永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

プラーナについて(2)

私たちは、自分を肉体だと思い、肉体という物質を維持するために、多くの時間を費やしますが、

この肉体と言う物質を維持管理し動かしているのは、実は、エネルギー(プラーナ)なのです。

 

かと言って、エネルギー(プラーナ)は、この肉体を動かすためにあるのではなく、肉体という器を通して、エネルギー(プラーナ)がこの物質次元に顕現している、という構図になっていると考えてみて下さい。

 

主役は、肉体ではなく、エネルギー(プラーナ)の方だと。

 

肉体という器がなければ、この物質次元に在ることは不可能なので、私たちは、肉体を一番大切にし、維持管理に多くの時間と手間をかけますが、本当に、肉体を在らしめているのは、プラーナなのです。

 

それでは、プラーナについて理解を深めるために、更に詳しい解説をご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマは精密な科学だ。

アシュタンガ・ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)の八支則では四番目に当たる。

パタンジャリは、ヨーガ・スートラのⅡ章49節で、プラーナヤーマを次のように定義している。

 

「呼吸の調整もしくはプラーナの制御とは、安定した姿勢や座法、すなわちアーサナを完璧にすることによってもたらされる呼吸の停止である。」

 

呼吸とは、プラーナすなわち生命力が外界に姿を現したもの。

ちょうど電気がそうであるように、呼吸も、粒子の粗いプラーナだといえる。

ただ、呼吸は粗雑なステューラ(粗い)界に属しており、プラーナは精妙なスークシュマ(微細)界に属している。

ゆえに、呼吸の制御法を調整すれば、内なる精妙なプラーナを制御することが可能である。

心は、プラーナの助けなしでは機能しない。

プラーナが振動することで初めて、心にいろいろな考えが浮かぶ。

心を動かすのはプラーナなのだ。

心はプラーナの力で初めて動き出す。

スークシュマ・プラーナ(微細なプラーナ)、すなわち霊的なプラーナは、心と密接な関わりを持っている。

呼吸の重要さは、エンジンと駆動輪の関係に似ている。

運転中に駆動輪を停止すれば、他の車輪も止まってしまうように、ヨーギが呼吸を停止すれば、他の臓器も働きを止める。

駆動輪を制御することができれば、他の車輪は容易に制御できる。

同様に、外から見える呼吸を制御することができれば、内にある生命エネルギーであるプラーナを制御することは容易だ。

呼吸を調整することで、内にひそむプラーナを制御する過程を、プラーナヤーマと呼ぶ。

金細工師は、熱した炉で金を溶かして不純物を取り除く。

炉を熱するためには、火吹き棒を強く吹かねばならない。

同様に、ヨーガでは、プラーナヤーマによって肺に空気を送ることで身体と感覚器官(インドリヤ)から不純物を取り除く。

プラーナヤーマの主な目的は、プラーナとアパーナを結合させてプラーナパーナ(プラーナとアパーナがプラーナヤーマによって結合したもの。プラーナ気とアパーナ気をプラーナヤーマ、バンダ、ムドラーなどを行うことで合一させ、スシュムナー気道に上昇させることがハタ・ヨーガの目的である。その合一した気をプラナパーナという)とした後、それを徐々に頭部にまで上げていくことである。

そしてプラーナヤーマの成果とは、クンダリーニを目覚めさせることである。

 

ヒンドゥー聖典(シュルティ)には“プラーナを知る者はヴェーダを知る者である”という重要な一説がある。

ヴェーダンタの経典には“同様に、呼吸はブラフマンである”と書かれている。

プラーナとは宇宙に姿を現したすべてのエネルギーの総和のこと、そして、自然界の力の総和でもある。

プラーナとは、人間の中に秘められている潜在的な力や、私たちの周囲のあらゆる場所に潜んでいる力の総和だ。

熱、光、電気、磁気は物質化したプラーナといえる。

エネルギー、力、プラーナはすべてアートマン(真我、至上我)から湧き出した泉だといえる。

物質的なエネルギーも精神的なエネルギーもプラーナに属している。

プラーナは、高等、下等を問わずすべての生物に働いている力である。

動くもの、生命あるものはすべてプラーナの顕現に外ならない。

アーカシャやエーテルと呼ばれるものもまたプラーナの現れ方のひとつである。

プラーナは心と繋がっており、心は意志と、意志は個々の魂と、個々の魂は至高の存在と繋がっている。

プラーナは小さな波となって心の中に広がっていく。

その波を制御する方法がわかれば、宇宙に遍在するプラーナを意のままにする秘訣が明かされるだろう。

この秘密を熟知するようになったヨーギは、いかなる力をも恐れることはない。

宇宙に存在する力をすべて支配下に置いているのだから。

人格的なパワーとして一般に知られているものは、持って生まれたプラーナを操る能力の大小にすぎない。

世の中には、他の人よりも成功を収める人や、大きな影響力を持つ魅力的な人が居るものだ。

それはすべて、このプラーナの力による。

そのような人たちは、毎日、知らず知らずのうちに自分の影響力を行使している。

それは、ヨーギが意志の指令によって意識的に使うのと同じ力だ。

偶然、自分でも気がつかないうちにプラーナと遭遇し、様々な呼び方をつけて、低俗な目的のために使う者もいる。

心臓が動脈へと血液を送り出す際に行う収縮や拡張、呼吸をする際の息を吸ったり吐いたりする動き、食物の消化、尿や便の排出、精液、消化酵素、胃液、胆汁、唾液の製造、まぶたの開閉、歩く、遊ぶ、走る、話す、考える、推理する、感じる、望むなど、すべての中にプラーナの働きを見出すことができる。

アストラル体(霊体)と物質的な肉体とを繋いでいるのもプラーナである。

その細い糸状のプラーナが切れた時、死が訪れる。

それまで肉体の中で働いていたプラーナは、アストラル体の中に引き戻される。

宇宙が活動を始める前、プラーナは精妙で動きがなく、非顕現で未分化の状態に留まっている。

しかし、ひとたび振動が起こるとプラーナが動き出し、アーカシャに働きかけて様々な形の力をもたらす。

大宇宙と小宇宙(大宇宙の大我に対して個々人を個我、小宇宙とみなすインドの宇宙観)は、プラーナ(エネルギー)とアーカシャ(物質)の融合したものだ。

汽車や汽船の蒸気機関車を動かすのも、飛行機が飛ぶのも、肺を動かして呼吸させるのも、その呼吸をさせるための活力源そのものもプラーナなのだ。

これで、プラーナという言葉について曖昧な概念しかなった方にも、包括的に理解してもらえたと思う。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「(校長に)ハズラーはバラモン(祭祀階級)に生まれなければ解脱できない』と言うんだよ。

わたしは、『とんでもない!誰でも信仰を持っていれば解脱できるんだ。

シャヴァリーは漁師の娘だし、ルヒダスは食事のとき鐘を鳴らす、そういう仕事(シュードラ(隷属民)の仕事)をしていたんだよ。

でも解脱しただろう。

この人たちは信仰によって解脱したんだよ!』と言ってきかせるのに、ハズラーめ、まだ『でも!』と言うんだ。

わたしはね、『欲のない信仰、無条件の信仰ーーこれ以上のものは何もない』といつも言っている。

ハズラーはこれに反対するんだよ。

何かものをねだりそうな連中がやって来ると、金持ちはうんざりしてーー腹立たしそうに、『奴が来たよ!』と言う。

そして部屋に入ってくると、一種独特の口調で、『まあ、お坐んなさい!』と言うが、いかにも不機嫌な顔付きだ。

何か欲しがるような人を自分の馬車には乗せないよ。」

するとハズラーは、『神はそういう金持ち連中とは根本的に違うでしょう。

あの御方は無限の富と力を持っているのですからね。

人にくれたって、ちっとも困りませんよ』と言う。

それから又、ハズラーはこんなことも言うんだよーー『空から雨が降れば、ガンジス河やほかの大きな河も大きな湖や池も水であふれます。

同時に、その辺のちっぽけな貯水池や水たまりまで水がいっぱいになります。

あの御方のお恵みは、信仰や智慧を下さるだけでなく、富だって下さるのですよ』と。

だがこれは、ちょっと汚れた信仰だよ。

純粋な信仰には、おかげを欲しがる気持ちはないんだ。

お前はここに来て何ももらおうと思っていないだろう。

ただ、わたしに会って、わたしの話を聞くのが好きだから来るんだね。

わたしもお前のことをいつも気にかけているしーー”どうしているかしら””どうして来ないんだろう”--いつもそう思っているよ。

何も求めない、ただ好きで愛しているーーこれを無条件の信仰と言うのさ。

純粋な信仰と言うのさ。

ブラフラーダはそういう信仰を持っていた。

領地もいらない。権力も富もいらない。

ただ、神だけを求めていた」

 

「牛飼い乙女(ゴービー)たちの信愛は、聖愛(プレーマ)の信愛(バクティ)だ。

貞操堅固な信愛、不動の信愛だよ。

貞操堅固でない信愛というのは、どういうものだか知っているかい?

知慧のまじった信仰だよ。

クリシュナがすべてのものに成っておられる、あの御方が至高梵(パラブラフマン)であり、ラーマであり、シヴァであり、造化力(シャクティ)である、と思っているような信仰のことだよ。

けれども、こういう知識は聖愛の信愛の中には入ってこない。」

 

一信者

「知慧のまじった信仰と、愛の信仰と、どちらがすぐれているのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「神様が大好きにならなけりゃ、愛の信仰は生まれない。

それに、“私のもの”という知慧がね。

三人の仲間が森に行って虎に出くわした。

一人が言った。

『みんな!ここでオダブツだ!』

もう一人が、『なぜ?神に祈って助けてもらおう』

すると残りの一人が、『いやいや、こんなところで、あの御方に面倒かけたくない。

さあ、この木の上に登って助かろう』

『もう、オダブツだ』と言った人は、我々を護ってくれる神の存在を知らない人。

『神に頼もう』と言ったのは知者だ。

神が創造、維持、破壊のすべてをなさるのだということを知っている。

それから最後に、『あの御方に面倒かけたくない、木の上に登ろう』と言った人は、神を愛し、神様が大好きなんだよ。

その愛の性質は、愛するものより自分の方が強い、と感じていることだ。

面倒をかけまいとするんだよ。

好きな相手の足にトゲの一本も刺さらないようにするのが、この人の願いなんだ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

上下に拡がる枝は物質自然(プラクリティ)の三性質(グナ)に養われ

無数の小枝は感覚の対象ーー

この樹にはまた下方にのびる根もあって

人間社会の名利を求める仕事に結びつく

 

この世界に住む者にはこの樹の姿が見えず

始まりなく終わりも根ざす所もすべてわからない

だが人は大決心をして”無執着”の剣をふりあげ

この頑強な根をもつ樹を切り倒すべきである

 

そして不退転の境地を求めよ

そこは全てのものが始まり そこから

全てのものが展開している元の元なる一者

即ち至上神に全託する境地である

(バガヴァッド・ギーター第15章2-4)

 

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

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クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(1)

前回までに<食物についての識別>でマクロビオティック食事法についてご紹介しましたが、その内容は、食物の持つエネルギーについて考えるヒントとなったことと思います。

 

そして、一例ではありますが、食物について意識的に摂取するようになればなるほど、食物が私たちに与えているエネルギー的な影響について、体で体感できるようになると思います。

 

そうなると、頭で考えずに、体で、今どういう食べ物を必要としているか、また必要としていないか、を見分けることもできるようになります。

 

必要としていない食べ物を食べて、不要なエネルギーを取り込むことは、エネルギーの停滞を生み、それが続くと、体のバランス状態が崩れるようになり、やがて、病となることもあります。

 

私たちの体は、エネルギーバランスを崩すと、体調不良になり、バランスが取れている状態の時は、健康で元気でいられるように作られているのです。

 

食物の識別の知恵を、日々の生活で役立てていくと、それはそのまま、スピリチュアルな探求にも役立つことと思います。

 

さて、今回からは、以前にも少しご紹介したことがありますが、「プラーナ」について、もう少し詳細に理解するために、いくつかの解説をご紹介したいと思います。

 

「プラーナ」とは何なのか?

 

日本人には、あまり馴染みが無い「プラーナ」ですが、人間を肉体ではなく、更に微細な霊体(エネルギー体)と見た時、この「プラーナ」がとても重要なポイントとなってきますので、もう少し理解を深めて行きましょう。

 

「プラーナ」は、特にヨーギー(ヨーガ行者)の方々には、非常に重要なキーワードとなっているようですので、それぞれのヨーギーが「プラーナ」について述べている解説をご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマのプラーナとは、全宇宙に遍在する生命エネルギーのことです。

この根源的エネルギーは、生物ばかりでなく、無生物、たとえば石にもあって、それを成り立たせているのです。

宇宙の根源的エネルギーといえるこのプラーナは、人間の呼吸と密接な関係があり、呼吸によってプラーナを摂取することができます。

空気、酸素もプラーナの一つのあらわれと考えてよいのですが、プラーナそのものではありません。

プラーナは、空気よりも、もっと微細で、もっと根源的なものなのです。

ヤーマは、コントロールするという意味です。

したがって、プラーナヤーマとは、プラーナをコントロールする技術ということになります。

それも、全宇宙のプラーナをコントロールするというのではなく、まず、私たちの身体を流れ、身体を生かしているプラーナをコントロールすることです。

 

プラーナヤーマを、ともすれば呼吸法と解釈し、単に酸素を身体に多くとりいれる方法と考える人もいますが、それはプラーナヤーマの一面にすぎません。

むしろ、今、空気と共にプラーナを吸っていると強く思うことによって、微細身(微細なエネルギー体)の次元でのプラーナを摂取し、微細身の中を流れるナディ(エネルギー経路、経絡)にそれを供給し、ナディのセンターであるチャクラを通じてこの微細身のエネルギー(プラーナ)を、物理的次元の生命エネルギーに転換して、これを、仙骨、神経系、経絡などを通じて肉体に供給し、肉体を活性化して健康にするのが、プラーナヤーマの目的なのです。

したがって、プラーナヤーマは、微細身、肉体にそれぞれの次元でプラーナを摂取し、これを微細身、肉体の各部分にそれぞれの次元のエネルギーとして供給し、それらを活かす、プラーナのコントロール法と考えてよいでしょう。』

密教ヨーガ  本山 博)

 

 

「プラーナ」について、次回は、また違った解説をご紹介いたします。

 

 

聖ラーマクリシュナ

「神をつかめばすべてわかってくる。

あの御方こそすべてであり、あの御方こそ宇宙なんだ。

あの御方がヴィラート(宇宙を身体としている神)だ。

あの御方が完全円満なサッチダーナンダで、あの御方がすべての生き物とこの宇宙になっていなさるんだ」

 

「修行が大切だ。

ただ聖典やお経を勉強しただけではダメ。

見ろ、ヴィディヤサーガルをーー。

たいそうな学問をした人だが、自分の内奥に何があるのか気づいていない。

子供たちに読み聞かせを教えて喜んでいる。

至聖(かみ)の喜びを味わったことがないんだ。

勉強しただけで何になる?

どれだけのことが身につく?

暦には雨の予報がのっているが、暦をしぼったって一滴の水も落ちてきやしない」

 

マヒマー

「世間でくらしていると用事が多うございまして、修行をする暇がなかなかありません」

 

聖ラーマクリシュナ

「そういうことは皆、夢まぼろしだと、お前、自分で言っていたじゃないか?

目の前に広がった海を見て、ラクシュマナは弓矢を手にしたまま怒って言った。

『私はヴァルナ(水の神)めを殺してやります。

この海があるために、私たちはランカー(スリランカ)ヘ行けないのですから』

するとラーマはお諭しになったーー

『弟よ、目に見えるものはすべて夢だよ。

はかない一時的のものだ。

海も一時的なものーー。お前の怒りも一時的のものーー。

夢を夢で殺すーーこれまた夢だ』」

 

聖ラーマクリシュナ

「(マヒマーに)シャンプーがいつか言っていたがね、『私は自分の財産を善いことに使おうと思っています。

たとえば学校や施薬所を建てたり、道路や水汲場を造ったりしてーー』

わたしは言ったよーー『無私の気持ちでそういうことが出来るなら、それもよろしい。

しかし、無私の行為というのは、とてつもなく難しいよ。

どこからともなく欲や執着が忍び込んでくる!

それからもう一つ聞くが、もし神様がお前にじかに会って下すったとき、お前は、学校や施薬所や病院を建てさせてくれ、とお願いする気かい?』」

 

一人の信者

「先生!では、世間にいる人々はどうすればよろしいのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

サードゥ(行者)と交うこと。

そして、神についての話をきくことだ。

普通の人たちは正気じゃないんだよ。

女と金に中毒しているんだ。

酔っ払いには米の研ぎ汁を少しずつ飲ませてやるとだんだんと正気づく。

それから、正しい師(サット・グル)のもとで教えをうけること。

正師(サット・グル)には特徴がある。

カーシー(ベナレス)に行って見てきた人にカーシーの話を聞くことだ。

ただ学識があるだけの人はだめだよ。

”世間のことはごく一時的のはかないものだ”ということがわかっていない学者に教えをうけるべきではない。

学者も、識別(ヴィヴェーカ)と離欲(ヴァイラーギャ)の精神をもった人なら、教えを与えることができる。」

 

「俗人というのは酔っぱらっているんだよ。

いつも”この私がこういうことをしている”と思っている。

家も家族も自分のものだとーー。

歯をむき出してムキになって言うーー

『妻子はどうなりましょう!

もし私に万一のことがあれば、妻子はどうして生きていくのですか?

”私の”家族を誰がみてくれるのですか?』

ラカールもこう言ったよーー『”私の”妻はどうなるのでしょう!』」

 

ハラモハン

「ラカールがそんなことを言ったのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「そりゃ、そう言うだろうよ。

智識のある人は無智もある。

ラクシュマナがラーマにこう言ったーー『ラーマ!何て不思議なことでしょう!

この偉大な聖者であるヴァシシュタマ様が、息子を亡くしたからといって悲しみに沈むとは?』

ラーマはおっしゃったーー『弟よ、智識ある人は無智をも持っている。

だから弟よ、智と無智を超えて行け』と。

誰かが足にトゲを刺したら、それを抜くために別のトゲを使う。

トゲでトゲを除った後は、両方のトゲを投げすてる!

無智のトゲを除るために、智のトゲを使わなけりゃならぬ。

用事がすんで智と無智の二つのトゲを捨ててしまったのが大智(ヴィジュニャーナ)だ。

神の存在をはっきりと覚って、その御方を特別に知って、そして、親しくならないけりゃーーこういうのをヴィジュニューナというんだよ。

だからクリシュナはアルジュナに言いなすったーー『汝、三性(トリグナ)を超越せよ』と。

このヴィジュニャーナを得るためには、明知現象(ヴィディヤー・マーヤー)の助けをかりなくてはならない。

神のみ永遠の真実在、宇宙世界は一時なものという決断(かんがえ)--つまり識別(ヴィヴェーカ)と離欲(ヴァイラーギャ)だ。

それから神の名をとなえること。

神を讃える歌をうたうこと、瞑想すること、サードゥと交わること、祈り--こういうものはみな明知現象(ヴィディヤー・マーヤー)に入る。

明知現象は屋根へと上がるための最後の階段ーーもう一段上がれば屋根というところだ。

屋根に上がるというのはーーつまり、神をつかむたとえだ。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 根は上に 枝は下に

葉の一つ一つがヴェーダの讃歌

決して枯れない菩提樹があるという

この樹を知る者は全ヴェーダを知る

(バガヴァッド・ギーター第15章1)

 

 

 

 

 

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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<食物についての識別>について(16)

私たち人間だけでなく、生物全般は、この世での存在を維持するために、いろいろな形に変換されたエネルギーを必要としています。

 

少し考えただけでも、食物、水、空気、熱(温度)、光などが思い浮かぶことと思います。

 

これらは、異なる波長のエネルギーですが、それらは、どれもが、人間にとっては必要不可欠であることは明白です。

 

しかし、近年は、自然由来のエネルギーに加えて、人工的に作られたエネルギーが登場してきたことで、昔よりあまり馴染みのないエネルギーに対して、より多くのことを考えなくてはならない状況へと変わりつつあります。

 

それは、快適さ、便利さ、と引き換えに、自動的に生じる現象ではあるのですが、人間の、特に肉体におけるマイナスの影響が大きいものがあり、生物としての進化の過程から見ると、人間の肉体面に大きな変化をもたらすリスクを感じるものが多々あることは否めません。

 

このことは、「見神」とは直接的な関係はありませんが、エネルギー的に見ると、不必要な高エネルギーを受けることは、自然エネルギーの螺旋回転を妨害する可能性があるということが言えます。

 

放射能汚染などもその一例ですが、高エネルギーは浴びれば良いということではなく、人体に有害である場合が多いということを念頭に置いて、食品選び、生活様式の選択の際に役立てることが、本当の生きる智慧と言えます。

 

水道水よりは、塩素消毒をしていない自然水(ミネラルウォーター)、電磁調理器具よりはガスでの調理、など、身の回りの電磁波や食品添加物に意識を向けるだけでも、身体が受けるエネルギーの質が変わります。

 

このエネルギーの質が悪化すると、病気になったり、精神的に問題が生じたり、心身にその影響が現れてくることがありますので、要注意です。

 

今回も、前回の続きですが、<食物についての識別>は、今回が最後となります。

 

 

 

『<電子レンジや電子レンジによる調理>

現代社会では、約90%の家庭で電気レンジもしくは電子レンジが使われている。

一秒間の振動数で見ると、電気レンジが60回であるのに対し、電子レンジの場合は、200万回以上に達している。

この強烈な振動は、食べ物の細胞状態はもとより、それを消化・吸収する人にも影響を及ぼす可能性がある。

医学研究によれば、電子レンジで調理した食品は、主に血液および免疫機能に変化を引き起こし、その中には、ヘモグロビンの減少・ヘマトクリットと白血球の増加・コレステロールの増加・リンパ球の疾患などが含まれる。

これらの血液やリンパの成分は、多くの疾患や感染を予防する前衛の役割を果たすものである。

電子レンジによる調理は、食べ物自体にも変化を与え、酸味の増加・たんぱく質分子の損傷・脂肪細胞の膨張・葉酸値の低下などをもたらし、母乳の質も低下させる。

食べ物が十分に調理・加熱されていない冷えた個所には、サルモネラ菌の変種などの有毒な細菌類の生息が観察されている。

エネルギー的観点からすれば、こうした状態の大半は、極陰性なもので、分散作用があり、体細胞に損傷・劣化・腐敗を引き起こす。

電気による熱調理は、電子レンジほどは破壊的ではないが、消化・循環・神経の各機能を狂わせ、精神の集中力が低下するなど、全般的に衰弱させる作用がある。

このことは、近年実施された医学研究の動物実験で、一秒間に60回という(電気調理に似た)電界にさらされた細胞にがん化の兆候が観察され、裏づけられている。

 

<化学的に栽培・加工された食品>

食べ物の栽培・加工・保存に使われる化学薬品は、数千種類にのぼる。

これらの薬品は、総じて極陰性であり、分散・分解・崩壊作用を持ち、血液を劣化させ、感染の可能性を高め、治癒を遅らせる。

除草剤・化学肥料・その他の化学薬品を摂取すると、かゆみ・過敏症・神経系の症状が見られることが多い。

不整脈・ホルモン障害(特にエストロゲンかく乱物質[訳注:環境ホルモンの一種である内分泌かく乱物質のこと]として知られる新たな薬品および環境破壊有毒物質に起因するもの)・アレルギー反応など、軽症から重症のものまで、多様な反応も次第に表面化してくる。

考えが散漫でまとまらず、怒りっぽくなり、狂暴で突飛な行動をするなど、心身ともに奇怪な行動が見られるのは、食べ物に含まれる化学薬品による直接的な影響である場合が多いだろう。

学習障害(LD)や多動症など、子どもに見られる疾患は、鶏肉や卵、魚卵などのとりすぎのほかに、特定の合成着色料・除草剤・化学薬品との関連性が指摘されている。

社会的・文化的側面では、無秩序な音楽・絵画・映画などの芸術は、摂取された農薬散布栽培・添加物入り・人工的製法の飲食物の排出現象を表している。

 

<遺伝子組み換え食品>

総じて遺伝子組み換え食品(GM)には、これまで数百万年にもわたる自然の進化によって徐々に獲得されてきた強力な健康維持の充填エネルギーが欠落しているため、活力を奪い衰弱させる作用を持っている。

長期間の総合的研究はまだ実施されていないが、予備調査によれば、アレルギーの増加・肺疾患・肝臓への負担・胃腸や血液の損傷・性的能力や生殖器の成長の遅れ・不感症の増加・先天性障害の危険率上昇・病気の進行といった広範囲に及ぶ影響が観察されている。

多くのGM食品は、その栄養成分が変質したり減少したりしている。

例えば、GM大豆は、本来の自然なものに比べて、植物性エストロゲンの含有量が12~14%低下している。

植物性エストロゲンには、心臓病・がん・その他の慢性疾患を予防する働きがある。

またGM食品は、新種のウイルスや細菌による疾患を発生させ、ヘルペスエイズ・その他の性行為感染症に対する抵抗力を弱めて、人体にとって未知のたんぱく質を取り込むことで、これまでの世代には知られていない作用を生殖細胞に及ぼす可能性も予測されている。

新たなGM食品を消費するエネルギー的効果として、社会的な暴力行為の増加・中でも10代の子どもたちによる銃の乱射が多発するのではないかとの懸念が持たれる。

第一に指摘される点は、大半のGMトウモロコシ・大豆・綿花には、変種バクテリアのBT菌が含まれていることで、それがすべての細菌に接合され、内臓された除草剤として作用する。

ところが最近の科学研究によれば、この毒素は、オオカバマダラチョウなどの幼虫などの益虫も同時に殺してしまうことが判明している。

研究者たちは、子どもたちが体内に取り込むか浴びた除草剤とかんしゃく・攻撃性・暴力の増加傾向との相関性を指摘し始めている。

GM食品の多くは、微生物培養用のシャーレに向けて望ましい遺伝子を充填した「遺伝子銃」を発射させ、元の種子の細胞中にあるDNAを蹴散らす方法で作り出されているのが、第2に指摘される点である。

微細な銃弾をDNAに撃ち込む手法は、カリフォルニア大学デービス校で開発され、当初は、22口径または45口径の銃が使われていた。

従来型のありふれた種子がシャーレの中に入れられ、銃による組み換えられた有機体の発砲を繰り返された後、植えつけられて、新たなGM作物が誕生したのである。

エネルギー的観点から見れば、銃弾を浴びたDNAに由来する食品を摂取することは、人間の細胞・組織・思考・意識に破壊的暴力的効果をもたらすものである。

今日、スーパーマーケットや自然食品店に並ぶ食品の70%に遺伝子組み換え原料が使われているのが現状である。

このような試験されず表示もされないままの食品が、全米市場に広く普及していることは、近年の学校や地域における暴力行為の増大という現状の背後に潜在しながら、正当に評価されていない要因のひとつであろう。

 

人は、その食べたものによって形成されるという観点からすれば、私たちは、自らが口にした食べ物の栄養成分や物質的構成要素とともにそのエネルギーや振動を吸収している。

マクロビオティック食事法では、農耕作業や調理過程も含めたあらゆる段階において、穏やかで平和な心持ちを保持することに重きを置いている。

質の高い食事とは、ただ単に純粋自然な全般の姿で、化学薬品・放射線照射・遺伝子操作と無関係な食品というだけでなく、調和の取れた精神によって育てられ、加工され、調理された食事のことを指すのである。

古来、農民たちは、自分たちが収穫した作物をたたえ、加工する際には、ゆっくりとした速度の自然な手法を用い、料理人は、調理にあたって自らの思想と祈りを込めながら、力強く健全なエネルギーを料理に傾注してきた。

現在、広く一般に普及しているのは、まさにこのような伝統と好対照をなす状況である。

現代的な食事は、伝統製法の自然な発酵・醸造・保存の各工程を高エネルギー手法によって人工的に加速され、製造・加工・精製されたものを食材として用い、台所においては、電気レンジや電子レンジなどの高エネルギー調理器具によって生み出された無秩序な振動が食べ物に侵入し、その影響を細胞や組織・思考や感情に直接及ぼしている。

家庭は、往々にして家族対立の戦場と化し、料理をすることは可能な限り回避され、怒り・虐待・怠惰が台所や食卓の至るところに撒き散らされている。

良好な健康状態・研ぎ澄まされた意識・高いスピリットを回復させ、それを保持していくためには、命の糧となる素材や食べ物が持っているエネルギーに対して感謝の気持ちを抱いた、本来の自然に沿った食べ方を再び復活させることが重要である。』

   (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

一人の信者が、「神は形があるのですか?

それとも無性無形のものなのでしょうか?」と質問した。

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方は形があって、しかも形がない。

一人の出家がジャガンナートにお参りした

お参りしてから心に疑問が生じた。――『いったい、神には形があるのがホントウか、それとも形がないのがホントウか?』

ちょうど手に杖を持っていたので、それで試してみることにした。

ホントウに神がそこにいるのかどうかをね。

――杖が神像にさわれば形がある、さわらなければ形がないのだろうと。

はじめ、杖をこちら側からあちら側に(神像のあるところに)動かしてみたら、全然神像にさわらなかった。――そうか、やはりタクール(神)の形は、ホントウは無いのか!

それから、あちら側からこちら側に杖を動かしたら、こんどは杖は神像にあたった。

そこで出家は悟ったというよ、神は有形でもあり、無形でもある、と。

しかし、このことを理解するのは大へんな力がいる。

形のない御方がどんなわけで形を表すのか?

この疑問が起こるわけだよ。

しかも、形をとるにしても、どうしていろいろさまざまな相(すがた)になるんだろう?」

 

「神をつかまないうちは、こういうことははっきりと理解できないよ。

求道者のために、あの御方はいろいろな姿で、いろいろな方法で現れて下さるんだよ。

あの御方は形が無いし、また形もある。

どんなふうなものなのかわかるかい?

サッチダーナンダは果てしない大海のようなもの。

信仰の冷やす力で、どころどころに氷ができている。

水が氷の形に固まっている。

つまり、信仰者のためにあの御方は形をとって現れて下さるんだよ。

そしてまた、智識の太陽が上ればその氷は溶けてしまう」

「つまり、“ブラフマンのみ真実、世界は虚仮(まぼろし)”と分別のきわまたところで三昧に入ると、形や相(すがた)は蒸発してしまう、ということさ。

そうなるともう、神を“人格(person)”としては感じられなくなる。

あの御方はどんなものか、口では言えなくなる。

いったい、誰が言うんだい?

言うべき御方もいなくなったんだから--。

その御方の“私”は、どこを探したって無い。

そのときブラフマンは、無性――絶対(Absolute)だ。

その場合、あの御方はただ“覚”として現れるだけだ。

普通の心や知性では、あの御方は理解できない(Unknown and Unknowable)。

だから、言うんだよ。

信仰は月、智識は太陽だと。

聞くところによると、うーんと北と南の方には海があるそうだね。

そこはとても寒いので、海の水がでかい塊になっちまっている。

汽船も通れない。

氷が邪魔になって先には行けないんだとさ」

 

医師

「ですから、信仰の道に進むと、障害物にぶつかるということです」

 

聖ラーマクリシュナ

「うん、まあ、それもそうだが、別に害にはならないんだよ。

だって、サッチダーナンダの海の水が氷になったんだもの。

もし、もっと考えたかったら、もっと“ブラフマンのみ実在、世界は虚仮(ウソ)”と考えつづけていたかったら、そうしていてもいいんだよ。

智識の太陽で氷が溶けていくだろう。

あのサッチダーナンダの海に溶けてしまうんだよ」

 

「分別判断の極まったところで三昧に入ると、オレもワタシもなくなる。

でも三昧に入ることはとてつもなく難しいだよ。

この“ワタシ”というやつは、どうにもこうにも追ン出て行かないんだ。

追ン出せないものだから、また何度も何度もこの世に生まれて来るんだよ。

ごらん、牛はハムバー、ハムバー(わたし、わたし)と啼くからどんなに苦労するか!

一日中スキにつながれて――降っても照ってもさ!

そうでなけりゃ、肉屋に売られて切られてしまう。

それでお終いじゃない、皮はナメされて靴に作られる。

さいごに血管や腸が糸梳き用のヒモになる。

そして糸梳き職人の手で使われると、トゥフ、トゥフ(あなた、あなた)と音をたてるようになって、やっとこれで解放される。

人が、“ナハン、ナハン(私じゃない、私じゃない)“――つまり、ワタシなんてものはない、おお、神さま、あなただけ、あなただけがすべてをなさる、あなたがご主人で私は召使い――と、こう思うようになると、すっかり楽になる。

それが解脱なんだ」

 

「あらゆる道を通ってあの御方をつかむことができる。

ちょうど、お前たちがこの寺へ来るのに馬車に乗ってくる人もあり、ボートか蒸気船で来る人もあり、または、歩いて来る人もある、というようなものだ。

自分の好みと生まれつきの性分に応じて、それぞれの方法で来るんだよ。

目的地は一つだ――先に着くか後で着くかの違いだけ」

 

「ウパーディ(肩書きや称号など。例えば――“私は学者だ”“私は何某の息子だ”“私は金持ちだ”“私には身分がある”)がなくなるほど、あの御方がそばに来て下さる。

高い土手には水は集まらない。

低い土地に集まる。

そんなふうに、あの御方の恵みの水は、高慢なところには集まらない。

あの御方の前に、人はできるだけ低い謙虚な態度でいるのがいい。

よくよく注意しなければいけない。

着るものさえも慢心の原因になる。

脾臓肥大の病人が黒い縁取りの腰布を巻くと途端に、ニドゥ旦那の軽い歌をうたい出したのを見たよ。

ブーツをはくと途端に、英語をしゃべり出す人もいるよ!

ふさわしくない人間が赫土色の衣(僧衣)をつけると高慢になる。

ちょっとばかり軽く扱われただけで腹を立ててムッとする」

 

「熱心にならなくては、あの御方に会うことはできない。

この熱心さは、いろんな経験(人生の悲苦)を卒業した後でなければ起きない。

女と金に囲まれて生活していて、まだ、それらが原因で起こるさまざまの経験を卒業していない連中には、神を慕う情熱は芽生えない。」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

いかなる場合でも身心を尽くして

わたしを信じ愛し仕える者は

速やかに物質自然(プラクリティ)の三性質をのり越えて

ブラフマンに到達するであろう

 

そしてわたしがブラフマンの住処である

即ち 不死不滅の全一者

永遠の法則(サナータナ・ダールマ)であり

絶対の幸福*である」

(バガヴァッド・ギーター第14章26-27)

*幸・不幸の相対を超越した大歓喜

ブラフマンの本質をサーチダーナンダという。

永遠の実在(サット)

完全円満な智慧(チット)

絶対の至福(アーナンダ)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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<食物についての識別>について(15)

ここ数回にわたり、<食物についての識別>についての有効な知識として、それぞれの食物が持っているエネルギーが、人体に及ぼす影響について、詳しく見ています。

 

食べ物は、栄養面から語られることが多いですが、長年の食習慣が、人間に与えている影響については、見過ごされているか、わかっていても、無視されることが多いようです。

 

しかし人間以外の動物は、食べ物を選ぶことができません。

 

肉食動物は、肉食ですし、草食動物は、草食です。

昆虫でも、海の生物でも、食べ物は決まっています。

 

人間だけが、食べ物を、個人個人で選ぶことができるのです。

 

食べ物を食べるのは、お腹を満たすため、嗜好を充たすため、など、理由はいろいろありますが、

自らのエネルギーをどのような状態にしたいか?という観点から、選ぶことも可能なのです。

 

ヨーガ行者や仏教の僧侶が、食べ物に対して、非常に繊細な感覚を持っていることは、よく知られています。

 

毎日食べる物に対して、少しでも意識的になれれば、考え方や感じ方、感情、行動までもが変わってきます。

 

食べ物を識別し、選別することで、健康状態だけでなく、自分のエネルギー状態のかなりの部分をコントロールできることが、知識ではなく、体を通して、わかるようになります。

 

引き続き、前回の続きをご紹介します。

 

 

 

『<薬物>

マリファナやLSDなどの幻覚剤は、感覚をとぎすませ、時空間の錯覚を起こし、夢想・幻想の世界に浮遊させる作用がある。

このような心を拡張させる物質は、極陰性の働きを持って、脳や中枢神経系を拡張させるだけでなく、腸・生殖器・その他の体内奥深くに位置する重要な働きの臓器が持つ強力な収縮エネルギーを喪失させる作用もある。

 

<ビタミン剤その他のサプリメント

合成ビタミン剤は、そのビタミンを抽出した材料・製法・カプセルに使われた素材によって、広範囲に影響を及ぼすものである。

ビタミンやミネラルのサプリメントを長く服用すると、表面的には、活力がみなぎり、頬が紅潮して生き生きしたように見えるが、体内奥深くにおいては、自然の消化器系・循環器系・神経系の各機能に混乱が生じてくる。

ホルモン分泌は、多すぎても少なくてもいけない微妙なものであるため、内分泌機能に狂いが生じやすい。

ビタミンやミネラルは通常の食物の中に含有されているので、特殊な症状を除いて、特に補充する必要はない。

 

<化学薬品が添加された水>

塩素やフッ素化合物などの化学薬品が添加された水は、循環器系・消化器系・神経系の各機能に影響を及ぼし、伝染病などの疾患にかかりやすくなるなど、広範囲にわたる不均衡を生じさせる。

現代の食事指針では、1日に8杯以上の水を飲むよう勧めている。

この基準は、肉類・卵・その他の動物性食品など体に熱を発生させる食品をとっている人を対象にしたもので、大量の水を飲むことによって、体の熱を冷まそうとするものである。

バランスが取れた食事をしている人の場合には、もっと少量の水分で十分足りる。

水をとりすぎると、皮膚がたるみ、筋肉は緩んで全身がむくみ、ふくれた感じの外見になる。

水分は、腹部・足首の周囲・眼の下にも溜まる。

頻尿・汗ばんだ手・湿っぽく低い声といった特徴は、水気のとりすぎによる不均衡が生じつつある証拠である。

 

<精製塩および精製油>

精製された食卓塩は、その成分の99.9%までが塩化ナトリウムで占められ、残りの部分が、ヨウ化物と糖分の一種デキストロース(右旋糖)である。

その中には、自然海塩に含まれる残留ミネラル分に欠けるため、心身ともに堅く引き締まって柔軟性が失われる。

自然食品店でよく見かける灰色がかった自然海塩には、白い自然海塩より残留ミネラル分が豊富に含まれている分、その作用も強力である。

いかなる種類の塩でも、とりすぎた場合、皮膚が乾いて縮み、しわが寄ってくる。

目の周りや下部の黒ずみ、足の冷え・血行不良・若白髪・腎臓の硬化・背中の硬直なども、よく見られる症状である。

塩分の過剰摂取がさらに進むと、頻繁な喉の渇き、やせすぎ・過食・眠気・エネルギーの喪失などが現れて、精神面では頑固で融通が利かなくなる。

やがて忍耐力の欠如・短気・石頭・熱狂しやすいといった状態も見られるようになる。

一般に塩は、漬物や塩蔵に使用する場合を除き、食材とともに調理して使われる。

食卓で生の塩をふりかけたり、食材と合わせて加熱調理する時間が不適当な場合、不均衡が生じてくる。

 

コーン油やピーナッツ油などの精製油・マーガリンや大豆油などの硬化油・パームやココナッツなどの飽和脂肪酸油は、過剰な作用を持っている。

現代的な食事には、その約40%に油脂類が含まれ、その大半は、調理に用いる油・マヨネーズ・ドレッシング・ソースなどの軽い油の形態で使われている。

心臓病・多種類のがん・肝臓や胆のうの疾患・エイズ・免疫不全をはじめとする多くの病気は、油脂類の過剰摂取と関連性がある。

西洋アブラナ科の植物から作られたキャノーラ油は、近年紹介されたもので、多価不飽和脂肪酸を含む軽い口当たりのよさから、レストラン・学校・家庭などに普及しているが、歴史的に見ると、元来、調理油というより、工業用の溶剤として使われてきたものである。

キャノーラ油に関する総合的研究は、まだ実施されていないが、予備研究の結果によれば、視力障害との関連性が指摘され、すなわち毒素による肝臓障害を引き起こす可能性がある。』

  (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

医師

「もしすべてが神の思召しなら、じゃあ、あなたは、なぜこんなにしゃべるのですか?

なぜ、ほかの人に智識を与えようとしてしゃべるのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方がしゃべらせるから、こうしてしゃべっているのさ。

”わたしは道具、あの御方が使い手”だもの」

 

医師

「自分を”道具”と言うなら、黙っていてください。

あらゆる人が神、なんでしょうからーー」

 

ギリシュ

「(医師に)--あなた、どうお考えになろうとご勝手ですが。。。

実際のところ、神がさせるから、我々はするんですよ!」

 

医師

「あの御方がFree Will(自由意志)を人間に与えて下すったんですよ。

私がしようと思えば、神を想うこともできる。

また、しようと思わなければ、想わないでもすむ」

 

ギリシュ

「あなたが神を想ったり、あるいは世間でよい仕事をなさる。

しかしそれは、あなたがなさっているのではない。

それをしたいという気持ちがさせているのです」

 

医師

「どうしてですか?

私はそれを自分の義務だと思ってするのです」

 

ギリシュ

「それも、あなたがそれをすることを好むから、なさるのです」

 

医師

「子供が火事で焼け死にそうになっている--それを助けに行くのは義務だと感じるからで・・・」

 

ギリシュ

「子供を助けることに喜びを感じるから、火の中にとびこむのですよ。

”喜び”があなたをその行動にかりたてるのです。

おつまみにつられて酒をのむようなものです」

 

聖ラーマクリシュナ

「何か事をするには、一つの信念が必要だ。

そして、それを思うことによって歓びを感じるようになり、そしてはじめて、人は何か行動を起こすんだよ。

この地面の下に金貨のつまったカメがある--これを知る、ほんとにあるんだと信じる、これが先ず第一に必要なことだ。

そのカメのことを思うと、嬉しくてワクワクする。

それから、実際に土を掘るんだ。

掘っていくうちに、カチンと音がする。

その嬉しさ!

やがてカメの端が見えてくる。

ますます嬉しくなる。

こういうふうにして喜びがだんだんと増してくるばかりだ。

寺のベランダで、いつか立って見ていたらねーーサードゥが大麻を吸う支度をしていたが、その顔つきの嬉しそうだったこと!」

 

医師

「しかし火は、ヒート(熱)も出すし、ライト(光)も出します。

光では、たしかに周囲が明るくなりますが、熱は体を焦がすでしょう。

義務を行うにあたっては、喜びばかりでなく、苦痛だって伴いますよ!」

 

校長

「(ギリシュに)--”腹に食物が入れば、施し主から少々打たれても背中は我慢する”という諺がありますからね。

苦しみの中にも喜びがあります」

 

医師

「なぜです?」

 

ギリシュ

「そして、喜びのオアシスがある」

 

医師

「けっこう。

さて、また、おつまみのために人は酒を好む、という論点に戻りました」

 

ギリシュ

「心のインクリネーション(傾向、習性)ですよ」

 

校長

「(ギリシュに)--その習性が心をひきずりまわすのです。

傾向とか習性とかの強制力を言いだしたら、Free Will(自由意志)なんて!」

 

医師

「私は、人間の意志が完全にFree(自由)だとは言えませんよ。

牛が縄でつながれている。

その縄の長さの範囲における自由です。

縄をひっぱろうとすれば、また・・・・」

 

聖ラーマクリシュナ

「(医師に)--”神がすべてを為し給う

あの御方が使い手で私は道具”--ね、この信念が不動のものになったら、その人は生前解脱者(ジーヴァ・ムクタ)だ。

”あなたの仕事をあなたがするのに、人は『私』がすると言う”--どんな具合のものかわかるかい?

ヴェーダンタに一ついい説明があるよ。

鍋で料理をする。

ジャガイモやナスなんかも米にまぜてある。

しばらくして火が通ってくると、イモ、ナス、米、みんな跳ね上がり出す。

すると、そいつらはウヌボレて、『私は動いている!私は飛び上がっている!』と思う。

小さな子供はそれを見て、イモやナスは生きているからあんなふうに跳び上がっているんだ、と思う。

いくらか大きくなって知恵がついてくると、イモやナスや米は生きているんじゃない、自分で跳びはねているんじゃない、鍋の下に火が燃えているから、あんなふうに動くのだ、燃えている薪を除いてしばえば動かないんだ、ということがわかってくる。

人間の”私が為すのだ”というウヌボレは、無知無明のせいだよ。

神様の力であらゆるものに力があるんだからね。

燃えている薪をとってしまえば、何もかも黙る。

あやつり人形は人形使いの手であやつられて見事に踊っているが、手から離れると、もうちっとも動かない!

神を見ないうちはーーあの智慧の宝玉に触らぬうちは、自分が行動者だと錯覚しているんだよ。

私は善いことをしている、私は悪いことをしているーーこんな差別の感じがするんだ。

この差別感がつまり、あの御方の創造現象(マーヤー)なんだ。

マーヤーの世界で暮らすために与えてくだすったものなんだよ。

明知のマーヤーに従って正道を行けば、あの御方をつかむことができる。

つかんで、対面して、マーヤーの向う岸に渡ることができるのさ。

あの御方ただひとりが行動者(カルタ―)であって、”私”は人形か道具にすぎない。。。

この不動の信念があるもの、それこそが生前解脱は(ジーヴァ・ムクタ)だ。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

アルジュナ問う

「主よ 三性質(トリグナ)に超越した人の

特徴(しるし)を何とぞお教え下さい

彼はどんな生活をし 行動するのかーー

またどのようにして三性質を超越(のりこえ)たのですか?」

 

至上者(バガヴァーン)こたえる

「バンドゥの息子よ

サットワの光輝 ラジャスの執着

またタマスの迷妄が現れても嫌わず

消えても追及しない者--

 

これら物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の作用に

動揺することなく 悩むことなく

動くのは物質自然(プラクリティ)の三性質のみと静観して

超然として不偏中立を保つ者ーー

 

真我に定住して幸と不幸を区別せず

土塊も石も黄金も同時に視て

全ての事物に好悪の感情を起こさず

賞讃と非難 名誉と不名誉に心を動かさぬ者ーー

 

友と敵を同じように扱い

物質次元の仕事には一切手を出さぬ者ーー

以上のような人は

物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)を超越したと言えよう

(バガヴァッド・ギーター第14章21-25)

 

 

 

 

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☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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<食物についての識別>について(14)

前回ご紹介しました<食物についての識別>に関する記事の中で、「動物食」については、「出来るだけ避ける方が好ましい」というような趣旨の内容をご紹介しました。

 

これは、ラージャ・ヨーガにおける第二段階「ニヤマ」(勧戒)の中の「シャウチャ(心身の清浄)」を実践することにつながると書きましたが、

それだけでなく、第一段階「ヤマ」(禁戒)の中の、アヒンサー(非暴力)の実践にも通じるものです。

 

「ヤマ」(禁戒)には、この他、サッティヤ(正直)、アステヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)で、「ニヤマ」(勧戒)と同じく、5つあります。

 

「動物食をしない」ということは、シャウチャとアヒンサーに通じ、口に入れる食べ物を通して、着実に探求の道を歩むことができるようになります。

 

しかし、この<食物についての識別>についての知識も、実践なくしては、ただの知識で終わってしまい、自己変容にはつながりません。

 

少しでも、自分でできる準備は、自分ですることが、人間として生きる歓びにつながっていきます。

 

どんな山でも、自分の足で一歩一歩登るからこそ、頂上に辿り着いた時の歓びは、大きいのです。

 

山の写真を見るだけでは、その歓びを味わうことはできません。

 

夢見ているだけでは、現状打破は不可能です。

 

「見神」の歓びは、体験してこそ初めて味わうことができるのです。

 

千里の道も一歩より。

 

ゴールに辿り着くために、少しでも前進しようという意志無くしては、いつまで経っても、ゴールに辿り着くことはできないでしょう。

 

 

 

『<パンおよび小麦粉焼成食品>

良質な全粒穀物で作られたパンなどの食品を少量食べるのは、健康的でバランスが取れた食事法にかなうものだが、今日、大半の人は、特に精白小麦粉と砂糖を使った小麦粉製品を食べすぎる傾向にある。

パンは、一見非常に収縮しているが、作る過程で水分・ベーキングパウダー・砂糖と混ぜ合わせた際に膨らむため、食べると肌や頬が膨らんで、青白くしまりのない皮膚になる。

砂糖を加えて焼いた小麦粉製品は、腹にガスが溜まる原因になる。

パンは、粘液も生み出すもので、腸の停滞・肩の痛み・足のたこが生じる場合もある。

臓器が停滞して、肺・肝臓・胆のう・膵臓の疾患が起きることもよく見られる。

焼いた強力な収縮エネルギーは、中でも脊柱や骨に影響を及ぼして、その柔軟性が失われる。

定期的にパンを食べると、全体より部分に焦点を当てた分析的考え方をするようになるとともに、融通の利かない固定化した人生観を抱くようになる。

 

<果物と果汁>

果物は、とても体の熱を冷まして、気分をくつろがせてくれるものだが、とりすぎると、体が冷えて血の巡りが悪くなり、神経質で風変わりなエネルギーをもたらし、精力が失われる。

果物より果汁のほうが、多少凝縮されている。

果物や果汁をとりすぎると、果物を非常に好むサルなどの霊長類のように、おしゃべりで、明るく、しかし、いたずら好きな性格になり、落ち着かない。

不整脈冷え性・頻繁なまばたき・前頭部の薄毛・ふけ性・甲高い声・肺の虚弱・なで肩・猫背・長く垂れた細い鼻などは、果物や果汁をとりすぎた典型的特徴である。

果物を過剰に接収した場合には、その他の食品でバランスを取ろうとする傾向が見れらる。

また、アレルギー症状が促進される。

 

<砂糖と菓子>

砂糖をとると、ブドウ糖が血液中に供給され、血糖値が一気に上昇して、大量のエネルギーが発生するが、この高揚感は、血糖値の低下とともに急速に失われて、不機嫌、感傷性・散漫な思考・混乱・目的の喪失・落胆をもたらし、総体的に見れば、力強さと活力が低下する結果となる。

砂糖をとりすぎた症状としては、そばかす・肌のしみ・指のつめに現れる白い斑点・瞳孔の拡張など、全般的に拡散性の特徴が見られる。

砂糖の摂取は、虫歯・白内障などの視力障害・不整脈・嚢胞・腫瘍などを引き起こす。

過剰に摂取された砂糖は、体内で脂肪酸に変化して、冠状動脈性心臓疾患・多種類のがん・糖尿病・統合失調症・その他の退行性疾患を引き起こす要因となる。

黒砂糖・糖みつ・トウモロコシの果糖など、過度に精製されたさまざまな製品にも、明晰さが失われ、怠惰で夢幻的な行動を示すようになる。

長期的にとり続けると、神秘的な信念を抱き、感情的・情緒的・センチメンタルなものに異常に惹きつけられるようになる。

 

<スパイスと刺激物>

スパイスは、蒸し暑い気候の地域において、体の熱を冷まし、心と神経系に刺激を与えて、体全体が環境に調和するように働きかける役目を果たすものである。

温帯地域で、刺激や香りの強いスパイスやハーブをとりすぎると、興奮状態で落ち着きがなく注意力散漫になり、全身を冷やし衰弱させる作用がある。

四季の変化に富んだ気候地域に住む人がハーブをたくさんとると、大げさな手振りを交えて、早口でしゃべり、感情的に激しやすく、すぐ疲労し、細菌感染やアレルギーなどの疾患にかかりやすくなる傾向がある。

スパイスは、がんを拡散・転移させる作用もある。

コーヒー・カフェインレスコーヒー・紅茶といった刺激のある飲み物は、強い陰性で、拡散作用があり、体内のエネルギーを上昇させ、脳や神経系を覚醒・刺激する効果がある半面、心臓の鼓動を速め、生殖機能を衰弱させる。

心理面では、含有成分のカフェインが、思考や会話などの知的・社会的活動を促進させるが、この表面的刺激はすぐに失われるものである。

コーヒーや紅茶は、砂糖やミルクを入れて飲んだり、ドーナツやペストリーを一緒に食べたりすることが多いため、低血糖症や血糖値の不均衡を招きやすくなる。』

  (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「そうとも、あの御方のお恵みがあれば、智識に不足などあるかい?

わたしはロクに字も読めない子どもみたいなものだ。

ナンにも知らないよ。

だのにこうしたことをしゃべるのは、いったい誰なんだろうね?

神の智慧のお倉は、いくら出しても減らない。

郷里に穀物商がいてね、”ラメ・ラム、ラメ・ラム”なんて言いながら穀物を量る。

一人が量ると、後ろにいる人が次から次へと穀物の山を手元に押し出す。

後ろにいる人はそれが役目なんだ。

わたしの話もそれと同じで、話すそばから次々と後が出てくる。

マーが無限の智識倉から、際限なく出して下さるんだよ!

子供のころ、あの御方の存在をありありと実感したんだ!

十一のときだったよ。

野原で、何というものを見たことだろう!

みんなは、わたしが気絶していて何の感覚もなかった、と言っていたがね。

あの日からわたしは、すっかり皆とは別の人間になってしまったんだよ。

自分のなかにもう一人、誰かいるのかわかるようになった!

お寺で参拝していると、手が神像の方よりも自分の頭の方によけいに来て、そこにお花を供えたりしたものさ!

わたしといっしょにいた青年が、わたしのそばに寄らなくなった。

『あんたの顔に光があって、あまり近よると恐いんだ』とよく言っていた」

 

聖ラーマクリシュナ

「わたしはホントに、無学文盲で何一つ知りゃしない。

それなのにこういう話をするのは、いったい誰だろう?

わたしはいつも言っているよーー『マー、わたしは道具、あんたが使い手。

わたしは部屋、あんたが住み手。

わたしは車、あんたが御者だ』と。

させる通りにわたしはする、言わせる通りにわたしは言う。

動かす通りにわたしは動く。

ナハン、ナハン(我に非ず、我に非ず)、トゥフ、トゥフ(あなた、あなた)。

すべてはあの御方の栄光、わたしはただの道具!

シュリー・マティー(ラーダー)が自分の純潔の証にと、千も口のついた水がめに水をいっぱい入れて頭にのせて運んだ。

ところが水はただの一滴もこぼれなかった。

皆は口をきわめて誉めそやした。

いまだかつて、これほどの純情貞潔な女性はいなかっただろう、と言って。

するとラーダーは、『あなた方、どうしてわたしなんかを誉めるのですか。

クリシュナを誉め讃えて下さい!

クリシュナ万才!

わたしはあの御方の侍女にすぎません』

あの境地のときに、わたしはヴィジャイの胸に足をのっけた。

あれほど尊敬しているヴィジャイの胸に、あろうことか足をのっけたんだよ!

このこと、どう思う?」

 

医師

「以後、お気をつけになればよろしいでしょう」

 

聖ラーマクリシュナ

「(合掌して)--どうすりゃいい?

あの境地になると、外の意識がなくなってしまうんだもの!

何をどうしたのか、ナンにもわからないんだよ」

 

医師

「お気をつけになるべきです。

合掌したからってどうなるものでもありませんよ」

 

聖ラーマクリシュナ

「あのときにわたしが、何かできると思っているのかい?

ーーそれにしてもあんたは、わたしのあの境地をどう思っているんだい?

もし、ワザとそんなフリをしているんだ、などと思っているなら、あんたの勉強したサイエンスとかマイエンスとかいうものは、実にくだらんものに相違ないよ」

 

医師

「先生、あなたがそんなフリをしているんだと私が思っていたら、こんなにしげしげとここに来るでしょうかね?

何もかもおっぽり出してここに来ているんですよ。

ほかの患者の家にもロクに行かないで、ここに来て六時間も七時間も坐りこんでいるのを、よくご存知でしょうが。。。。」

 

聖ラーマクリシュナ

「シェジョさんにも言ったことがある--あんたみたいな金持ちがわたしを尊敬するようになったから、わたしが恩義を受けたと思っているなら大間違いだよ!

あんたが尊敬してくれようとくれまいと、わたしにとっちゃどうということもないんだ。

--まあ、だがね、人間が何をするかは、神さまのお許しがあってのことだ。

神の力の前では、人間はワラくずみたいなものさ!

 

医師

「あなたは、どこかの漁師(ショジョさんのことで、低い漁師のカーストに属していた)があなたを(神の化身と)認めていたから、わたしもあなたを認めているとでも思っているのですか?

しかし、あなたを尊敬しているのはたしかです。

あなたを一個の人間として。。」

 

聖ラーマクリシュナ

「認めてくれなんて、一度でも頼んだかい?」

 

ギリシュ

「このかたが、あなたに認めろとおっしゃったのですか?」

 

医師

「(タクール=聖ラーマクリシュナに)いったい、何を言っているのですか?--それも神さまの思召しですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「ほかに仕様がないじゃないか!

神の力の前で、人間は何ができる?

アルジュナがクルクシュートラの戦場でこう言った--『私は戦えません。

同族を殺すことはできません』

すると聖クリシュナは、こうおっしゃったーー『アルジュナよ、戦え。

戦うのがお前のもって生まれた運命なのだ』

そして、聖クリシュナは戦士の死骸がるいるいと横たわっている戦場の有様を透視させて下すった。

シーク教徒が寺に来たことがある。

その連中も言っていたよ--『アスワッタの木の葉が風でそよぐのも神の思召し。

神の意志がなくては木の葉一枚だって動かない!』」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

全ての行為は自分がするのではなく

物質自然(プラクリティ)の三性質(グナ)の作用にほかならぬ事を知り

その上に至上主の実在を正覚した者は

この三性質を超越してわたしのもとに来る

 

肉体をまとった者が その体と連合する三性質(グナ)を

振り捨ててこれを超越したとき

誕生と老と死の苦より解脱し

物質界(このよ)にいる間から至幸の神酒をのむ

(バガヴァッド・ギーター第14章19-20)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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<食物についての識別>について(13)

前回までは、<食物についての識別>として、エネルギー的に体に良い影響を与える食品についてご紹介しました。

 

今回は、エネルギー的に見て、あまり取り入れない方が良いとされる食品について、見てみたいと思います。

 

エネルギーの清浄は、ラージャ・ヨーガの第二段階のニヤマ(勧戒)の中にある「シャウチャ(清浄)「心身を清浄に保ち、身体と心を浄化するように努める」に該当します。

 

ニヤマは、この他に「サントーシャ」(知足)、「タパス」(苦行)、「スヴェディヤーヤ」(読誦)、「イーシュヴァラプラニダーニ」(自在神への祈念)があり、全部で5つあります。

 

ヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)は、人間として果たすべき義務のようなものなので、常に念頭に置いて、日常生活を送るようにすると、修行を行なっていると同じことになるので、自然と心身の準備が整っていくことでしょう。

 

 

 

『<両極端な食べ物の作用>

極端な食べ物を食べることは、肉体的・精神的・スピリチュアルな側面にさまざまな影響を及ぼすものである。

標準的なマクロビオティック食事法において、一般に避けるか最小限にとどめる食べ物の持つエネルギー効果は、以下の通りである。

 

<肉>

肉類は、非常に強力な短期的なエネルギーを持ち、伝統的に肉体的重労働を継続して行う際、もしくは寒い気候から身を守るために食べられてきたものである。

肉に含まれるたんぱく質やミネラル分は、体内で下降し、内側へ向かう極陽性のエネルギーを生み出す一方、脂肪やコレステロールは、より陰性な成分であり体表面や血流に蓄積される。

肉食をすると、全般的に体は、堅く重く硬直して引き締まる。

現代社会に不可欠な食肉である牛肉は、まるで雄牛のような体つき、力強い表現、攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある。

ハンバーガーやステーキなどの牛肉製品を食べすぎると、特に砂糖やアルコール類といった強い陰性のものと合わせてとった場合、大声をあげるような話し方・傲慢で軽率な考え方・粗野な行動をするようになる可能性がある。

豚肉も強力な攻撃的エネルギーを有し、中でも足など体の下部に影響を及ぼし、食べすぎるとぞんざいな性格をもたらすことがある。

子羊肉は、ややおとなしいエネルギーを持っているが、弱々しい羊のような行動を促進させる。

一般的に肉類には、飽和脂肪酸やコレストロールが多く含まれ、肉食は、高血圧・心臓病・脳卒中・多くの種類のがん・低血糖症などの慢性疾患を引き起こす主要原因となっている。

 

<鶏肉と卵>

鶏肉は、体を堅く引き締め硬直させて、中でも筋肉・骨・神経に影響を与える。

背中上部が丸まって、肩甲骨が引き締まって堅くなり、喉や首の部分に脂肪が溜まり、甲状腺疾患の原因となる。

末端部の硬直が進行し、関節のはれと痛みが起こり、やがて手足の指がくの字状に変形し、関節炎を引き起こす。

長期間にわたって鶏肉を食べると、よろよろした細い脚・過剰なまばたき・とがった鼻・チック(顔や首、肩などの筋肉が不随意に繰り返し収縮すること)症状・けいれんといった発作的動きが頻繁に見られるようになる。

鶏肉を食べると、精神面では、夫を尻に敷き、物事の詳細や取るに足りないことにこだわり、人生観が狭く断片的になるなどの影響が見られる。

卵は、人間が口にする食べ物の中でもっとも濃縮されたもののひとつで、極度の収縮性エネルギーを持っている。

卵を食べすぎると、卵巣・前立腺・肝臓・その他の生命維持に不可欠な臓器を硬化させ、嚢胞・腫瘍・がんになる危険性をもたらす。

エネルギー的観点からすれば、卵をたくさん食べる人は、自分の周囲に振動性の殻を張り巡らせ、他人との意志の疎通が下手になる。

卵を食べすぎると、ちょうどヒナが卵をくちばしでたたいて割るように、発疹などが噴出してくることもある。

卵は、左脳に強力な分析的・理性的能力をもたらすもので、科学者・数学者・チェスをする人は、一般に頭でっかち(egghead=卵頭)と呼ばれている。

 

<乳製品>

ミルク・生クリーム・バター・アイスクリーム・ヨーグルトなどの乳製品は、太い骨・厚くて鈍感な皮膚・鈍くてのろい反応をもたらす。

乳製品は、強力な粘液を作り出し、副鼻腔・肺・消化器系の各種疾患を引き起こすとともに膣からのおりものや強烈な体臭の原因となる。

乳製品を多くとると、親切で優しい人柄になると同時に、過度に感傷的で子どもっぽく、従順で人と群れをなしたがるようになる。

乳製品のたんぱく質と脂肪は、心臓病・がん(中でも乳がん前立腺がん・肺がん)・糖尿病・ぜんそく・アレルギー・せん痛などの慢性疾患の主原因となるとともに、性欲の減退や不感症にもつながる。

伝統的に母乳を与えられない乳幼児は、羊やロバなど温和な動物の乳を与えられてきた。

ヤギやラクダの乳を与えると、きかん気で頑固な子どもが育つと信じられている。

 

<魚介類>

魚介類を食べると、感覚がとぎすまされ、洞察力が鋭敏になって、流暢に話をするようになる半面、ものの見方は、偏狭で一面的になりがちである。

魚を多く食べる人は、理路騒然として、対立を好まず、あたかも魚が群れをなして泳ぐように、集団を作ったり、コミュニティー意識が強くなる。

マグロ・サケ・メカジキなど、ずっしり身が締まって脂が乗った魚や魚介類は、攻撃的な行動を引き起こさせる。

魚介類や甲殻類は、さまざまな独特のエネルギー資質をもたらす。

例えば、二枚貝のフライを食べすぎると、貝が口を固く閉じるように顎が締まる。

魚介類は、腸や肩のけいれんや、皮膚が硬化するなどの合併症を引き起こすこともある。』

  (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

シャーム・ボース

「よく言われている精妙体(幽体)というものを、誰かはっきり見せてくれる人がいますか?

粗大体から精妙体が出てくるところを、誰か見せてくれる人がいるのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「神のほんとうの信者は、そんなことをする気には全くなれないよ。

どこかのバカが認めようと認めまいと、ちっとも気にならないよ!

誰か有名な人を感心させて、自分のところにつないでおこうなんて考えは、これっぽっちもありゃしないんだ」

 

シャーム・ボース

「アッチャ、粗大体や精妙体はどういうふうに違うのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「五元素でできているのが粗大体だ。

心とか、知性とか、我欲、意識、こういうものでできているのが精妙体。

至聖なるものの歓びを感じたり、それと楽しもうとする体が原因体だ。

タントラで言っている”バガヴァティー体”だ。

この三つを超越しているのが、”大原因(超越)”で、これは口では説明できない」

 

「聞いただけでどうなる?

何か実行しろ。

お神酒、お神酒と口でとなえたところでどうにもなるまい?

それで酔えるかね?

お神酒を体に塗りたくっても酔いやしないだろう?

少しでも飲まなけりゃだめなんだよ。

これは四十一番手の糸、これは四十番手の糸と、商売人でもない人が見わけられるかい?

糸商人をしている人は、どんな番手の糸だって簡単に見分けられる!

だから、修行をしなさいと言うんだよ。

そうすれば、粗大、精妙、原因、大原因のちがいがみんなわかるようになる。

そして神に祈るときは、あの御方の蓮華の御足に清い信仰を持てるように、それだけを祈ることだ。

ダルマ(正義)というのは、慈善事業のようないい行いのことだ。

ダルマを持っているとアダルマ(不正)もついてまわる。

徳、徳、とかついでいると、罪もいっしょにくっついてくる。

智識(ジュニャーナ)を持っていると無智(アジュニューナ)もついてくる。

同じように、浄と不浄、光と闇の関係も一つのものの表と裏だ。

それから、一という観念があれば多もある。

いいという感じを持てば悪いという感じもある。」

 

シャーム・ボース

「先生、神智協会のことをどう思われます?」

 

聖ラーマクリシュナ

「まあ一般的に言うと、弟子をたくさん集めようとするような連中は低い霊階の人間だ。

それから霊能力とか神通力のようなものをひけらかしたり、欲しがったりする人も低い霊階だよ。

ガンジス河を歩いて渡ってみたり、遠くの国の人が言ったことを聞きとって話してきかせるとか、そういう力。

こういう人たちが神に純粋な信仰を持つのは、とても難しいことなんだよ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

サットワの支配下で肉体分解すれば

その魂は聖者たちや

立派な信仰家たちの住む

清らかな世界に上がって往く

 

ラジャスの支配下で肉体分解すれば

その魂は仕事に追われる人々の世界に生まれ

タマスの支配下で肉体分解すれば

その魂は無知蒙昧な女の胎に宿る

 

サットワによる行動の結果は

善美であって汚れなく

ラジャスによる行動の結果は苦痛であり

タマスによる行動の結果は愚昧である

 

サットワからは真実の智識が生じ

ラジャスからは貪欲が生ずる

そしてタマスからは愚鈍と

狂気と妄想が生じる

 

サットワに生きる人々は次第に高い世界に上がり

ラジャスに生きる者たちはこの世界に留まり

いまわしいタマスに生きる者たちは

地獄のような世界に堕ちていく

(バガヴァッド・ギーター第14章14-18)

 

 

 

 

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☆真理を体得したい人

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クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

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シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

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<食物についての識別>について(12)

「見神」のための準備として、心と体を浄化するための実践方法として、<食物についての識別>についての理解を深めるために、マクロビオティックにおける食物の持つエネルギーについて、ご紹介しています。

 

これらの知識は、実際に、料理を作る際に活用して初めてその効力を発揮するものですので、実際に、料理に応用しなくては、ただの理論で終わってしまいます。

 

食物の持つエネルギーを理解し、それを実践に役立てることで、心も体も変化していき、準備が整うのです。

 

「病は気から」と言いますが、この「気」とは「気エネルギー」のことです。

 

すべてはエネルギーが物質という形をとって現れているに過ぎません。

 

そして、エネルギーには、いろいろあって、人間の体と心に良い影響を与えるものもあれば、悪い影響を与えるものもあります。

 

人間もエネルギー体なので、良くも悪くも、他からエネルギー的に大きな影響を受けてしまうのです。

特に、食べ物は、肉体を形成する上での重要なエネルギー源ですので、その影響力は他のモノよりも大きいと言えます。

 

それでは、今回も引き続き、前回の続きです。

 

 

『<水>

水は、穀物・塩とともに毎日の食事における三大重要食品のひとつである。

日々の調理や飲用として、自然な水の供給は、重要である。

天然の湧き水は、生き物であり、強力な気すなわち自然の電磁エネルギーを携えて流れている。

消化・吸収を促進し、体内の塩分および他のミネラル分の釣り合いを保ち、腎臓や膀胱の機能を維持する働きがある。

地中深くからくみ上げた井戸水には、やや強めの凝縮効果がある。

水質・硬水や軟水の別・含有ミネラルの配合などには、さまざまな環境要因が関与している。

 

<調理法および食べ方>

食べ物は、調理して食べる方法によって、エネルギーが増減する。

新鮮な食材を選び、季節の巡りに沿った旬のものを秩序正しい方法で食べることが重要である。

鮮度の落ちた食品を食べたり、食べ残しをたくさん出すと、食べ物が持つエネルギーが衰えて、エネルギーや活力の低下につながる。

食べ物は、原則的にできるだけ新鮮な状態で調理し、全粒穀物・豆類・野菜は、少なくとも1日に1~2回はできたてを供するよう心がける。

穀物・豆類・海藻は、1晩おいて翌朝もしくは昼食にその残り物を食べても、日々の健康に目立った影響は及ぼさないが、スープや野菜料理は、毎日作って食べるようにする。

その他の主な影響力は、以下の通りである。

 

★食べ物は、命を形作るものである。

腕のよい調理人は、形・大きさ・味・香りが異なる各食材をあたかも芸術家のごとくパレットの上で見事に取り扱い、家族の健康と意識の向上を創造している。

調理することにより、食べ物が持つ自然のエネルギーを引き出して、その効果を見違えるほど変容させることが可能である。

いかに献立を考え、食べ物を取り合わせて、塩や油などの調味料を用い、火や水を扱うかについて学ぶのは、真の錬金術、すなわち芸術のきわみと言える。

季節の巡りに合わせて、調理の形式・素材・手法を変化させることも重要である。

さもないと料理が単調に陥って食欲が湧かないものになってしまう。

見た目の色合いも非常に動的なエネルギーのひとつであり、ふりかけ・薬味・上手な盛り付けかたなどの要素も食事の楽しみを倍増して、食べる側の心理面に影響する。

ちょっとした薬味やふりかけのひとふりによって、料理の視覚的エネルギーを一変させることも可能である。

 

★火は、強力なエネルギーを生み出して、肉体的・精神的・スピリチュアルな機能を活性化させる。

人類の文化と文明は、調理における火の仕様によって生まれたものである。

ガス火は、安定した均等の火力を持つもので、大半のマクロビオティック実践家庭で使われている。

薪火は、卓越した味わいと強力かつ平和的エネルギーをもたらしてくれるが、現代人にとっては実用的でない場合が多い。

ただし、石炭・炭・ブタン・キャンプ用プロパンなどの自然な火力は、やはり、いずれも申し分ない火力と言える。

 

★食べ物を一口50回、理想的には100回以上よくかんで食べる効用は、多数挙げられる。

かむ際に分泌される唾液中の酵素プチアリンは、食べ物をアルカリ化して、消化・吸収を助け、血液を強化してくれる。

かむことによって食べ物のエネルギーや栄養分がさらに有効に活用され、結果的に食べる量もかなり抑えられる。

よくかむと、食べ物に自然な気の電磁エネルギーが充填され、偉大なる活力と精神性の獲得にもつながる。

 

★料理人の肉体的な健康状態・心持やスピリチュアルなあり方も、その人が作る料理のエネルギーに強力な影響を与えている。

愛情あふれ、穏やかで平和な心持ちで調理された食べ物は、調和的エネルギーを生み出す反面、怒ったり、動転したり、不健康な状態で作られた料理は、否定的エネルギーをもたらす。

原則として、音楽を聴く・テレビを観る・インターネットを検索するなど、他の行為をしながら、料理を作ったり、食事をしたりしないほうが望ましい。

調理している食べ物がコンロの上で醸し出す微妙な音色に十分耳を傾けることは、マクロビオティック料理におけるきわめて重要な原則であり、上記のような気晴らしは、その認識を容易にそらせてしまうものである。

特に食べ物をよくかんでいる間は、平和で心休まる音楽を流すのもよいが、自然の音に耳を傾けるのが理想的である。

与えられた食事に対して、神や宇宙に感謝の気持ちを表現することも、食べ物のエネルギーを増してくれる。

食前や食後の感謝の祈り・祈禱・瞑想・束の間の黙想には、自然界に対する認識を高め、家族やコミュニティーとの調和に貢献し、食べ物の持つエネルギーと精神性を向上させる効果がある。』

  (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「もし、俗世に住んでいる智者と、俗世を捨てた智者がいるとすれば、この二人はどんなふうにちがうのだろう。

答えはこうだ。

二人とも同じ品物だ--両方とも智者--一つの品物だ。

だが世間に住む智者には”恐れ”がある。

女と金のただなかに住んでいれば、何かしら、”恐れ”がある。

煤だらけの部屋に長いこと住んでいれば、どんなに気をつけていても、いくらかは体に黒い煤がつく。

バターにしても、新しい壺に入れておけばバターは悪くなる機会がない。

でももし、バターミルクの入った壺にいれておくとどういうことになるか、ちょっと問題だね。

いり米を煎っているとき、三粒か四粒、ポンポンと鍋の外にはね出る。

その粒はマツリカ(ジャスミン)の花のように白くて、何の汚れもついていない。

鍋のなかの米もけっこうな煎じ米になってはいるが、花のように真っ白じゃないだろう、ちょっとは汚れがついているよ。

世間を捨てたサンニャーシンが智識を獲た場合は、ちょうどあのマツリカの花のように一点の汚れもなくなる。

智識を得た後で、また世間の鍋にいる人は、ちょっとは体に汚れがつくさ。

ジャナカ王の宮殿に一人のバイラヴィー(シヴァ信者の女性)が来た。

女性を見てジャナカ王は、顔をうつむけ目をふせるようにしていた。

その様子をみたバイラヴィーはこう言った--「まあジャナカ、あなたはまだ女性を見るのが恐ろしいのですか!」

完全智に達したなら五つの子供のような性格になって、もう、女と男を差別する感じはなくなるがね。

世間に住む智者に、すこしばかり汚れがついたってかまわないのさ、そんな汚れはちっとも邪魔にならない。

お月様にだって暗いシミのようなところがたしかにあるが、照らす光の邪魔にはならない」

「人によっては智識を得た後に、人びとを導くために何か仕事をする。

ジャナカ王やナーラダのようにね。

人を導くには力がいる。

古代のリシたちは自分のためだけに悟りをもとめて歩いたがね。

ナーラダやジャナカたちは勇気のある人たちだ。

つまらない木っ端は、河に浮いていても鳥の一羽も止まれば沈んでしまう。

大きな丸太なら、牛や人間や象みたいなものまで上に乗せても平気だ。

汽船は自分も向こう岸に渡るが、どれだけ大勢の人をのせてくれることか。

ナーラダたちのような教師(アーチャリヤ)は太い長い丸太--汽船のようなもの。

何か食べたあと、口もとをきれいにタオルで拭いて知らん顔してすましている人がある。

食べたことを他人に知られたくないから--。

マンゴーが一つ手に入ったら、いくつにも切って皆に分けてやって自分も食べる人もある。

ナーラダたちは人びとの幸福を希って、智識を獲た後も、信仰を保ちながら人びとを相手に暮らしていた」

 

「純粋なサットヴァ性になれば、その人は神のことばかり想ってほかのことには何も興味がなくなる。

人によっては前生から受け継いだカルマで、この世に生まれたときから純粋なサットヴァ性を具えている。

そうでなくても、欲を無くして何事もするように努力すれば、やがて純粋サットヴァ性を身につけることができる。

ラジャス性の混じったサットヴァは、いろんな方面に積極的になって、世のため人のためになろう、などという一種のウヌボレが生じてくる。

世のためになるなんてことは、つまらない人間(シーヴァ)にとっては大そう難しいことなんだよ。

でも、他人に奉仕しようという気持ちで、欲のない仕事をすることはいいことだ。

でも、みんなに出来ることじゃない--

とにかく難しいから。

あらゆる人が仕事をしなけりゃならない。

なかで、一人、二人が仕事から離れることができる。

そして純粋サットヴァをもつようになった人も、ホンの一人、二人だ。

この無私の仕事をつづけることによって、ラジャスの混じったサットヴァ性がだんだん純粋なサットヴァ性に変化してくるんだよ。

純粋サットヴァ性になれば、神さまのお恵みで見神できる。

一般の人は純粋サットヴァ性の境地を理解することができない。

ヘムがわたしにこう言ったよーー「どうですか、大先生!この世で名をあげることこそ、人生の目的でしょうが、え?」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

バラタ王の子孫よ

サットワは人を幸福に執着させ

ラジャスは人を利益ある仕事に執着させ

タマスは人の知識を消して判断を狂わせる

 

時にはサットワ優勢でラジャス タマスを制し

時にはラジャス優勢でサットワ タマスを抑え

時にはタマス優勢でサットワとラジャスを支配する

このようにして三性質(トリグナ)は競争している

 

サットワが増してくると

肉体の九門 すなわち目 耳 鼻

口 肛門 生殖器

智識の光で輝くようになる

 

ラジャス増長のしるしは

物事に対する強烈な執着 利益をうむ活動

激しい努力 抑えきれぬ欲望

そして発展へのあくなき追求 焦燥である

 

アルジュナよ そしてーー

タマスが増長すれば

暗愚 邪悪 ものぐさ 無気力

狂気 妄想などが現れてくる

(バガヴァッド・ギーター第14章9-13)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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