージュナー・チャクラに心を集中する。

このチャクラは目覚めている時に心がある場所で、ここに心を集中すれば、容易に心を支配できる。

ある人は、瞑想で精神集中していると「光」を見ることがある。

宇宙として顕われた神を瞑想しようとする人や、世界を助けたいと思っている人は、ここに心を集中するとよい。

修行者は、感情の中心であるハートに心を集中するとよい。

ハートに心を集中する人は大きな歓びを得る。

ハタ・ヨーギーは心を脊髄の中央の気の流れる管、スシュムナー・ナーディーに集中する。

と同時に、ムーラーダーラ・チャクラ、マニプーラ・チャクラ、アージュナー・チャクラの集中する。

あるヨーギーは体の下部にあるチャクラを無視し、アージュナー・チャクラだけに心を集中する。

アージュナー・チャクラを支配すれば、下のチャクラも自然に支配できると考えている。

チャクラに心を集中すると、まず心とチャクラの間に糸のようなつながりができる。

こうして覚醒された力は、スシュムナー管を経て、チャクラからチャクラへとスシュムナー・ナーディーを上昇する。

この上昇は忍耐強く徐々に行うことが重要である。

スシュムナー管の開口部がかすかに揺れるだけでも、表現しがたい大きな歓びを感じ、至福に酔い、俗世を全く忘れる。

スシュムナーの開口部が少し開くと、クンダリニーの力がスシュムナー管に入ろうとする。

その時強い放棄と離欲の思いが起こる。

恐れが全くなくなり、さまざまなヴィジョンを見ることが多い。

そこで表現しがたい内なる輝きを見る。

これをヨーギーの「心の存在しない状態」と呼ぶ。

いろいろな超常能力、さまざまな歓喜、さまざまな知識が、チャクラが開かれることによって得られる。

ムーラーダーラ・チャクラを支配すれば、地を支配したのである。

マニプーラ・チャクラを支配すれば、火を支配し、火の事故はなくなる。

下から五つのチャクラは、地、水、火、風、空の五大元素を支配している。

しかしクンダリニーの覚醒など、高度な技術は、必ずヨーガに熟練したグルの丁寧な指導のもとで学ばねば危険を伴うので、むやみに我流でやらぬよう注意を喚起しておく。』

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

>グルの恩恵があっても、心のコントロールができないのはどうしてか。

 

スワミ・シヴァナンダ

「自助努力(プルシャッタ)して初めて、神の恩寵・恩恵が得られるのである。

入学試験で、教授が答えを教えて合格させてくれるわけではない。

「ギーター」に「自分を高めるべし。神の恩恵は自助努力する者を助ける」と記されている。

自分を救う道は自分の努力で見つけるしか方法はない。

では「恩寵とはいったい何なのか」と問うかもしれない。

たとえば、ある修行者がグルから手紙を受け取り、日頃の疑問が解ける。

それが恩寵である。

求道者がシバナンダ・アシュラムを訪れ、ガンガーで沐浴し、アシュラムの講義を聴くことができる。

それが神の恩寵である。

何千何百万ルピーを持った金持ちたちも、聖なるガンガーで沐浴したいと願っている。

しかしすべての願いが叶えられるわけではない。

あなたがここに来られたというのはラッキーで、それは大いなる神の愛の成せるわざである。

精神を向上させる書物との出会いも恩寵である。

健康に恵まれて努力が続けられるのも恩寵である。

神が望めば、一瞬にして全世界を救済することも可能であるが、神はそうはしない。

努力する者にのみ、神の愛は自然に流れ込む。

すべて恩寵である。」

 

>超越した世界のことなど求めなくとも、誠実で、思いやりを持ち、正直に社会の幸福のために働き、善良な人間として死ねば、それでよいのではないか。

 

スワミ・シヴァナンダ

「人生を誠実に生きて死んだら、あなたは聖人としてではなく、善良な人としてだけ死ぬことになる。

それでは、解脱(モクシャ)することはできない。

善良な人間は数多くいるが、覚者と言える人の数はごくわずかである。

真の求道者と呼べる人でさえ、最近は稀である。

あなたが言う「善良な人」のカテゴリーの中でも、善良の度合はさまざまである。

たとえば、ガンジーのように善良な人が何人いるであろうか。

善良な人とは、どういう人を指すのか。

正直で、誠実、人を思いやり、敬虔な人たちのことかもしれないが、彼らも本質的には自己中心的である。

財産を貯めるのも、自分の妻や子供たちのためのであって、他人の子供も自分の子供同然と考えているであろうか。

町で甘い菓子を買い、最初に他人の子にそれを食べさせる人がいるだろうか。

善人でもそのようなことはしない。

それはすべてが一つだという宇宙真理を知らないからだ。

この真理が認識されない限り、どうして離欲や本当の意味の無私の奉仕が実行できようか。

善良な人間になろうという理想は、動物本能の悪い生き方よりは勝る。

しかし、善良な人間になるという理想は、大きな目標到達への一段階でしかなく、目的そのものでは決してない。

最終的な目的は、神を知って解脱することである。

神への第一歩として人は、善良であり、善を成すべきである。

さらに、真理を識別する力、離欲、正しく生きる態度を養い、瞑想、ジャバ(誦経)、キルタン(讃歌)、経典の学習をする。

そうすれば霊性が高まり、神の恩寵により、最終目標に到達することができるであろう。

途中で留まっては意味がない。

 

>スワミジ、なぜ解脱を求める必要があるのですか。

 

スワミ・シヴァナンダ

「解脱について理解するためには、サットサンガに参加し、聖典を学ぶ必要がある。

さまざまな欲望や悪いサムスカーラ(潜在印象)で曇った知性は、解脱の重要性すら自覚できない。

そういう知性は有害である。

『バガヴァッド・ギーター』を読み、サットサンガに参加しなさい。

聖者やスワミの話を聞きなさい。

そうすれば、真実を識別できる心(ヴィヴェーカ)が生まれる。

やがてこの世が、苦痛、悲しみに満ちていることが見えてくるだろう。

家や車の所有、社会的地位や財産、高い給料だけでは心は満足しなくなる。

そこで求道心が芽生える。

神の意識を悟りたいと願うようになる。

あなたをがっかりさせない、永遠の幸せを手に入れるためには解脱が必要である。」

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

わたしが至上者であることを知る者は

迷わぬ者であり 全てを知る者である

アルジュナよ 彼は全身全霊をもって

わたしを礼拝しわたしに仕えるのだ

 

罪無き者よ いままで教えた真理のなかで

最も神秘な部分を今 わたしは話した

これを理解する者は誰でも賢明になり

やがて究極の目的を達するであろう

(バガヴァッド・ギーター第15章19-20)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

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☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(9)

これまで、何回にも渡ってこの私たちの肉体に宿る生命エネルギーであるプラーナについてご紹介してきましたので、プラーナとは何なのか?について、以前より格段に、理解が深まったことと思います。

 

プラーナについて知ることは、意識が、この物質次元から、より微細なエネルギー次元へシフトしていくことに繋がっていき、やがて、それは、個我の最奥に存在するアートマン(真我)そして、更には、宇宙エネルギーの源である至高の存在であるブラフマン(宇宙我)へと至る一連のつながりの発端を掴むことに繋がっていくことになります。

 

この物質世界に、一時的に現れては消えていく「表面上のわたし」は、プラーナ(生命エネルギー)に生かされている肉体と心を使って、この世を経験していますが、このプラーナ(生命エネルギー)と肉体と心の関係を、スワミ・シヴァナンダが、著書の中で、とても分かり易く解説して下さっていますので、ご紹介したいと思います。

 

 

『この世には二つの主要な物質がある。

それは「心」と「プラーナ」(生命エネルギー)である。

プラーナのあるところには、必ず心も存在する。

鼻から出た、体外の息の動きの中にさえ、心は交り合っている。

プラーナというエネルギーは、いわば心の外側の覆いなのである。

プラーナは食物を消化し、血液をつくり、栄養や脳や心に送り出している。

これによって、心は考えることができ、宇宙の真理、ブラフマンの探求を行うこともできるのである。

微細なプラーナの波動によって心は命を保ち、このお陰で人間は思考することができるのである。

精妙な心に対して、プラーナは少し粗大なものからできている。

心は、五大元素の中でもサットワと呼ばれる微細で純粋な部分が集まって形成されている。

これに対して、プラーナは五大元素のラジャスと呼ばれる活動的な部分が集合して形成されている。

まず、アンナマヤ・コーシャと呼ばれる肉体の鞘があり、次にプラーナマヤ・コーシャと呼ばれるプラーナの鞘が、肉体の鞘に重なるように、より広範囲に存在する。

さらにマノーヤマ・コーシャと呼ばれる心の鞘があり、プラーナの鞘より細やかである。

肉体的に他人に影響を及ぼそうとする場合には、直接相手に接触しなければならない。

しかし、プラーナの場合には、遠くにいても送り出すだけで、その生命エネルギーを他人に与えることができる。

プラーナは肉体より微細にできているためである。

何千キロ遠く離れていようと、そのこと、その人を考えるだけで、精神的に影響を与えられるのである。

 

プラーナと心は、互いに支え合うという関係にある。

それは、花とその香り、ゴマの種とゴマ油のような関係と考えるとわかりやすい。

もし一方がなくなれば、他方も存在しない。

心とプラーナの両方が存在しなくなれば、考えや想念というものも生じない。

心には、集中した状態と完全に鎮まって制御された状態がある。

純粋で静寂な要素によって浄化されると、プラーナは全身くまなく行きわたり、食べ物は完全に消化される。

 

プラーナヤーマ、すなわち、プラーナの制御、呼吸のコントロールは、精神力を高め、思考を深め、精神を豊かにする。

さらに、精神集中と瞑想を助ける。

心はしっかりと落ち着く。

プラーナヤーマによって、心は次第に粗大なものから精妙なものを感知するようになる。

だから、不必要な性的興奮を健全なかたちで抑制できる。

もし雑念が湧いて来たら、すぐに蓮華座で坐り瞑想する。

すると雑念はたちどころに消え去る。

 

我々の内面は、いくつもの層からなっている。

まず一番外側の層に言葉があり、その内側に視覚がある。

視覚は矛盾なく目でみた対象の印象を伝えるけれども、あたかも貝の真珠層を銀と見間違うことがあるように、視覚には錯覚がある。

一方、聴覚は視覚よりももっと内側にある。

なぜならば、耳はありもしない音を聴くことはないからだ。

また、耳は心の注意が向いたときにだけ機能する。

その心はプラーナに依存している。

プラーナは、アートマンに最も近いすべての一番奥に存在する。

ある時心は肉体から離れた。

その一年後、肉体に戻った時、心は感覚器官に尋ねた。

「私がいない間、どうだった?」そこで感覚器官は答えた。

「考えなしの幼児のように、ただ呼吸器官で息をし、口で物をいい、目で見、耳は聞いていただけだった」。

心は元の場所に戻り、次にプラーナに同じ質問をした。

プラーナは答えた。

「あなたは感覚器官を支配できると思っているが、私の支えなしにその能力をどうして発揮できようか」。

心はプラーナによって働き、プラーナからすべてが生じる。

この話は、プラーナが心や他の感覚器官より優位に立っていることを物語っている。』

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

『<質問者>

霊的向上の証を見たい。

どうすれば人の精神性の高さを知ることができるか。

 

<スワミ・シヴァナンダ>

霊的(スピリチュアル)向上の現われは、心の平和、陽気さ、満足、冷静さ、あらゆる状況下でも恐れを知らず、平静である、などでわかる。

精神的成長、霊性の高さはサイキックパワー(超能力)の有無では推し量れない。

霊的向上の度合いは、瞑想の時の至福感の深さでわかるものだ。

次の項目を自問自答してみよう。

 

・日々、内なる霊的修行と肉体的修行に興味が深まってきたか。

・あなたの意識は、世俗の楽しみより精神生活の方向に大きな歓びを感じ始めたか。

・求道者でないと得られないような、心の安らぎや力強さを得たと感じ取れるか。

・真理を識別する力が徐々に増したと感じられるか。

・自分の力を超えた、全知全能の神の意志と知性の働きを感じ取れるか。

・日々違った視点から物が見られるようになったか。しっかり地に足が着いたと感じるか。

・永遠不滅の神との密接な繋がりを確信できるか。

 

「はい」の答えが一つでもあれば、あなたは直実に霊的な向上の一途をたどっている証だ。

 

 

<質問者>

科学は正確にどう構築されてどう発展するかが明らかだ。

ヨーガの実践で、求道者の修行の進み具合を量る的確なしるしはあるのか。

たとえば、ヨーガ実践三カ月後、一年後、その後などに起こる経験の種類を知りたい。

 

<スワミ・シヴァナンダ>

それぞれのヨーギは異なる経験をする。

たとえば熱心にプラーナヤーマ、ハタ・ヨーガ、クリヤ・ヨーガをすることで、それぞれの段階に応じてサイキックな体験をする。

エーテル体の光を見たり、アナハタ・チャクラ(心臓のチャクラ)の音を聞いたりする。

高い段階に達したヨーギは、クンダリニーがチャクラからチャクラへと通過する時、ある確固とした実証可能な経験をする。

理由は、それぞれのチャクラには特定のタットヴァ(実在)があり、各自司る分野を持つ。

そのために特定の体験が現れるのである。

同様に、タントラ・ヨーガ(密教ヨーガ)の修行者は、霊的な体験の結果をはっきりと図表で示している。

修行法によって各自特有のシッディ(サイキック・パワー)がもたらされる。

同じ修行法を会得したヨーギは皆同じ経験を得る。

しかしこれらは下のクラスの経験である。

サイキックな経験は必ずしも修行者の精神的前進を示すものではない。

滂沱の涙を流すなど、バクティ・ヨーガの修行者の驚くような体験もある。

変った体験は必ずしも精神的な進歩を示すものではない。

精神世界の領域にいると、そこは無限の世界だ。

無限がヨーガであり、経験でもある。

各人のヨーガはそれぞれ異なる。

過去生からの潜在意識と潜在欲望を持って生まれており、それぞれが自分なりに努力して最終ゴールの神へ向かって進む。

たとえば、霊的修行が進んで超越意識、無限、永遠不滅の神に近づくと、求道者は絶大な内面の平安を感じ、言い表し難い至福に浸る。

周囲の出来事にもほとんど影響されなくなる。

のみならず、周りの人々へ至福と平和の気持ちを放射できる。

善き人となり、善きことを広める。

これが精神的に前進したかどうかの一番明らかな兆しだ。

神は完全なる善である。

神へ一歩近づいた求道者は、その分だけ善が強くなる。

悪の面は徐々に消えて純粋な徳に置き換わる。

この重要な面が欠けていると、超常的な物が見えたり聞こえても、無用の長物でしかありえない。

悟ったヨーギは、そばにいるだけで人々を善の人生に導くものである。

ヨーギのハートは宇宙の純粋な善に満ちあふれ、そのためすべてに無私の働きをする。

これがお尋ねの、ヨーガにおける進歩の度合を示す事象である。

とにかく究極の体験をする。

それは言い表しがたいものだ。

心の平和、至福、乱されることのない静寂、これも進歩の度合を示す。

究極は神と合体することである。

善をなし、徳をつんだ上で、絶え間ないヨーガの瞑想を続けることだ。

ヨーギが神と合体したと感じる経験は、どの言葉でも言い表すことはできない。

言葉を超えた体験である。

言葉を超えた世界がそこにはある。』

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

これら二つのものを超越して

至高の大霊が実在する

それは至上我(パラマートマー) 不死不滅の主自身であり

宇宙三界に入って全てを支えている

 

わたしこそ滅不滅を超越した

その最も偉大な実在者である

わたしは全世界から またヴェーダから

至上主とよばれ崇め讃えられている

(バガヴァッド・ギーター第15章17-18)

 

 

 

 

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プラーナについて(8)

プラーナについて正しく理解するために、スワミ・シヴァナンダの著書からの抜粋をご紹介していますが、

プラーナヤーマ(調気法)を実践することで、生命エネルギーであるプラーナをコントロールすることができるようになり、プラーナを病気の治療法にも役立てることができるようになるという解説をご紹介したいと思います。

 

これは、気功という東洋医学で用いられている方法として、日本でもお馴染みのモノなので、すでに治療などで使っている人もいるかもしれません。

 

プラーナによる治療は、プラーナヤーマの本来の目的ではありませんが、こんなこともできるようになる、ということで、改めて、ご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマの実習者は、自分のプラーナを分け与えて病人を治療することができる。

クンバカを行なえば、失ったプラーナを補充するのに時間はかからない。

他の人たちに分け与えることで、自分のプラーナが使い果たされると考えるのは間違いである。

与えれば与えるだけ、宇宙エネルギーの源泉(ヒランヤガルバ)からあなたの中に流れ込むプラーナの量も増えるのだから。

それが自然の摂理だ。

出し惜しみをしないこと。

リウマチ患者が居たら、あなたの手で両脚をマッサージしてあげなさい。

マッサージしながらクンバカを行ない、あなたの手から患者の脚に向かってプラーナが流れていると想像しなさい。

ヒランヤガルバ、つまり宇宙プラーナとあなた自身を繋ぎ、宇宙のエネルギーがあなたの手から患者の脚に向かって流れていると想像しなさい。

患者は即座に温かさ、慰め、活力を感じとることだろう。

あなたの手のすばらしい感触とマッサージによって、頭痛や腹痛、その他のどんな病気でも治すことができるのだ。

肝臓、脾臓、胃などの臓器をマッサージしながら、その臓器の細胞に話しかけて次のように命令しなさい。

「細胞たちよ!正しく機能しなさい。私からの命令です」。

細胞はあなたの命令に従うだろう。

細胞も意識下の知性を持っているからだ。

誰かにプラーナを送る時には、繰り返しオームを唱えなさい。

何人かに試してみることで、上手くできるようになるだろう。

蠍に刺された患者の治療も可能である。

患者の脚を優しくマッサージして蠍の毒を外に出せばよいのだ。

毎日プラーナヤーマを実習することで並外れた集中力、強い意志、完璧に健康で強靭な肉体を手に入れることができる。

どこか不健康な部分があれば、プラーナを意識的にその部分に送ること。

例えば、肝臓の働きが弱っているとしよう。

まず、パドマアーサナで座る。

目を閉じて、心の中でオームを3回唱えながら静かに息を吸い入れる。

次に、オームを6回唱える間息を止める。

プラーナを肝臓の辺りに送る。

肝臓に精神を集中し、その部分から意識をそらさないようにする。

プラーナが肝臓の組織と細胞全体に浸透し、癒しと再生を行っていると想像する。

プラーナによる治療では、信念と想像力、そして、集中力と関心とが重要な役割を果たす。

次に、ゆっくりと息を吐く。

息を吐いている間、病気の原因となる不純物が肝臓から取り除かれている様子を心に描く。

これを朝12回と夕方12回行う。

肝臓の不調は2~3日で改善するだろう。

この治療法では医薬品は使わない。

これがまさに自然療法だ。

プラーナヤーマを行ないながらプラーナを身体の特定の部位に注ぐことで、急性、慢性に関わらず、どのような病気でも治すことができる。

1度か2度、自分自身に試してみなさい。

確信を深めることができるだろう。

プラーナという安価でよく効く薬が、あなたの意志ひとつでいつでも簡単に手に入るのに、何故ない物ねだりをしなければならないのだろう。

それではまるで、バターを手にしていながらギーを求めて懇願するようなものだ。

プラーナを賢く使いなさい。

集中力や治療する能力が高まるにつれて、触れるだけで様々な病気を治すことが可能になる。

さらに高度なレベルに達すると、ただ望むだけで病気が治ってしまうだろう。

 

別名「不在治療」として知られているものだ。

あなたのプラーナを遠くに住む友人に送りたい時、空中を経由してプラーナを届けることができる。

相手が受容的な心の持ち主であることが条件だが。

また、遠隔ヒーリングによって癒そうとしている友人とあなたの心がひとつであって、親密さと思いやりを感じていることも大切だ。

手紙などで時間を決めておくとよいだろう。

このような文面で構わない。

「午前4時までに準備を整えてください。

受容的な心を保つこと。

安楽な椅子に座り、目を閉じてください。

私のプラーナを送ります」。

そして、その時間に患者に対して、心の中で次のように話しかける。

「私は今、プラーナ(生命エネルギー)を送っています」。

プラーナを送る時は、クンバカをリズム呼吸を行ないなさい。

息を吐く時、プラーナがあなたの心から離れ、空中を横切って患者の器官へと入って行く様子を心に描く。

プラーナは無線やラジオ波のように目に見えない波動として伝わり、空に走る稲妻のようにさっと伸びる。

治療者の思いがプラーナの色として表れ、外界に投影されるのだ。

遠隔治療の後にクンバカを行い、あなた自身のプラーナを補充する。

この治療を行うためには、日々の実習を長期間欠かさず続けることが求められる。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

『心の浄化はヨーガの第一、第二段階である。

この心の浄化が終了した時、心は自然に自ずから自由解放、悟りへと向かう。

心の汚れをすっかり清めた弟子のみが、グルによって神聖な奥義を伝授され、その心は完全な静寂を得る。

この三昧の状態は超越意識とも呼ばれる。

すべては神の顕われと気がつく。

常に変化する世界と不変の世界が見えてくる。

 

鋭敏で一点に集中した純粋な心が、アートマンの探求やウパニシャッドの研究には必要なのである。

世俗に浸った欲深い心は、真理の探究や哲学的思考には不向きである。

自分本位な考えは理解を曇らせる。

俗な心はいつも性的刺激に駆りたてられ、深遠な哲学的考えを受けつけない。

このような心は無感覚で、本来の働きをせず、哲学的思索ができない。

釘は粘土には刺すことができるが、石には打ち込めない。

不動の心を作るには、奉仕の活動、ジャパを唱える、プラーナヤーマを行うなどの修行によって俗な心が清められなければならない。

心は鏡にたとえられる。

鏡が汚れていれば、自分の顔がはっきり映らないのと同様に、心の鏡が汚れていれば、神を正しく映すことができない。

ブラフマンの光を正しく輝き通せない。

瞑想、無私の活動のヨーガ、信仰などの日々の修行によって、心の掃除をしなさい。

そして、神を知る努力をするがよい。

ブラフマンは心によって感知されるものだ。

この心は純粋な心のことである。

心の平安、節制、道徳的生活の実行によって、鋭敏で純粋になった心には、ブラフマンが忽然と顕われる。

有能なグル(師)が、心を純粋にする方法を伝授するのだが、このグルの教えを、まずよく聞いて熟慮し、自分で繰り返し瞑想しなければならない。

聖典の学習、賢者との交わり、不断の瞑想の実行を通じて純粋な心が集中されると、知恵が開け、神を見る。

その実在を直接に知り、感じることができる。』

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

わたしは全人類の心臓(むね)に住み

彼らに記憶と知識と忘却を与える

ヴェーダはわたしを知るためにあり

わたしはヴェーダを悉く知りヴェーダンタの編集者である

 

この宇宙に二種の存在がある

それは必滅のものと 不滅のものーー

物質界の万物は無常にして必滅であり

神霊界のものはすべて常在不滅である

(バガヴァッド・ギーター第15章15-16)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

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シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(7)

 プラーナについて理解していく上で、欠かせないのが、霊体(アストラル体)と呼ばれる微細体についての知識です。

 

プラーナは、眼には見えないので、肉体次元である物質次元のものではありませんが、確かに存在しています。

 

ここで、思い出して頂きたいのは、以前の記事でご紹介しましたウパニシャッドにおける「人間五臓説」における、食物鞘(肉体)、生気鞘(生命エネルギー)、意思鞘(感情)、理智鞘(理性)、歓喜鞘(真我)という人間を5つの鞘で覆われた存在として、包括して捉える構成図(見取り図)です。

 

アストラル体、メンタル体、コーザル体という呼び方は、19世紀の西洋で誕生した「神智学」における呼称であり、インドで誕生したウパニシャッドでは古くから、生気鞘、意思鞘、理智鞘と呼んでいます。

 

神智学が説くスピリチュアルな考えは、インドのウパニシャッドで説かれているものを、19世紀になってから、西洋に取り入れたもので、オリジナルの考えは、インドで約2000年以上も前に発見されていました。

 

それでは、プラーナを理解するために最低限必要な知識を得るために、人間を5つの層から成る多層構造の存在として考えた場合の詳細な見取り図を、スワミ・シヴァナンダの解説から抜粋してご紹介したいと思います。

 

人間は、私たちが知っている肉体次元だけでなく、全部で5つの多層構造になっていることが、よくおわかり頂けることと思います。

 

人間におけるこの多層構造を理解できて初めて、プラーナという目に見えないエネルギーについての理解が深まると言えるでしょう。

 

 

『ナディーは霊的な物質から作られている管で、プラーナが流れる通路のことだ。

ナディーは霊視によってしか見ることができない。

ナディーと神経とは別のものである。

人体には7万2000本のナディーがあり、イダー、ピンガラ、スシュムナーがそのうちの重要なもの。

中でも、最も重要なのがスシュムナーだ。

 

スシュムナーはナディーの中で最も重要なものである。

それは、宇宙の支えであると同時に、宇宙への道であり、救いへの道でもある。

スシュムナーは、肛門の後ろから脊髄に沿って頭部のブラフマランドラ(梵の座、サハスラーラ・チャクラ)まで伸びている目に見えない精妙な管のことだ。

ヨーギにとって本当の意味での活動が始まるのは、スシュムナーが機能し始めた時からだ。

スシュムナーは脊柱(脊髄)の中心を通っている。

生殖器の上部、臍の下部に位置するカンダ(丹田)は鳥の卵のような形をしており、数にして7万2000本といわれるナディーのすべてが、ここを起点にしている。

このうち一般的に知られているのは72本で、そのうちのイダー、ピンガラ、スシュムナー、ガーンダリー、ハスティジフヴィカー、プーシャー、ヤシャスヴィニー、アランプーサ、タフー、シャンキニーの10本がプラーナを通す主要な10本だといわれている。

ヨーガはナディーとチャクラについての知識を持たななくてはならない。

イダー、ピンガラ、スシュムナーはプラーナを通す管で、それぞれ月、太陽、火という神に対応するといわれている。

スシュムナー管の中でプラーナが動く時は、瞑想のために座ろう。

そうすれば、深いディヤーナ(瞑想)を得ることができるだろう。

渦巻状のエネルギーであるクンダリニー(先天の源気)がスシュムナーに沿って上昇し、チャクラからチャクラへと昇って行く時、ヨーギは様々な経験、力、至福を得る。

 

背骨に沿って、左右に、一本ずつの神経の流れが走っている。

左はイダー、右はピンカラと呼ばれるナディー(プラーナの通路となる管)がある。

イダーとピンガラを左右の交感神経であると推論する人がいるが、実際には、プラーナを運ぶ精妙な管のことをいう。

月はイダーの中を動き、太陽はピンガラの中を動く。

イダーは冷やし、ピンガラは熱す。

イダーは左の鼻孔を流れ、ピンガラは右の鼻孔を流れる。

一日のうち息をする時、私たちは右の鼻孔から1時間、その後左の鼻孔から1時間というように交互に鼻孔を使っている。

息がイダーとピンガラを通して流れている間、人は忙しく世俗の活動を行っている。

息がスシュムナーを通して流れ始めると、現実の世界には反応しない死の状態が訪れ、人はサマーディ(三昧、涅槃、煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態)に入る。

プラーナをスシュムナーに通すため、ヨーギは技量の限りを尽くす。

スシュムナーは、中央のプラフマ・ナディーとしても知られており、その左にはイダーが、右にはピンガラが位置する。

月はタマス(暗性)、太陽はラジャス(活動性)の性質を持つ。

また、毒は太陽に属し、甘露は月に属する。

イダーとピンガラは時を知らせる。

しかし、スシュムナーは時を消滅させる。

 

クンダリニーは蛇のパワーもしくは眠れるシャクティ(霊性を進化させる力)として、脊柱の基底部のムーラダーラ・チャクラに位置していて、3回半渦を巻いて、顔を下に向けている。

このクンダリニーが目覚めない限りサマーディはあり得ない。

プラーナヤーマの実習では、クンバカ(止息)が生み出す熱によってクンダリニーが覚醒し、スシュムナーに沿って上昇する。

この時、実習者は多種多様のビジョンを体験する。

6カ所のチャクラを通ったクンダリニーは、最終的には頭頂部のサハスラーラ、または千の花弁を持つ蓮と呼ばれるチャクラに達し、そこを座とするシヴァ神ヒンドゥー教三大神の一人、魔神を退治する“破壊と幸福の神”としての一面と、帰依者に恩寵を授ける“恩恵の神”としての側面がある)と一体になる。

これがニルヴィカルパ・サマーディの達成であり、ヨーギは開放と神聖な精神的富を得る。

ここに到達するには、呼吸の制御と共に、精神の集中をも訓練しなければならない。

クンダリニーが覚醒してマニプラ・チャクラ(第3のチャクラ・腹腔=太陽神経叢、腹部における自律神経の重要な中心であり、肉体生命の素であるプラーナの受容、分配を支配し制御)まで上昇したとしても、再びムーラダーラ(第1のチャクラ 仙骨神経叢、“根を支えるもの”を意味する)へと下降してしまうことがある。

その場合は、再び上昇させるよう努力すること。

クンダリニーを覚醒しようと試みる者は、その前に、完全に無欲で、世俗的な楽しみに無関心でなければならない。

クンダリニーは糸状で、きらきらと輝いている。

クンダリニーが覚醒すると、シューという音をたてて、スシュムナーの入り口に入る。

ちょうと、蛇が棒に打たれた時に出すような音がする。

そして、チャクラからチャクラへとクンダリニーが上昇するにつれ心の層が一枚一枚と開かれていき、ヨーギは多様なシッディ(霊的能力)を身につけることができる。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

修行者にはグル(師)が必要である。

独力で何年間も修行する人がいるが、あとになってグルの必要性を切実に感じるはずである。

修行途上で何らかの障害に出会う。

いかに先に進めば良いのか、障害の取り除き方がわからない。

そこで、グルを探し求めるのである。

この傾向はヨーガの修行で特に顕著である。

グルの役割は、グルとしての洞察力でそれぞれの弟子の本来の傾向を見極め、最善の修行道、魂が崇高に発達する道に導くことである。

イーシュワラ(神)はグルの中のグルである。

神は、無知な魂の、無知の覆いを取り除いて祝福する。

修行者は、肉体を持ったグルに対して、グルのグルである神の顕現だと信じ、神同様の崇拝の念を払う。

肉体を持つグルは、弟子にもたらされるすべての良い出来事、幸福の源となる。

一方弟子は、グルの願望や命令に従うことが最高に重要であり、グルを信頼し、ひたむきにゆだねることを知らねばならない。

心の秘密をグルに打ち明ける。

より多く打ち明ければ、それだけ多くの慈愛を得る。

これは、罪や誘惑に対抗して闘う力となってくれる。

 

オレンジを人にあげ、また取り戻すことができるように、神聖な霊能力を分け与えることができ、また取り戻すことができる。

この神聖な力を伝達する方法は、シャクティ・サンチャーラ(グルから弟子へのパワーの伝達)と呼ばれる。

鳥、魚、亀などが互いに合図するように、グルは、弟子に手で触れる、視線を投げる、意志や思考をするだけで、神聖な力を伝授することができる。

時には弟子のアストラル体の中に入って、弟子の心を高揚させることもある。

弟子を前に坐らせ、目を閉じるように言い、そして、神聖な霊能力を伝授する。

その時弟子は、実際には電流がムーラーダーラ・チャクラから上に昇り、喉、そして頭頂部へと流れるのを感じる。

得たインスピレーションだけで、特別の指導も受けずに、ハタ・ヨーガのアーサナ、プラーナヤーマ、パンダ、ムドラーなどを自分で行えるようになる。

ここで、大宇宙の力が働く。

弟子はイッチャー・シャクティを押さえてはならない。

内なる光に従って行動する。

心は非常に高められる。

修行者が目を閉じるとすぐ、瞑想が自然にやって来る。

グルの慈愛で弟子に宇宙のパワーが伝達され、クンダリニ―が覚醒されたのである。

グルは、実際に弟子へ神聖な能力を送るのである。

真のグルの神聖な波動が弟子の心に伝えられる。

ラーマクリシュナは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダに、実際に神聖な力を伝授した。

キリストも、弟子たちに神聖な能力を与えた。

これが、「グルの霊的タッチ」と呼ばれるものである。

ラームダースの弟子は、自分の力を、自分に熱烈にいい寄って来た踊り子に与えた。

この弟子はその娘をじっと見つめ、娘にサマーディを与えた。

すると娘の情熱は消えうせ、とても信心深い娘になった。

聖者ムクンダ・ライは、回教の王をサマーディに到達させた。

グルの慈愛で、ヨーガの八段階を達成する。

大宇宙の純粋意識で、永遠のヨーガの完成を達成する。

 (ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

全世界を照らす太陽の光は

わたしから発しているのである

そして月の光も火の輝きも

すべてわたしから発しているのだ

 

わたしは各個の天体(ほし)に入り

わたしのエネルギーで彼らは軌道を回る

わたしは月となって大地の野菜を育て

彼らに滋味ゆたかな水を与える

 

わたしは生物の体に入って

生命力の火となり

呼気(プラーナ)と吸気(アパーナ)に合して

四種の食物(飲む、噛む、舐める、吸うもの)を消化する

(バガヴァッド・ギーター第15章12-14)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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