永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

「食物についての識別」について(7)

病を治す食事療法として知られている「マクロビオティック」では、宇宙から地球にやって来るエネルギーを収縮したエネルギー、陽性のエネルギーとし、

地球の内部から宇宙に放出されているエネルギーを拡散のエネルギー、陰性のエネルギーとして捉え、 

この陰陽のふたつのエネルギーが、宇宙を形成し、人体を形成し、人間は双方のエネルギーを食物という物質の形で、体内に吸収し、それを各種臓器の働きにより、目に見えないエネルギーに変換して、肉体、精神を維持しているとしています。

 

この陰陽のエネルギーの性質を知ることで、人体に起きている様々なエネルギーの流れや性質を知ることができるようになります。

 

エネルギーに対する理解が深まると、人間を、自分自身を、違った観点から考えることができるようになり、やがては、宇宙の法則、宇宙の真理を理解するヒントとして、大いに役立ってくれることでしょう。

 

今回も、前回の続きを見ていきたいと思います。

 

 

 

『胎児は、子宮内で母親の血液から栄養分を受け取り、その他の滋養分は胎盤を通して得ている。

妊娠期間中の母親の食べ方は、精子卵子が本来的に持っていた資質以上に、胎児の体質と将来の健康に多大な影響を及ぼすものである。

誕生後の新生児は、動物界の凝縮されたエネルギーである初乳と母乳によって養われる。

歯が出そろう離乳後は、適切な発育と成長のための主要な食べ物として、植物性のものがその大半を占めるようになる。

以後、発育・成熟していくに従って、日々の食事が、気すなわち生命エネルギーの主要な摂取源となる。

食べ物は、直接、私たちの心・体・スピリットに変換されるもので、適切な食べ物を選択して調理することによって、日々の健康と幸福を創造していくために必要な、天と地からの凝縮されたエッセンスを受け取ることができるのである。

人体構造や組織の質および機能は、毎日の食事によるところが大きい。

もちろん、私たちは、自然や宇宙からも直接的に気を取り入れ続けるが、このエネルギーは、臓器・機能・細胞・組織を活性化させ、充填することに用いられている。

互いに相関性はあるものの、外界から取り入れる気のエネルギーは、より陰性であるのに対し、毎日の食事の結果として体内で生み出されるエネルギーは、より陽性なものである。

食べ物は、人体の組織や機能を養う血液・リンパ・その他の体液などに直接変化して、天・地球の周期・私たちを取り囲むさまざまなリズムからやってくる波動や振動を十分に取り入れられるようエネルギー経路を開く役割を果たしている。

 

食べ物は、肉体的健康や活力に加え、私たちの心や精神も創造して、意識の質を決定するものである。

宇宙からの波動は、脳や神経系を通じてらせん形を描いて取り入れられている。

無数にある細胞のそれぞれが、大気や私たちを取り囲む環境からやってくる振動を引きつける受容体となっている。

私たちの知性や精神性は、体細胞がエネルギーを受容した度合いに応じて決定される。

ゆっくりした周期で振幅が長い波長ほど、肉体を活性化させ、より頻繁な周期で振幅の短い波動のほうが、私たちの思考・想像・夢を創造するのである。

全粒穀物と調理した野菜を食事の主な中心にすえる食べ方をすると、周期がゆっくりで振幅が長い波動とともに、周期が頻繁で振幅の短い波動も併せて取り入れることができる。

意識の範囲が広がると、日常的な事務処理と天空の音楽を同時に取り扱うことが可能となる。

もし砂糖・スパイス・アルコール類・薬物など、極陰性な食べ物を摂取すれば、体内の経絡・神経系・各細胞の中にあるらせんが膨張しすぎて、短い波動が取り入れられなくなる。

逆に肉類・卵・家禽類・脂っぽい魚など、極陽性の食べ物をとると、らせんが活性化しすぎ、混乱して受容した波動を誤って解釈してしまう。

高邁な精神性と緻密な意識は失われ、間違いだらけで暴力的かつ視野が狭く、偏狭で断片的な思考を始めるようになるのである。

このような食べ物が持つ力を過小評価してはならない。

インドに伝わる伝統的知恵の教えである『ウパニシャッド』にいわく、「あらゆる創造物は、食べ物に分解されていく。

食べ物こそが、万物の長であり、普遍的薬なのである。・・・われこそ、この世界そのものであり、同時にこの世界を食すものであるという事実は、知る者ぞ知るのである」。

 

全粒穀物は、地球上で、数百万年にもわたって、人類のらせん状の進化の中心に位置してきた。

人類は、主に野生種および栽培種の穀物などの植物性食品をとることによって、独自の直立姿勢・高度の発達した知性・精神的方向性を発達させてきたのである。

アジアでは雑穀と米、南ヨーロッバ・北アフリカ・中東では大麦と小麦、北ヨーロッパではオート麦とライ麦、アフリカでは、モロコシ・雑穀・米、北アメリカではマコモとトウモロコシ、南アメリカではアマランサスとキヌアというように、全粒穀物は、あらゆる伝統文化・文明において主食の座を占めてきた。

主要な副食とされてきたものは、海陸の植物(野菜と海藻)・豆類・果物・種子・木の実・根菜・塊茎・キノコ・その他の植物性食品である。

毎日、食事のたびに、世界中の人々は、植物界から得た飲食物をバランスを取りながら摂取しているのである。

主要な食べ物の第3番目として挙げられるのが、野生の鳥獣・小型の哺乳動物・魚介類・飼育した家畜類・小さな飼育生物・昆虫・幼虫などを含めた動物性食品である。

科学者たちによれば、人間は、地球上に人類が誕生して以来、その大半の期間において、平均して月に約2~3回の頻度で動物性食品を食べてきたとされる。

この様式の例外とされるのは、穀物や野菜が生育・収穫できないか、採れる時期が短期間に限定される特殊な気候・環境の地域である。

この中には、熱帯の砂漠・山岳地帯・寒帯・南北極近郊の地域が含まれる。

このような地域では、年間を通じて、比率としてより多くの動物性食品が摂取されており、それによって、過酷な自然環境や活動的な遊牧生活とのバランスを保っている。

動物性を主体とした食事は、こうした状況下では、健康的かつ伝統的な生活法に含まれるものであるが、人類の大部分が住まう世界の大半を占める温帯もしくは熱帯地域では、およそ400年前から始まった近代文明の始まり以来、植物性を主体とした食事法が数えきれない世代を通じて脈々と続けられてきた。

現在、新たな世代の科学者たちは、人類の祖先たちは主に肉食をして、他の生き物に比べてより多くの動物性たんぱく質を摂取したために独自の能力を発達させてきた、とされる従来の定説を覆す挑戦を始めている。

例えば、近年、ハーバード大学の人類学者の中には、初期人類によって進化の主力となったのは、調理法の発見であるとの学説を提出する学者たちが出てきた。

彼らは、考古学的証拠を再検証した結果、人類特有の顎・骨格構造・知性・高度な推察能力・社会構造は、火を扱って野生の植物を調理する術を習得した結果であると説明している。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

「それから、世間で暮らしているなら、本当のことを言うようにできるだけ努力しなけりゃいけないよ。

正直、誠実でこそ、至聖(かみ)さまがつかめるんだからね。

わたしの場合、いまはちょっとゆるくなってきたが、以前はそりゃあ大変なものだった。

”沐浴する”と言ったとすれば、ガンジス河に下りて行って、マントラを唱えて頭に少し水をかけて、それでもまだ何だかやり方が不十分だったんじゃないかと不安になったものだよ!

或る場所で小便しようときめると、どうしてもそこでしなければ気が済まなかった。

カルカッタのラムの家に行ったとき、何かのハズミに、『ルチは食べない』と言ってしまった。

さあ、食事の席に坐って腹が減っているのに、どにかくルチは食べないと言ったからにはルチは食べられない。

仕方がないから、砂糖漬けの果物で胃の腑を満たしたよ。

でも、今はその気持ちは少し弱くなった。

『うんこをしに行く』とつい言ってしまって、出そうもないのでラムに相談した。

ラムは、『したくなくなったのなら行くことはないですよ』と言った。

そのときよく考えてみた。

すべてはナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)の顕れだ。

だから、ラムもナーラーヤナだ。

だから、あれの言うことをきかないという法があるだろうか?

象もたしかにラーナーヤナだが、しかし、象使いもナーラーヤナ--。

象使いが象のそばに寄るなと言う時は、その言葉に従わない法があるだろうか?

こんなふうに分別判断してからは、”本当のことを言う”ことに対する熱心さは少しばかり弱くなったよ」

 

「シヴァナートを見ると、わたしはとても嬉しくなるんだよ。

あれはまるで、信仰の甘い水に浸りきっているような様子だからなあ。

それに、あんなふうに大勢の人から褒められる人間は、きっと神様から何かの力を与えられているんだ。

でも、彼には大きな欠点が一つある。

それはね、自分の言葉に責任を持たないことだ。

わたしに向かって、『一度、あそこ(南神村のカーリー神殿)に来る」とはっきり言っておきながら、いつまでたっても来ない。

伝言もよこさない。

こりゃよくないことだね。

”真実を語ることが末法の世(カリユガ)における修行だ”と言われているよ。

誠実さ(サティア)を粘り強く持ち続けていれば、きっと至聖(かみ)をつかむことができる。

誠実ということにいい加減な気持ちでいると、だんだん人は堕落していく。

わたしが今、何かの拍子に『うんこをしに行く』と口走ってしまったら、もし、うんこが出たくなくても、尻洗い用の水壺を手に持ってジャウタラ(ジャウ樹の根本)まで行かなくちゃならん--誠実さに対する熱意を失いたくないからね。」

 

「見ろ、シヴァナートは年中いろんな問題ごとに巻き込まれて大忙しだ。

雑誌や新聞にモノを書かなけりゃならないし、そのほかにも滅多やたらに仕事がある。

ああいう世間の仕事をしていると、気の休まるひまもないさね。

悩みや心配ごとが次から次へと寄ってくる。

シュリーマッド・バーガヴァラにこんなことがでている。

アヴァドゥータは自分の二十四人の師のなかにトビを一羽いれていなすった。

ある場所で漁夫が魚を獲っていると、一羽のトビが舞い降りてきて魚を一匹さらって跳び上がった。

ところが、魚を見たカラスどもが千羽ほどもトビの後から追いかける。

カァカァわめきながらしつこくトビを追い廻す。

どっちの方向へ逃げてもトビの行く方へカラスの群れはついていく。

南へ飛べば南へ、北へ逃げれば北へ、どこまでもどこまでもついていく。

西へ行っても東へ飛んでも同じことだ。

しまいには、もう何が何だかめくらめっぽうに逃げているうちに、トビの口から魚が落っこちてしまった。

そうしたら、カラスはトビを放っておいて魚の方に行ってしまった。

トビはやっと息をついて一本の木の枝に止まって、ヤレヤレと胸を撫で下ろした。

木の枝に止まって考えついた--あの魚が原因でこの災難が起こったんだなあ。

今は魚がないから、おれはこの通り平和なんだ!

”魚”--つまり、”欲”を持っている間は仕事がついて廻って、そのために、悩み、心配、もめごとが追っかけてくるのだ、という教訓をアヴァドゥータはトビから得たわけだ。

だが、無私の仕事はいいことだよ。

それで心の平和は乱されることはないからね。

だが、無私の仕事というものは途方もなく難しい。

自分では無私の仕事をしてるつもりでいても、どこからともなく欲が忍び込んでいるものだ。

先に沢山修行をした人なら、どうやら無私の仕事ができる人もいるようだがね。

神様にお会いした後なら、楽に無私の仕事ができる。

見神の後では、大抵の場合仕事が離れてしまうものだが、なかに一人二人は、人々を導くために仕事をする』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

物質体(にくたい)の千差万別を見て

差別観におちいらず 生物は全て

一なるものより発することを知ったとき

その人はブラフマン意識に達する

 

クンティーの息子よ 霊魂(アートマン)は不滅であって

物質自然(プラクリティ)の性質作用を超越している

それは肉体の中に在るが

何事も行為せず 影響を受けない

(バガヴァッド・ギーター第13章31ー32)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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「食物についての識別」について(6)

数回にわたりご紹介しています「食物についての識別」に関連して、食物の持つエネルギーを更に押し広げて、人体をエネルギーの観点、陰と陽という相反する二つのエネルギーの観点から見てみますと、人体だけでなく、大まかなこの宇宙の仕組み、構造がわかってくるので、とても興味深いと思われます。

 

今回は、前回の続きです。

 

この世界は、二元の世界と言われていますが、二元とは、相反する相対の世界と言うこともできるかと思います。

 

陰陽、裏表、明暗、幸不幸、高低、優劣、深浅、あなたとわたし、自分と世界、主体と客体、等々。

 

この相反する二元的宇宙を、エネルギー的に考えると・・・以下のようになります。

 

 

『人体の臓器は、相補かつ相反の関係で成り立っている。

総じて天からの力は、より引き締まった固体の構造を持ち、下降し内向き方向に動く一方で、地からの力は、膨張した中空の構造を持ち、上昇する外向きの動きをする。

このため、心臓、肺、腎臓、膵臓脾臓、肝臓はより陽性の臓器に、小腸、大腸、膀胱、胃、胆のうはより陰性の臓器にそれぞれ分類されるが、陽性の臓器は、その陰陽に比例して、より軽くゆっくりした陰性のエネルギーによって滋養を与えられる一方、陰性の臓器は、より強く早い陽性のエネルギーに養われている。

一般的に人体の左側は、天からの力の影響を受けやすい一方、人体の右側は、地からの力に支配される部分が大きい。

このため、乳房・肺・卵巣・睾丸・腎臓などの左右一対になった臓器では、通常、左側のほうが、いくぶん小さく引き締まっており、右側にあるほうが、多少大きくて膨張している。

人体の内部に位置する臓器もほぼ同様の影響を受けている。

心臓の左側は、より多くの天からの力で満たされ、右側は、より多く地からの力で充填されている。

下降する結腸や直腸は、より陽性のエネルギーによって養われ、上行結腸の上向き部位は、より陰性のエネルギーから滋養を与えられている。

その中間部にあたる横行結腸は、ほぼ等分にあたる天と地双方からの力によって支配されている。

人体の上部は、上昇し外向きにらせんを描く地からの力の影響を多く受けている。

女性は、地からの力を比較的多く受けているため、乳房が膨らみ、同様に頭頂から生える髪は豊潤に長く伸び、精神的過程を経る活動や機能は、脳に集約されている。

同じ理屈で、人体の下部は、下降し、内向きらせんを描く天からの力に支配され、人体の重心は、腸の奥深く(丹田)に根差して、生殖器は小さく引き締まり、動的活動は、その大半を足脚に負っている。

心臓・肺・肝臓・膵臓脾臓を含む人体の中間部分は、両方の力をほぼ等分に受けている。

人体の前後で見ると、天からの力は、堅く引き締まった脊柱や凝縮された中枢神経系の形成に優位を占める一方、地からの力は、柔らかく膨張した消化器系および呼吸器系を形成している。

そのバランスを保つため、より陽性な脳や神経系は、波動や振動の形でスピリチュアルな波動を食べ物として消化し、より陰性な消化器系は、実体ある飲食物の形で主に物質的食べ物を処理している。

その中間的な循環器系は、天と地の力の均衡を体現して、肝臓に支配されるいくぶん引き締まった血液、および脾臓が統括する多少膨張気味のリンパ球という相補かつ相反する枝葉へと分化していく。

周辺および中央という観点では、天からの力は、より奥深い中枢機能を支配し、地からの力は、より外側の表面的機能に影響を与えている。

つまり陽性エネルギーは、脳・肝臓・心臓といった人体内部に位置する中枢臓器、卵巣・睾丸、骨・神経、その他内部にある構造や機能の最奥領域に結集する傾向があり、逆に陰性エネルギーは、皮膚・口・唇・乳房・腸および手足指を含む先端部などのもっとも表層な部位に集まりやすい。

あらゆるエネルギーは、らせん状に動いており、収縮局面は膨張局面へと転じていく。

膨張するらせん極限に達すると収縮するらせんに変容し、収縮らせんはいずれ膨張らせんへと転じる、という具合に交互に繰り返されていく。

上下・内外・左右・前後など、対極の実態は、すべて唯一の連続したエネルギーの流れが顕現化して見られるものである。

私たちの人体構造は、天と地の力によって創造され、滋養を与えられている全宇宙の驚くべき構造であり、平静に均衡を保ったあり方がその本来のあるべき姿なのである。

 

陰陽によって事物を見るという見方が初めてという方々のために、私たちの日常生活において、いかに拡散と収縮が遍在する資質として反映されているか、ごく実用的な側面で見てみよう。

家の扉や窓は、季節によって、縮んだり伸びたりし、自動車や事務機器などの機材も、気温・湿度・圧力などの微妙な変化に感応している。

その様子は、あたかも私たち人体の臓器や腺の様相と同じである。

屋外では、道路自体が、とりわけ塩分や水気といった要因に感応して、傾斜・凹凸・隆起・くぼみを生じさせている。

これはちょうど、私たちの皮膚や組織・臓器の内壁にも似ている。

このような簡単な類似や比喩を挙げれば、陰と陽、すなわち膨張と収縮が私たちの人体内をいかに制御しているのか、誰でも理解できるであろう。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

人体において、収縮したエネルギーと拡散するエネルギーがどのように密接に関係しているのか?

実際には、目にすることは無い人体を構成している電磁気の流れも、このように理解すると、より現実的に身近に感じることでしょう。

 

東洋では、「気」とも呼ばれているので、私たち日本人には馴染みのある観念だと思います。

 

経絡とは、この人体に流れる気エネルギーの流れる路ということになり、

「病は気から」とも言いますが、この気エネルギーの人体における影響は、想像以上に大きいことは明らかです。

 

気エネルギーは、訓練次第で、感じることができるようになります。

 

チャクラも経絡も、眼には見えませんが、実際に存在するエネルギーの出入り口であり、流れなのです。

 

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「いいかい、慈悲と愛着は別なものだよ。

愛着というのは自分に属していると思っているものに対する執着だ。

たとえば父さん、母さん、妻や息子などをかわいいと思う気持ちだ。

慈悲はすべての生物をかわいがる気持ちのこと。

分け隔てのない公平な気持ちだ。

慈悲心のある人を見たら、神様のお恵みを受けている人だと思え。

慈悲心からすべての生き物に奉仕するのだ。

だが、愛着も神様から来る。

愛着を通して、あの御方は人を家族や縁者に奉仕させなさる。

けれどもよくお聞き。

愛着は人を無智にしておいて、この世に縛りつける。

だが、慈悲は精神を清浄にする。

そして、だんだんと縛りを解いていく。

精神が清浄にならなければ、見神は出来ないからね。

色欲や怒りや貪り心に打ち克つことが出来たら、あの御方のお恵みがいただけると。

そうするとお会いできるんだ。

これはほんとに秘密の話なんだが、性欲に勝つためには、わたしだって実にいろんな方法を試したものだよ。

ヨーガのある坐法を組んで、ジェイ・カーリー(カーリーに勝利あれ)、ジェイ・カーリーと前後左右に向かって叫んでみたり、ぐるぐると歩きまわってみたり、ずいぶんと工夫したものだ。

わたしが十のとき--まだ郷里にいた時分だが、はじめてのあの状態(サマーディのこと)になった。

野原を歩いていたらあるものが見えて、それが大波のように覆い被さってきた--見神にはいくつかの特徴がある。

光りを見ること、歓喜を感じること、胸の中に花火が上がったような大風が吹き上がる」

 

「ね、”私と私のモノ”--この二つが無智というものなんだよ。

”おお神様、あなたがご主人、一切すべてあなたのもの”--これが智慧というもの。

どうして”私のモノ”なんて言える?

庭園の管理人は”手前どもの庭”なんて言っているが、何か失敗をして旦那に追い出されるときは、マンゴの木で作った自分の物入れ箱でさえ持って出る勇気もない。

愛欲や怒りのようなものは、どうしても無くならない。

だから、それを神様の方へクルリと向け変えろ。

何かを手に入れたいと言う欲があったら、神様を手に入れたいという欲にしてしまえ。

よく考えて判断して、この世のはかない事物から欲を逸らしてしまえ。

象がその庭のバナナの樹をたべようとすれば、象使いは先のとがった棒で突っつくよ。

お前たちは商人だから、商売の進め方を知っているだろう。

人によっては最初に皮帽子作りから始めて、かなりの金を儲けるとこんどは衣類の店を出す。

そんな具合にして、人は神への道に進んでいくものだ。

そして、時々独りになって、神様に呼びかけることが多くなってくるよ。

だけれども、このことは知っているかな?

時期が来なければどうにもならない、ということ。

ある人々には、経験しなければならないことがどっさり残っている。

そのために遅れているのだ。

オデキだって、あまり早いうちに切開すると結果が良くないだろう。

膿んで柔らかくなって口ができた頃合いに、医者は切開する。

子供が、”お母ちゃん、ボクおねんねするから、おしっこのとき起こしてね”と言うと、母親はこう答える。

”坊や、おしっこがしたくなれば自分で目が覚めますよ。

母さんが起こさなくたって大丈夫よ”」

 

「ね!

神様は見えるんだよ。

”神は口で説明することも頭で考えることも出来ない”とヴェーダにあるが--これは、心がこの世のことに執着していては見ることが出来ぬ、という意味だ。

ヴァイシュナヴァ・チャランは、『あの御方は、純粋な心と純粋な知性によって知ることができる』と言っていた。

だから、信人、聖者の許に出入りして、いつも祈りを忘れずに師(グル)の教えに従うこと--これが必要なのだ。

そうすると心が澄んできれいになる。

すると、あの御方が見えてくる。

汚れた水は漉してきれいにしなくてはね。

そうすれば顔も映つる。

泥の付いた鏡には映らない。

心がきれいになって信仰が身に付いたら、やがてあの御方のお恵みがあってあの御方に会える。

会ったあとで、お指図があれば人びとを導くようになる。

その前に勝手に説教するのはよくないね。

自分の胸の中のお堂を、先ずきれいに掃除することだよ。

そして神像をちゃんとお祀りすること。

礼拝の用意をすること。

何の用意もしないで、ボウボウほら貝を吹いていたって何になる?』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

あらゆる所に あらゆる生物のなかに

ひとしく至上主(パラメーシュワラ)を見る者は

自分で自分(自己の本体であるアートマン)を傷つけることなく

まっすぐに至高の目的地に近づく

 

すべての行為(カルマ)は物質自然(プラクリティ)によって

つくられた肉体が行うのであって

自己の本体(アートマン)とは無関係であると知る者は

存在の実相を見ているのである

(バガヴァッド・ギーター第13章29ー30)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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「食物についての識別」について(5)

今回は、「食物についての識別」を更に推し進めて、久司道夫先生の「The マクロビオティック」から、エネルギーの観点から「人体」について解説して下さっています箇所を、抜粋してご紹介させて頂きます。

 

久司先生の解説通りに、人間を、この世を、この宇宙を、エネルギー的に考えられるようになると、これまでご紹介してきましたブログの内容が、より身近に分かり易く感じられることでしょう。

 

「エネルギー」は、多くの謎を解く「鍵」であることは言うまでもありません。

そのヒントを、これからご紹介する久司先生の文章の中に見つけてみて下さい。

 

 

『絶え間ない変転は、宇宙の法則である。

銀河の誕生から亜原子粒子に至るまで、文明の興亡から個人や家族の存亡、体内臓器や組織の構造から組織や細胞の働きまで、あらゆるものが、整然とした変化の法則に基づいて展開されている。

宇宙の秩序は、古来、歴史を通じて、あらゆる文明や社会によって発見・理解・称賛され、宗教的・スピルチュアル・哲学的、社会的・治療的に偉大なる伝統としての普遍的基盤を形成してきた。

日常生活において、この永遠の秩序と調和して生きる方法は、古代から仏陀老子孔子といった東洋の賢者たちおよびモーセ・イエスムハンマドなど西洋の偉大なる人類の師によって説かれてきた。

その内容は、これまで何千年にもわたって、数多くの名前や形式のものと繰り返し再発見され、適用され、説かれ続けている。

万物は流転し、何事も不変ではなく、あらゆるものが変化の途上にあり、何事も一か所にとどまっていることはない。

電子は原子の中で核の周りを回転し、地球は太陽の周りを回りながら自転し、太陽系は銀河の中心の周りを回転しており、宇宙が絶え間なく循環し膨張する中で、銀河の集団は、互いに超高速で離反し続けている。

対極は相互に引きつけ合いながら調和を保ち、似たもの同士は互いに排斥し合って不調和を回避している。

一方の極は他方に転じつつ、いずれ元の極へと回帰していく。

あらゆる事象を支配するこのふたつの相補的対極の資質は、極東では、陰陽として知られている。

この地球上で私たちは、太陽・惑星・星・遠方銀河・宇宙空間の果てからやってくる求心的エネルギーとして陽性を体験している。

この外から内へ入り込み、下降する力が、あらゆるものを地球の中心核に向けて押しつける方向に作用する結果、地球は自軸を中心に自転し、太陽の軌道を回っているのである。

古代文化において、このエネルギーは、天からの力として知られていた。

現代科学では、この原初的力を引力または重力と名づけ、物体を中心へと引きつける普遍的力であると誤解している。

地球は、自軸の回転によって、上向きで拡散性の逆方向の力も同時に発生させている。

この地殻から生まれ、上昇する遠心性の力は、地球の力として知られている。

このふたつの力の相互作用によって、私たちの地球から宇宙の隅々に至る万物・万象が創造されているのである。

陰陽は、万物創造を織りなし、対極間で果てしなく繰り返されるダンスである。

両極は、いずれも独自の傾向を持っていて、陽性の力は、収縮・綿密・重さ・高速・高温をもたらし、陰性の力は、拡散・発散・軽さ・低速・低音を創造している。

火の高温が拡散に転じ、氷の低温が凝固をもたらすように、いずれもきわまると対極に転じる。

陰陽は、ともに静止した固定的な状態や要素ではなく、絶え間なく循環し、相互に変換し合う傾向を持っている。

生物学的レベルで見れば、陽性は男性が持つエネルギーと、陰性は女性が持つエネルギーと、それぞれ関連性があるが、完璧に陽性もしくは陰性のみの資質を持つものは存在せず、この両極の力を含む割合は、不断の変動と変化に支配されている。

男性は、女性に比べると、肉体的に力強く、重量があり、活動的であるが、往々にして女性のほうが精神面では勝っており、直感力も鋭い場合が多い。

同様に外見的には、女性のほうが男性より優しく、親切で、愛らしく見えるが、内面的には、男性のほうが多分に恥ずかしがり屋であり感傷的で受容力を持っているものである。

陰陽は、神もしくは無限なる宇宙から生じて、数知れない姿形となって現れ、最終的には、やがてまた合併され、共通の源に回帰していく。

この陰陽の法則は、亜原子粒子の動き、血液や組織の構成、惑星や月の構造、性差間の関係性まで、ありとあらゆる現象をつかさどっている。

私たちの日常生活において、この両極のバランスを保つ方法を習得すれば、病気を健康に、争いを平和に、悲しみを喜びに転じていくことが可能となるのである。

 

自然の何十億年にも及ぶ進化の頂点にあたる人間は、天と地の力の力強い相互作用によって形成されている。

女性の卵子は、卵巣内の卵胞の内側へ向かうらせんの動きによって形成され、男性の精子は、外側へ向かう生殖細胞の分化によるものである。

こうしたそれぞれの過程が融合して、新たな生命が創造されるのである。

子宮の中の胎児は、母親の頭部で渦巻くつむじの中心から反時計回りにらせん形を描いて流入する天からの求心力と、母親の子宮から時計回りにらせん形を描いて上昇する地からの遠心力の双方を絶えず受け取っている。

いずれのエネルギーも生命力あふれる電磁力を発生させながら、成長する胎児の上下方向から充填されている。

このエネルギーは、日本では「気」、中国では「チー」、インドでは「プラーナ」、イスラエルでは「ルアーク」、初期キリスト教では「聖霊」として、古くからその存在が知られていた。

子宮内部で天と地の力が結合され、胎児の肉体的・精神的・スピリチュアルな構造が形成されていく。

進化の過程で刻まれた青写真に基づき、1個の受精細胞から無数の細胞が配列され、複雑な生命体が新たに誕生するのである。

この高度に充填された環境で、ふたつの力が融合する結果、垂直方向のエネルギー経路が生み出される。

この上下2か所の流入口に加えて、自然の電磁力が活性化した7カ所の主要中枢を形成しながら、エネルギー経路における5カ所の主な領域に充填される。

このエネルギー中枢は、古代インドでは、「チャクラ」もしくは「輪」と呼ばれていたものである。

これら高度に充填されたふたつの力は、子宮内の胎児の回転運動と融合して、胎児の中枢から周囲の環境へ向けて放射されるエネルギーを生み出し、胎児の周りに目に見えないエネルギーの層を形成する。

この目に見えない流れは、この領域内で発生して、内側および外側へ向かうらせん状のエネルギーを形成している。

主な内向きらせんは、消化器系および呼吸器系、外向きらせんは、神経系および骨格へとそれぞれ成長を遂げ、その中央に循環系が形成される。

さらなる分化によって、動きの遅い中実の臓器と動きの速い中空の臓器が形成されていく。

一例を挙げれば、初期段階の心臓は、天と地の力の周期的脈動に感応して、胎児の椎間板と初期胎盤に血液が循環し始める受胎後第24日目に鼓動し始める。

人体内で7本に分岐したらせん状組織は、全般的に成長を遂げて、消化器系、神経系、循環器系、呼吸器系、骨格、生殖器系の各組織およびその機能を統合し、包括的全体を形作っていくのである。

心臓および他の主要な臓器や機能が形成された後、電磁力は、上昇・下降の両方向へ向けて放出され、腕や脚の成長を促進させていく。

チャクラから分岐する電磁波であるエネルギーの流れは、経絡として知られ、腕・手・指・脚・足・つま先に至って終着している。

経絡の実態は、線でも経路でも導管でもなく、らせん状のエネルギーの流れであり、体内に流入し、臓器を形成し活性化させた後、手足を活性化させながら上下方向へと放出されていくエネルギーの流れの全工程を表すものである。

この観点から見れば、人体の臓器・腺・機能は、経絡と別個のものではなく、全経路の中でもっとも凝縮され肉体化された部分であると言える。

次いで各経絡は、より小さく細かい多数の支流に分化している。

これらの支流は、無数の細胞に血液や気、意識を運ぶ役割を果たしている。

人体は、その構造や機能において、目に見えるものと見えないものが複雑に組み合わさって成り立っている。

臓器・腺・組織・細胞は、らせんを描くエネルギーが充填された経絡とチャクラとの活発な連携を基盤として顕現されたもので、それらが一致協力して人間の自然な電磁力構造を形成しているのである。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「(ハズラーに)誰に向かって信仰するかを、ラテゥに説明してやったよ」

 

ハズラー

「信仰者は、自分みずからに向かって祈っているのです」

 

聖ラーマクリシュナ

「それはとても高い思想(かんがえ)でね、プリンダーヴァリがパリ王にこう言ったーー「あなたはブラフマンにどんな宝をささげるのですか?」と。

お前がいま言ったこと、そのことのために、祈りや、修行や、称名したり、讃歌をうたったりするんだよ。

自分のなかにほんとうの自分をみつけることができたら、一切成就だ!

それを覚るための修行なんだからね。

その修行をするために肉体(からだ)があるんだ。

黄金の神像ができ上るまでは、土の鋳型が必要だ。

神像ができ上ったら、土の鋳型は捨てられてしまう。

見神できたら、肉体は捨ててもいいんだ。

あの御方は内にだけいらっしゃるのではないよ。

内にも外にも!

カーリー堂で大実母(マー)は、あらゆるものが霊だということを見せて下すった!

マーがすべてのものになっていなさるんだ!

お像も、このわたしも、お水入れも、供え皿も、ぴかぴか光る飾りものも、木の戸も、大理石も、意志も、みんな霊そのものなんだよ!

このことをはっきり見るためにこそ、あの御方に祈るんだよーー祈祷、修行、称名、讃歌、キールタン。

このことのために、あの御方を信仰するんだ。

あれたち(ラトゥたち)は見ての通り、まだそれほど高い境地にいっていない。

あれたちは信仰にすがっている。

まだあれたちにはそういうこと(ソーハムーー我はソレなり)を言うな」

 

「あの御方は、自分の奥深くに住む全智全能の主だよ!

素直な心で、キレイな心であの御方に祈れ。

あの御方は何でも教えて下さる。

我執高慢を捨ててあの御方に頼りきれ。

すべてを得られるさ。

外で人と交わるときには、みんなに好意を持って同じ仲間のようになりなさい。

悪意を持ってはいけないよ。

”あの人は人格神を認めていて、神は無相だという真理をわかろうとしない。

あの人は無形の神は認めるが、人格神を認めようとはしない。

あれはヒンドゥー教、あれはイスラム教、あれはクリスチャン”ーーなどと言って見下したりしちゃいけない。

あの御方がそんなふうに見せて下さるんだからーー。

みんなそれぞれ、生まれつき違った性質や傾向をもっているのだということを、よく会得してみんなと付き合いなさい。

多くの人と交わって、そして、みんなを愛しなさい。

それから、自分の部屋に入って、静かな平和を楽しみなさい。

”智慧の灯のかがやく内なる態度で、ブラフママイーのお顔を拝みなさい”

自分の内なる部屋で、自己の本性を見るんだよ。

牛飼いが牛を野原に連れて行くと、みんないっしょになって、まるで一かたまりになる。

夕方、戻ると、またそれぞれの小屋に入れられる。

自分の小屋で”自らのなかに住む”のさ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

バラタ一族の最も秀れた者よ

動くもの 動かぬもの

生まれ出たものはことごとく

用地(クセートラ=体)とその認識者との結合であることを知れ

 

そして すべての生物のなかに

ひとしく至上主(パラメーシュワラ)が住んでいる

必滅の体のなかにあるこの不滅なるもの

知る人は まことに存在の実相を見ているのだ

(バガヴァッド・ギーター第13章27ー28)

 

 

 

 

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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「食物についての識別」について(4)

ここ数回、マクロビオティック食事療法の本から、「食物についての識別」において、知恵として活用できる部分を、抜粋してご紹介しています。

 

前回は、誰でも経験している「ストレス」の緩和方法についてご紹介しましたが、

今回は、この時期に発症するケースが多いとされている「季節性感情障害(SAD)」、いわゆる、「季節うつ」と呼ばれる症状の緩和についてご紹介させて頂きます。

 

 

『季節性感情障害(SAD)は、季節の移り変わりによって、気分や身体機能に極端な変化が現れるもので、季節的には春から夏に比べて、特に秋から冬にかけて起きやすい。

SADをわずらうと、該当期間中に、気分の落ち込み・活力の低下・短気・食欲増加・家庭や職場で仕事をこなすのが困難になるなどの症状が見られる。

砂糖・菓子・精製炭水化物などを無性に欲して、体重が20ポンドも増え、睡眠時間も通常より4時間も長くなる。

重症になると、他人を避けたり、身体障害を引き起こしたり、自殺を試みる場合もある。

症状は、8月下旬から9月上旬に現れる場合が多く、翌年3月から4月上旬まで、暗く沈んだ悲観的無感情な様相を引きずっている。

アメリカでは、1000万人もの人々にこの疾患が見られる。

そのほかに約2500万人が、比較的軽い症状である「冬のふさぎ」をわずらっている。

性別では、女性のほうが4倍もSADにかかりやすく、子どもや青年の場合、秋に学校が始まるころ、症状が発症しやすい。

現代医療では、SADを臨床的にうつ病と捉え、最近の研究は、脳内の神経伝達物質で冬季にもっとも低下するセロトニンの果たす役割の解明に焦点が当てられている。

うつを緩和するため、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)などの抗うつ剤が処方されるのが一般的である。

明るい環境を提供して視覚神経を刺激する光療法も広く用いられる。

冬季休暇に太陽が明るく照る気候地域に出かけるのもよい方法である。

南方や熱帯地域に住む人は、寒い北方地域に住む人に比べて、8倍もSADにかかりにくい。

 

マクロビオティックの観点からすれば、SADの原因は、脂肪・たんぱく質・糖分・塩分が過剰に含まれる無秩序なアメリカの標準的食事によるもので、中でも季節の推移に合わせた調整が欠如していることにある。

長く寒い冬が終わり、春になると、大地のエネルギーが立ち昇り、活性化し始め、真夏にその頂点をきわめる。

この期間、私たちは、新鮮な青菜・庭で採れた野菜・みずみずしい果物といった軽くて拡散性を持った食品をとり、軽めの調理法を用い、塩分や調味料は控えめで、水分を多めにとるようにする。

これによって、暖かく乾いた環境と太陽の降りそそぐ季節とのバランスが保たれる。

秋から冬にかけては、エネルギーが変化して、収縮し始める。

木々は落葉し、動物は冬眠に入り、雪や氷が地表を覆う。

この期間には、私たちは、滋養たっぷりの穀物・根菜・乾物などの、より強力な収縮性を持った食品をとり、いくぶん火をよく通した調理法を用い、塩分や調味料は多めに、水分は控えめにとるようにする。

これによって、寒く湿った環境と日差しの少ない季節とのバランスが保たれる。

現代的な食事法はもはや、このような季節の巡りを無視して、まったく異なる気候環境からかき集めた食品で構成されるようになった。

人々は、冬でもパイナップルやマンゴーなどの熱帯性食品を食べ、夏にステーキやチーズバーガーなどのずっしり重い動物性食品を食べている。

スーパーマーケットや自然食品店には、一年中あらゆる季節の食品が取りそろえられている。

自分が住む環境の変化に対応した食べ方をしなくなれば、自然との調和から逸脱し、多くのレベルで不均衡を経験するようになるのは、ごく自然なことである。

 

SADは、陰陽両極端な食事の組み合わせによって引き起こされ、特に肉・家禽類・卵などの油脂分やコレステロールを多く含んだ動物性食品、チーズ・アイスクリームなどの乳製品、ピザ・クラッカー・クッキー・チップスなどの堅く焼き締めた小麦粉製品、マヨネーズ・サラダドレッシングを含めてあらゆる種類の脂っぽい食品、熱帯性の果物や野菜などを大量に摂取したことによるものである。

SADの症例の大半には、新陳代謝の低下・体重の増加・性欲減退・他人との接触を避けるといった症状が見られる。

これは、熊などの動きが遅く、体が大きい陰性な動物に見られる冬眠状態と類似している。

このような傾向は、動物性・植物性の両方からの油脂分のとりすぎとともに、大量の堅く焼き締めた小麦粉製品や塩分過剰によって引き起こされる。

こうした陽性過剰のため、菓子・単糖類などを無性に欲するのが、SADの特徴である。

この疾患を解消するには、食事指針として、陰陽両極端な要因による症状のための「食事法その3」に従う。

全粒穀物・調理した野菜類、中でも秋から冬にかけての甘いカボチャ類・タマネギ・キャベツなどを使った野菜料理をとると、砂糖や単炭水化物に対する欲求が抑制される。

甘い野菜のドリンクを一か月間、毎日飲み、その後2カ月目は、一日おきに飲むと、血糖値の安定化に役立つ。

ニンジンと大根の飲物か切干大根のお茶を一週間に数回、数カ月間飲むと、体内に溜まった余剰な脂肪分の排出に役立つ。

切干大根にしょうゆ少々ふったものをとるのも効果的である。

症状を回復するには、自然に触れる機会を持つことが重要である。

できるだけ地元で採れた食材を用いるように心がけ、毎日、30分以上、戸外を歩くようにするとよい。

自分の身近な環境に見られる樹木・花々・植物・鳥のさえずりなどを識別できるように学習する。

天候のいかんにかかわらず、ガーデニング・ハイキング・近くの山や湖を散歩するのもよい。

写真撮影を趣味とするなど、このような方法はすべて、自分が住んでいる環境適応して、長い冬を乗り切るために役立つものである。

合わせて、もし臨むなら、太陽が降り注ぐ土地へ短期の旅行に出かけると、帰ってきたときには、十分その恩恵に浴し、元気を取り戻すとともに、自分が住む環境に感謝の念が湧き起こるであろう。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

このように見ると、体と心、そして食物は密接な関係を持っていることが、よくわかります。

 

いつもは無意識に食べている、または、好きなモノを優先して食べている食生活を、少し見直してみませんか?

 

病気治癒や予病に役立つだけでなく、「見神」への心身における準備としても、非常に役立つことと思われます。

 

心身が整うと、余計なモノが削ぎ落されるので、微細なエネルギーを感じ取りやすくなります。

 

微細なエネルギーを感じられるようになると、大きく意識が変容し始めます。

 

その状態で、グルの恩寵に与れる人は幸いです。

 

「見神」の瞬間は、自然とやって来るでしょう。

 

そのための準備(修行)は、個人がやらなくてはなりません。

 

棚から牡丹餅を期待しても、無駄です。

 

「見神」を望むなら、最低限の努力は必要なのです。

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「シッディとは本質をつかむこと。

”八大神通力”のシッディではないんだよ。

あのシッディのことは、クリシュナがアルジュナにこう言いなすっただろうーー『弟よ、もし八大神通力の一つでも持っていたら、その人はわたし(神)のところには来られない』と。

どうしてかといえば、神通力など持っていると高慢になって、高慢の気が少しでもあれば至聖をさとることができないからだ。

それから、プラヴァルタカ(初心者)、サーダカ(修行者)、シッダ(成就者)、シッダのシッダ(完成者)というのがある。

神様を拝みはじめたばかりの人はプラヴァウタカの段階だ。

この段階の人は額に宗派のしるし(ティクラ)をつけたり、首に数珠をかけたり、外側のことを熱心に実行する。

サーダカはずっと進んで、外見上のことにはあまり気を使わなくなる。

サーダカは神をさとることに憧れて、心の底からあの御方を呼び求め、称名をし、真剣に祈っている。

じゃあ、シッダは?

神は実在し、神だけがすべてのことをなさるのだ、という確信をもった人。

つまり、神を見た人のことだ。

シッダのシッダは?

あの御方と話をする人だ!

ただ見ただけじゃなく、親として、友だちとして、愛人として、あの御方と親しく付き合い、話し合うんだ。

木の中に火が含まれている、という信念。

一方、木から火を取りだして米を煮て食べ、満足し安心する。

この二つは別の品物だ。

霊的境涯に限界はない。

その上があり、またその上がある。」

 

「(恍惚とした様子で)ここにいるのはブラフマン智を求めている人たちだ。

無形の神の信者だ。

それも結構だね。

ブラフマン協会の協会員たちに向かって)

一つの理想(かんがえ)をしっかり持っていろ--形ある神でも、無形の神でも、そうすれば、いずれ神をつかむことができる。

そうしないとダメだ。

しっかり信仰していれば、形ある神の信者も神をつかめるし、無形の神の信者もつかめる。

砂糖のついたお菓子を正面からかじっても、横っちょからかじっても、甘いことは同じさ。

でも、しっかりした信念を持たなければだめだよ。

熱心にあの御方を呼ばなけりゃダメ。

世間の人たちが考えている神はどんなものか知ってるかい?

叔母さん連中の口ゲンカをいつも聞いている子供たちが、何かして遊んでいるとき、『神さまに誓って!』などと言う。

あの程度のものだ。

それから、キザな紳士がキンマの葉(インドの嗜好品)を噛み噛み、ステッキを手にもって庭を散歩しながら、花を一つ摘みとって友だちに言うーー『ねえ君、神は何というビューティフルな花をお造りになったものだろう!』

こんな程度のものさ。

でも、こうした俗人の気分はホンの一瞬の間のことでね、ちょうど焼けたフライパンの上の水滴のようなものさ。

一つの理想(かんがえ)をしっかり守って修行することだ。

飛び込むんだよ。

そうしなければ海の底にある宝玉は手に入らない。

水の表面でバシャバシャやっているだけでは何もつかめないよ」

 

「深く沈め。

神を愛することを学べ。

神の愛に浸れ、お前たちの祈りの言葉を聞いたがね、お前たちの協会じゃ、神さまの偉いことをやたらに言い立てるが、ありゃどういうつもりだい?--『おお神よ、あなたは大空をお創りになりました。広い広い大海をお創りになりました。

月の世界、太陽の世界、星の世界をお創りになりました』

ああいうことを言って、それほど役に立つものかねえ?

人はみな、旦那の別荘を見てびっくりする--木も花も池も部屋も、部屋の中の絵や何もかも、何とすばらしいものかと思って言葉も出ないほど感心する。

でも何人が、別荘をつくった旦那を探そうとするかね?

旦那を探すのは一人か二人だ。

神様を熱心に探せばその御方に会えるし、話も出来るんだよ--ちょうどわたしがお前たちと話をしているようにね。

ほんとだよ。

ほんとに会えるんだよ!

こう言っても--さあ、信じる人がいるかなあ!」

 

「お経の中で神様を得られるかい?

お経や聖典を読めば、せいぜいのところ、神は存在するらしいなあと感じる程度だろう。

自分で飛び込まなければ神様は会って下さらないよ。

深く飛び込んだ後で、あの御方は自分のことを知らせて下さるから、そこでいろんな疑いは晴れるんだ。

本を何千冊読んでも、口で何千回聖句をとなえても、情熱をかたむけてあの御方に飛び込まないかぎり、あの御方をつかむことは出来ないんだよ。

ただの学問だけでは人をだますことは出来ても、神をだますことは出来ない。

お経、書物、ただそれだけで何になる?

あの御方のお恵みなしには何一つどうにもなりゃしない。

だから、あの御方のお慈悲がいただけるように、一生懸命に努力することだ。

お慈悲がいただけたら、あの御方に会えるんだから、お前たちと話をして下さるんだからーー」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

或る者は瞑想禅定によってそれを覚り

或る者は理論哲学(サーンキャ)を学んでそれを知り

或る者は名利を求めぬ仕事をして

それを通して至上我を見る

 

或る者はこのような霊的知識を知らなかったが

人からこれを聞いて至上者(わたし)を拝みはじめる

こうした人々も正智聞信の功徳により

生死の鎖から解放されるであろう

(バガヴァッド・ギーター第13章25ー26)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

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☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

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「食物についての識別」について(3)

「食物についての識別」について、ひとつの方法として、マクロビオティック食事療法におけるアプローチをご紹介しています。

 

私自身が、マクロビオティックを長年、実践していることで、マクロビオティックの大家である久司道夫先生の言われていることが、机上の空論などではなく、実際に、人間の体に起きていることである、と実感しています。

 

私たちの病ばかりでなく、気分や感情、思考傾向、嗜好、好き嫌い、なども、食物からの影響を多大に受けているとは、一般的には考えにくいかと思いますが、

日々口にする食物を変えることで、肉体や精神面で、大きな変化が訪れることは、マクロビオティックを実践した多くの人びとが、実際に、経験していることです。

 

これらの事実があるということを念頭に、食物が人間に与えている影響を考慮し、自己変容のための一つの手段として、実践していくことは、人生をより生きやすくすることにつながります。

また、心身共に、不要なものが削ぎ落されていくことで、自己の本質を掴むためのより良い準備となることでしょう。

 

今回は、一般人の誰でも、経験したことがあるであろう「ストレス」に対する食事面からのアプローチについて、ご紹介いたします。

 

現代社会に生きる私たちは、ストレスとは切っても切れない関係があります。

 

このストレス社会を、生き抜く智慧(手段)として、食物と心身面の密接な関係を理解し、食生活に応用することで、生きることが少しでも楽になることでしょう。

 

ヨーガの目的は、「心の制御である」とされています(ヨーガ・スートラ)

 

感情や思考のコントロールも、食物の力を借りることで、より達成しやすくなるということになります。

 

「食物についての識別」が、ヨーガの最終目標である「真の自己の発見」への道を大幅に短縮することは、間違いないでしょう。

 

 

『ストレスは、現代社会に見られる特徴である。

職場でのストレス・家庭や学校での重圧・人間関係・その他の緊張や不安などは、数多くの肉体的・精神的疾患の要因に挙げられる。

無力感・諦観などは、現代における生活の速度に起因している。

現代社会では、特にIT(情報技術)などの新しい技術や、原子力の脅威、環境破壊、薬物、アルコール、犯罪の流行といった常用な課題についていかなければならない。

人生の目的・死後の世界・カルマ・その他の哲学的関心事から湧き起こる不安感も、実在的・精神的ストレスの原因となる。

一般的な症状には、頭痛・疲労感・消化吸収の異常・背中の痛み・首や肩の痛み・心配性・短気・集中力の欠如・食欲減退・過食や偏食などがある。

従来的医療では、ストレスに対して、ジアゼパムなどの抗不安剤の投与と合わせて、精神療法・グループ療法・その他のカウンセリングが実施されている。

 

マクロビオティックの観点からすれば、ストレスは、外部からではなく、内面から発症するものである。

例えば、血糖値が下がると、締め切り期限などの外部からの刺激要因が、ストレスを引き起こす。

この感情は、体内の肉体的症状・内臓へのストレス・膵臓や肝臓をはじめとする臓器や機能の問題から発生している。

通常、健康な人なら、多少圧迫感を感じても、それを適切に処理していくことができる。

実際、そのことで、機敏さ・能率・生産性が向上し、判断力が機敏にとぎすまされ、直感的に正しい方向性を目指していけるようになる。

こうなると、不平不満をこぼさず、疲れを知らずに、朝早くから夜遅くまで働き続けることができ、ときには短期間の休息を取ることがあっても、しっかり安定して、自分が従事する物事に多大なエネルギーを傾注することができる。

戦争・自然災害・家庭や職場での困難といった正反対の状況下でも、内部に秘めた底力を発揮して切り抜けていくのである。

 

逆に、今日の人々は、座ったままの生活で軟弱に安楽にすごし、車・電話・コンピューターなどの現代技術に依存しているため、いったんそれらの機器が故障して機能しなくなると、まったくお手上げの状態に陥ってしまう。

彼らは、ほんのささいな批判をうけるだけで、粉々に砕け散ってしまい、ごく簡単な物事も処理不能になるのである。

大部分の場合、日常生活においてストレスを経験する人は、極陰性な状態にあって、血液の質が劣化し、内臓が衰弱して、機能するエネルギーや活力がたやすく欠乏してしまう。

この種のストレスは、内臓が膨張する結果、外部から圧力がかかって起きるものでる。

組織・血管・臓器は、外部からの圧力によって、膨らんだ風船のように緊張して張りつめ、結果的に柔軟性・適応性が失われていく。

別の場合、中でも低血糖症の患者の症状は、陽性要因過剰によって起きたものである。

動物性食品・焼いた小麦粉製品・塩分などのとりすぎによって、膵臓の硬化が引き起こされ、この内部へ降下する力や圧力が、血糖値を上昇させるホルモンであるグルカゴンの分泌を制限するようになる。

 

食事指針としては、前者のストレスの場合、拡散性過剰要因によって起きた症状のため「食事法その1」に従い、後者のストレスには、陰陽両極端な飲食物の組み合わせによって起きた症状のための「食事法その3」に従う。

陰性要因によって起きたストレスには、いくぶん強力な料理および調理法を用いることが望ましい。

特に、もちが効果的で、フライパンで焼く・オーブンで焼く・みそ汁にいれるなどしてとるとよい。

根菜入りセイタンシチュー・根菜入りヒジキなども頻繁にとるようにする。

梅しょう番茶を一週間に数回飲むと、エネルギーや活力の回復が促進される。

陽性要因によって起きたストレスの場合、やや軽めの料理および調理法を用いることが望ましい。

例えば、大麦・トウモロコシ・青菜などを頻繁にとるとよい。

陰陽両極要因から起きたストレスが見られる人は、甘い野菜ドリンクを毎日、一か月間飲み、その後2カ月目は、一日おきに飲むと、血糖値が安定して、不平不満や気分の揺れが緩和され、膵臓などの内臓にかかった圧力が解消される。

その他の兆候や全般的症状によって、定期的にショウガ湿布・レンコンプラスター・大根干葉の腰湯を行うなど、外部からの手当も有効である。

歩く・毎日楽しい歌を口ずさむ・その他の軽い適度な肉体的・精神的活動を行うことも、気分的なストレスや緊張の緩和に役立つ。

このような食事法・生活法の実践によって、もっとも望ましい健康状態が次第に取り戻され、興奮・挑戦・冒険に満ちあふれた生活を再び送れるようになる。

私たちは、いかなる困難に遭遇しても、自らの限りない夢を追求し続けていくことができるのである。』

(THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「すべての人が神に惹かれるわけではないよ。

特別の器量をもった人たちがそうなるんだ。

前生から受け継いだ力やいい性格(サンスカーラ)でそうなるんだよ。

そうでなかったら、バグバザールにあれほど人がいるのに、何故あんたたちだけが此処に来るんだい?

純粋でない奴らは来やしないさ。

マラヤの風に当ったら、木という木はみんな白檀になるが、ただ、シムロとアスワッタとバニャンと、それからあと幾本かの木は白檀にならない。

あんた方は金に何の不自由もない。

ヨーガの道をしくじった人は恵まれた家庭に生まれて--また、神を求めて修行するようになる」

 

マヘンドラ・ムクジュー

「なぜ、ヨーガの道から外れるのでございましょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「前生で神を求めて修行しているうちに、突然、官能の誘惑にかられた。

これに負けてヨーガの道を退転するんだよ。

そういう人は、次に、さっき言ったような生まれ方をする」

 

マヘンドラ

「それからは、どんなふうにすればよろしいのでございますか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「欲望があって、経験したいという衝動があるうちは、解脱できない。

だから、やりたいことは何でもおやり--食べたり、着たり、女と寝たり、大いにやんなさい。

アハハハハハ、あんたはどっちがいい?

正式に結婚するのと、気ままにやるのとどっちだね?」

「何かしたいという気持ちを、そのままにしておくのはよくない。

だからわたしは、自分の心に浮かんだ希みは何でも、すぐ実行するようにしたものだよ。

バラバザールで色のきれいな菓子(サンデシュ)を見て、食べてみたいと思った。

そう言ったら人が持ってきてくれたので、しこたま食べたよ--後で腹をこわしたがね。

子供のころ、ガンガーで水浴びをしているとき、一人の少年が腰に黄金のバンドをしめているのを見た。

こんな境地になってからそのこを思い出して、ふと自分も、一度あんなバンドをしめてみたいなと思った。

ほんの少しの間しか、しめていられなかったよ。

バンドをしめたら、体のなかで何ともいえぬ嫌な霊気(ヴァーユ)がもくもくと下から上にのぼってね--きっと、金が体にさわったせいなんだね?

すぐ外して放り投げてしまった、さもなけりゃ、バラバラに引きちぎってしまっただろうよ。」

「いちど、たいへんぜいたくな金銀で縫い取りした衣装を着てみたい、という希望が湧いた。

それから、銀の水ギセルでタバコを吸ってみたい、と。

シェジョさんが、金ピカの衣装も、銀ギセルも、みんなよこしてくれた。

衣装も着た。

銀の水ギセルもいろんな格好で吸ってみた。

右に傾けたり、左に傾けたり、上向きにしたり、下向きにしたりして--。

そして、自分の心に言い聞かせたよーー”コレ、心よ、これが銀ギセルでタバコをのむということだぞ!”それから、キセルを放り投げた。

金ピカ衣装も、ちょっとの間着て脱ぎ捨てたよ--足で踏みつけて。

おまけにペッペッとツバを吐いてーー言いきかせたよーー”これがぜいたく衣装だ!

この衣装はラジャス性(三性質のひとつ、活動優位)を募らせるだけだ!”」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

プルシャはプラクリティのなかにあって

その三性質(トリグナ)と関係を持つ

三性質(トリグナ)との係わり方に応じて

善または悪の子宮に宿って誕生する

 

だが肉体のなかにはもう一つ

根本主である至上霊が住んでいる

それは至上我(パラマートマー)または超魂とも言われ

生者の全活動(すべて)を監督し 許可し また経験する

 

プルシャ(個魂)とプラクリティ(物質自然)

またその三性質(トリグナ)の相互作用を理解する者は

現在どのような環境にいても

決して地上に再生しない

(バガヴァッド・ギーター第13章22ー24)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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「食物についての識別」について(2)

前回から、「食物についての識別」について、現代では実践する人も徐々に増えてきているマクロビオティック食事療法に関する本を元に、食物が及ぼす人体への影響について、詳しくご紹介しています。

 

予病の観点からも、また、病の治療法の一つとして、マクロビオティックを実践することは効果的であるばかりでなく、

そうでない場合でも、食物の身体や心(精神)に与える影響を知り、その効果を体で体感していくことは、エネルギーの浄化につながり、やがては、「自己の本性」が目覚めていくことにつながることでしょう。

 

見神、もしくは、自己の本性を悟るためには、肉体にも心にも余分な滞りが無くなり、エネルギーがスムーズに流れるようになることが必要です。

 

仏教では、「貪・瞋・痴」を心の三毒としており、「むさぼり(必要以上に)求める心、怒りの心、真理に対する無知の心」を戒めています。

 

食物は、肉体だけでなく、心・精神にも影響を与えると、マクロビオティックの大家・久司道夫先生は書かれています。

 

スワミ・ヴィヴェーカーナンダが仰っている「食物についての識別」について、基本的なところでは、応用できる面が多いと感じますので、今回も前回の続きをご紹介させて頂きます。

 

 

『不安・疑い・懐疑・嫉妬などの感情は、脾臓膵臓・胃の不均衡と関連性がある。

こうした臓器が健全ならば、思いやり・知恵・同情・理解などがもたらされる。

潜在的不均衡に対応して、精神および心理面に見られる症状としては、単なる心配性をはじめ、全般的不安・適度な苦悩や懐疑から、深刻な自己嫌悪・自信喪失・他人への総体的疑念に至るまでさまざまある。

特に動物性食品は、不安や疑いを引き起こすもので、中でも卵・家禽類・肉・塩気の利いたチーズ・大量の魚介類などがその要因となる。

塩分や塩気の強い食品のとりすぎ・パンやチップスを含む堅く焼き締めた食品・その他の極陽性な食品・加工法・調理法なども、脾臓膵臓・胃の硬化と働きすぎを引き起こす。

他方、砂糖・その他の精製甘味料・脂っぽい食品・大量の果物や果汁・精白穀物・ミルクなどの軽い乳製品・スパイス・刺激物といった極陰性食品は、胃や消化器官の酸性過多・血糖値の不均衡・こうした中枢臓器の働きすぎにつながるものである。

 

臆病・恐怖・自信や希望の喪失・偏執症などは、腎臓や膀胱機能の不均衡と関連する。

伝統的な東洋医学では、こうした臓器の健康は、自信・勇気・直感・信頼をもたらすものとされる。

腎臓は、たんぱく質をとりすぎると働きすぎてしまい、特に卵・家禽類・肉・すべての乳製品・大量の魚介類などの動物性食品は、恐怖心を引き起こす。

同時に動物性食品は、その動物が殺された際の波動を内在している。

今日の食肉処理場の大半は過密状態にあり、食肉解体作業のラインには、恐れや恐怖の感情が伴う場合が多い。

このような状況は動物体内に過剰なアドレナリン・その他のホルモンや化学物質の分泌を起こして、それを食べる人に吸収される。

塩分や塩気の強い食品のとりすぎ・パンやチップスを含む堅く焼き締めた食品・その他の極陽性な食品・加工法・調理法なども腎臓や膀胱の硬化と働きすぎを引き起こす。

周囲の人に対する不信感・自分に対する広い範囲からの陰謀といった被害妄想など、偏執症や物事にこだわりすぎる傾向には、ほぼ間違いなく、動物性食品・動物性抽出物・塩・その他の強力な収縮性を持った物質のとりすぎが関与している。

他方、砂糖・その他の精製甘味料・脂っぽい食品・大量の果物や果汁・精白穀物・ミルクなどの軽い龍製品・スパイス・刺激物といった極陰性食品は、尿の酸性過多を引き起こし、こうした臓器の過剰な膨張やはれ・腎臓細胞の精密な網状組織の脂肪や粘液による閉塞につながるものである。

 

ヒステリー・興奮・神経過敏・神経質・その他の類似症状は、潜在的な心臓や小腸の疾患によって引き起こされる。

伝統的な東洋医学では、こうした臓器の健康は、平穏で平和な心持ち・優しさ・楽しく滑稽な表現力をもたらすものとされる。

この両臓器の不均衡は、多動症・笑いすぎ・神経質・神経過敏症など、精神・感情面の過剰表現につながる可能性がある。

しゃべりすぎ・とめどないおしゃべり、といった発話に関する問題も、心臓および循環機能と関連し、心臓の働きすぎ・高血圧・心臓の雑音が見られる場合が多い。

砂糖・チョコレート・はちみつ・その他の精製甘味料、ミルク・アイスクリーム・その他の乳製品、精白穀物、熱帯性食品、ハーブ・スパイス、大量の果物や果汁、刺激物、大量の飲物や水分、その他の拡張性食品といった極陰性食品が、この症状の主要原因となっている。

特にニンニクは、心臓を過度に刺激するため、ごくまれに少量とるのが通例とされる。

 

偏見・差別・憎悪・暴力などは、現代の特徴と言える。

一般にこのような資質は、社会的・文化的問題として、肉体的・精神的・感情的な健康状態とは切り離され、別個のものと考えられている。

しかしマクロビオティックの観点からすれば、生活方法の不均衡から生じたものと考えられ、中でも食事の不均衡がその原因である。

偏見や憎悪に潜在する根本原因は、動脈の硬化であり、このため、特に自分以外の人間・性別・年齢・人種・宗教・文化に対して偏狭で抑圧的な人生観を抱くようになる。

心臓病は、発展途上国も含めて、現代社会における退行性疾患の筆頭に挙げられている。

肉・家禽類・卵・チーズ・魚介類・その他の動物性食品は、アテローム動脈硬化症・脳とその機能に通じていて栄養を供給する動脈の硬化といった症状の筆頭原因に挙げられる。

飽和脂肪酸コレステロールを多く含む食品に加えて、塩分過剰・堅く焼き締めた食品・その他の収縮性を持った食品も、この過程に関与すると見られる。

このような食品には、冷凍食品・冷たく冷やした食べ物・オーブンで焼く・グリルする・ローストするといった極陽性な方法で調理された料理が含まれる。

こうした症状は、元来、陽性な性質ではあるが、砂糖や菓子・ミルクなどの乳製品・スパイス・アルコール類といった極陰性食品のとりすぎによってさらに助長される場合が多い。

このような拡散性を持った食品は、動物性食品と合わせて摂取される場合が大半であり、堆積された陽性要因と怒り・憎悪・偏見を伴う言動や暴力の形で、爆発的無秩序に排出する引き金となる。

陽性要因は、単独では暴力を引き起こさないのが通例で、卑劣・残酷などの収縮しすぎた硬直状態につながるものであるが、貯蔵・堆積された陽性エネルギーの放出には、極陰性なエネルギーが必要となる。

ミルク・砂糖・アルコール類・薬物などが、この代謝排出を発現させる引き金となる主な食品である。

偏見や差別は、心臓および循環組織の症状に加え、他の臓器の疾患によって引き起こされる場合もある。

肝臓や胆のうの疾患は、肝臓を硬化させ、怒りや暴力を発現させる。

膵臓脾臓・胃の疾患は、低血糖症、暴力的な気分の揺れにつながる。

肺や大腸の疾患は、呼吸困難や便秘を引き起こして、身の危険や閉塞感につながる。

腎臓や膀胱の疾患は、恐怖や他人への不信感を生み出す。

私たちは、このような感覚・思考・感情を内面の葛藤に起因するものとは捉えずに、他人を含めた外部の環境に投影している。

怒り・憎悪・偏見を内面化させた陰性形態の偏見や差別もある。

暴力的な表現を外部に表出させる代わりに、感情が内面へと向かっている。

場合によっては、自己嫌悪や強い嫌悪感が生じ、最終的には自殺の傾向に至る人もいる。

また、自分を非難する人々よりも、自分のほうがスピリットが高く、忍耐強く、正しく、勝っていると思いこむこともある。

そうした人は、現世もしくは来世で究極的には自分が勝利を勝ち取り、抑圧者はその報いを受けることになる、という幻想の中に逃げ隠れする。

マクロビオティックでは、こうした症状を陰性の傲慢と呼ぶ。

これは、陽性の傲慢と対極をなして、同じように有害であるが、そのために人間性が失われる必要はない。

ガンジーやマルチン・ルーサー・キングといった平和や非暴力運動の指導者のみならず、強制収容所から生還したり、拷問や残虐行為を受けながらも生き残った人々の存在は、状況がいかに困難でも、全人類共通の人間性を是認することが可能であることを身をもって体現しているのである。』

(THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

一会員

「どんな方法で神にふれることができるのでしょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方に恋いこがれること。

そして、そのことをいつ、どこにいても頭から離さないこと--神のみが永遠の実在で、世界は一時的なものだということを。

アスワッタの樹だけはいつまでもあるが、果実は一日二日だけだもの」

 

一会員

「色情や怒りのような激しい感情を私どもは持っておりますが、これをどうしたらよろしいでしょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「そうしたら六つの情熱を、神さまの方に向けかえてやれ。

色欲は、アートマン(真我)と交わりたい欲にかえること。

神への道を邪魔するものに、怒りを向けること。

役にもたたん事物を貪る代わりに、神を手に入れようと貪欲になること。

”私のもの”、”オレのもの”と言い張りたいなら、あの御方を自分のものにすること--つまり、”私のクリシュナ、私のラーマ”という具合にね。

もし、どうしても高慢でいたいのなら、じゃ、ヴィビーシェナのまねをしたらどうだね?--私はラーマに頭を下げたのだ。この頭をほかの誰にもさげてやるものか!」

 

一会員

「あなた様はいつも、『神がすべてをなさる、あらゆることは神がさせるのだ』とおっしゃいますが、私どもは罪悪に対して何の責任もないのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「アッハッハッハッハ。ドリョーダナも同じことを言ったねーー『主、わが胸に宿りたまいて、我に命ずる如く我は為すなり』と。

ほんとうに正しい信仰を持っている人ーー神こそが行動者であって、自分は全くの受動者、命令通りに動くものにすぎない、という信念をもっている人は、いわゆる罪なことを絶対にしないよ。

踊りを正しく習って熟練した人は、間違ったステップなど踏まないものだ。

心の奥まで清浄(きれい)にならないうちは、神が存在することさえ信じられないんだよ!」

タクルは礼拝堂に集まっている人たちを眺めながら、こうおっしゃった。

「時どき、こんなふうに皆で集まって神のことを考えたり、称名したり、讃歌をうたったりすることは、大そういいことだ。

だが、世間の人が神に心を向ける時間はホンの少しだーー焼けた鉄に水をふりかけるとジューッといって蒸発する。

その時間くらいなものさ!」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

さて、物質自然(プラクリティ)と霊魂(プルシャ)は

ともに無始であり

変化作用(ヴィカーラー)と三性質(トリグナ)は

ともに物質自然(プラクリティ)に属している

 

プラクリティはあらゆる物質現象の

原因と結果の根源であり

プルシャは物質界の多種多様な

苦楽を経験する原因(主体)である

(バガヴァッド・ギーター第13章20ー21)

 

 

 

 

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「食物についての識別」について(1)

以前の記事「最高の愛(バクティ・ヨーガ)- 準備のための予備訓練(1)」の中で、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの遺されたお言葉”「食べ物についての識別」が非常に大切である”ということをご紹介しましたが、

この「食べ物についての識別」とは、具体的にどのようなものか?については、ほとんど詳しい解説は遺されていなかったため、そのままになってしまいましたが、

日常生活で実践するためには、更に詳しい説明が必要かと思われます。

 

これからご紹介いたします文は、ヴェーダンタ関連の本からではなく、日本人によって書かれたマクロビオティックの食事療法について書かれた本からの抜粋です。

 

食物の持つエネルギーやチャクラへの影響などについても書かれていますので、スワミ・ヴィヴェーカーナンダのお言葉が、より具体的に理解できるようになり、実践に活かすことができると思いますので、ご紹介させて頂きます。

 

私たちの、感情や思考傾向、性格、性癖などは、食物から多大な影響を受けているということが、詳しく解説されていますので、このことを知るだけでも「食物についての識別」においては、非常に役に立つと思います。

 

 

『私たちは、周囲の環境と調和しない生活を送ると、不均衡が生じて、次第に不調や疾患を引き起こすようになる。

第1段階は心身両面の全身疲労状態であり、倦怠・不平・明晰な思考や行為が次第になくなる・頻繁な心変わりといった症状がはっきりと現れる。

次の段階は、肉体なうずきや痛み・悲しい気分・次第に自信を失う・物忘れ・あいまいな記憶・頑固・重要でないささいなことにとらわれるといった症状である。

続く段階では、血液の質の弱体化が見られるようになる。

赤血球細胞・白血球細胞・血漿が弱まるに従って、酸性症・高血圧・低血圧・貧血・そのほかに皮膚疾患などの症状が現れる。

いらいら・過敏症・恐怖、短気・落ち込み・臆病・人生の全般的な方向喪失なども付随して見られる。

 

食事や生活様式の修正がなされず、血液の質の劣化が継続されると、怒り・せっかち・失望・過度の興奮・疑念と懐疑・引きこもり・疑念的で妄想的な信念や思考といった慢性的な感情の不均衡が起きてくる。

 

次の段階は臓器の疾患で、内臓や腺に構造的変化・機能不全・衰退が見られるようになる。

肉体的には、心臓病・がん・多発性硬化症などの退行性疾患として現れる。

精神的には、慢性的な頑固・偏見・狭量・偏狭な人生観・日常生活継続の支障として現れる。

潜在的な劣等感や優越感といった固定観念が、自己中心的考え方としてはっきりと現れるようになる。

 

退行的傾向が継続すると、次の段階として、多様な神経疾患が引き起こされる。

肉体的には、一貫性の欠如・部分的もしくは全般的まひ・その他の筋肉および骨格に見られる症状として現れる。

精神的には、否定的人生観を抱くようになり、しばしば自尊心の喪失・混沌とした言動・統合失調症・偏執症・自暴自棄や破壊的傾向が現れるようになる。

 

ついに最終段階として、利己的・自己中心・うぬぼれ・自尊心・独占的・自己正当化などを含む傲慢さが出現する。

この段階に至ると、全世界が自分に敵対するように思われ、自らの病気や困難は、自分の食事や生活様式とはまったく無関係なものと見なし、他人を操作・強制するような行動に出るか、すべてを諦めて内面世界の空想・幻想に引きこもるようになる。

 

脳は、その構造および機能において腸と関連性がある。

どちらの臓器も細く締まった長い管に多くのらせん状の回旋を伴い、腸は肉体的食べ物を処理する一方、脳は振動や波動の形で精神的食べ物を処理している。

腸に起きた問題は、正常な意識に反映されることが多い。

例えば、便秘は思考を防げ、物事の完結を困難にする。

下痢の場合は、しゃべりすぎ・とめどない発話といった言語的排出作用が、その症状に先立つか付随して見られる。

 

エネルギー中枢のチャクラも、意識および精神的・心理的過程に寄与している。

頭頂にあるクラウンチャクラは、普遍的意識をつかさどっている。

第3の眼とも呼ばれる中脳のチャクラは、直感および精神的過程の全般を統括する。

喉のチャクラは発話や表現を支配し、心臓のチャクラは感情的成長や愛情を含む総体的運命を支配している。

みぞおちにある太陽神経叢のチャクラは、肝臓・脾臓・腎臓など中間部の臓器に分岐して、知性・勇気・思いやり・忍耐などの資質をつかさどっている。

腹部にある腸のチャクラは、全般的な社会的成長を支配する。

生殖器のチャクラは、感情やスピリットを含めたあらゆるレベルの再生をつかさどっている。

 

砂糖などの極陰性食品は、精神および感情の障害を引き起こしている主要原因のひとつである。

明晰な判断力は、砂糖・チョコレート・はちみつ・その他の精製甘味料に影響される。

腸内細菌は、脳に供給されるビタミンB群の合成に関与し、グルタミン酸の形態で神経および高度な意識中枢に刺激を与えている。

単糖類はこの過程を阻害するもので、脳の細胞や組織を拡張させる結果、焦点がぼやけて、集中力や明晰な思考が失われる。

血糖値の不均衡は、幼年期から見られる場合が多く、やがて落ち込みや悲観につながる。

 

強力な収縮作用を持つ食品も、同様に感情の問題を引き起こし、特に執着心・所有欲・罪悪感を抱くようになる。

人生は、いつも順風満帆とは限らず、誰でも何らかの苦渋・苦難・不幸を経験するものである。

こうした否定的経験をうまく切り抜けられる人がいる一方で、いつまでも過去の記憶に執着してとらわれ、ことあるごとにすでに起きた出来事の追体験を繰り返す人もいる。

こうした状況は、主にパンや堅く焼き締めた小麦粉製品のとりすぎによって、脳・神経・チャクラの硬化・収縮が引き起こされ、過去の記憶が手放せなくなったものである。

肉・卵・家禽類・魚介類などの動物性食品や塩分のとりすぎも、同様に感情を内にこもらせて、解放できなくさせる。

 

しゃべりすぎや粗暴で落ち着きのない行動は、主にニンニクによるものである。

生のタマニギや長ネギ・大量のショウガ・その他のハーブやスパイスも、同様の多動症を引き起こす可能性がある。

 

極東において、怒りを表す漢字「癇癪(かんしゃく)」は、肝臓疾患を意味している。

短気・怒り・かんしゃく・攻撃的行為は、肝臓や胆のうが余剰の代謝エネルギーを混沌とした乱暴な方法で排出させて、働きすぎたり、閉塞した結果であることが多い。

対照的に、健全な肝臓や胆のうは、平穏・忍耐・粘り強さなどの落ち着いた資質と関連している。

特に動物性食品は、怒りやかんしゃくを引き起こすもので、中でも肉・家禽類・卵・チーズ・大量の魚介類などがその要因となる。

塩分や塩気の強い食品のとりすぎ・その他の極陽性な食品・加工法・調理法なども肝臓の硬化と働きすぎを引き起こす。

他方、砂糖・その他の精製甘味料・脂っぽい食品・大量の果物や果汁・精白穀物・ミルクなどの軽い乳製品・スパイス・刺激物といった極陰性食品は、肝臓の閉塞につながるか、陽性エネルギーを肝臓や胆のうに集積させて、まるで火山噴火のごとく、急速かつ無秩序に排出させるものである。』

(THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

次回も、この続きをご紹介したいと思います。

 

 

『マニラルプールの信者たちは、「どのような方法で至聖(かみ)にふれることができるか、何とぞお教え下さい」と申し上げた。

 

聖ラーマクリシュナ

「すこしはお祈りや讃神歌をうたったりしなければね。

”牛乳の中にバターがある”と、ただこう言っているだけではダメだ。

凝乳にしてかきまぜていると、はじめてバターがとれるようになる。

だから時々、静かな処に独りで居ることが必要なのだ。

三日かそこらでも静かな処で独りで瞑想して、信仰をつかんでからそれから後なら、どこへなと住んでもいい。

靴をきっちり履いてからなら、いばらの茂みもやすやすと歩いて行けるからね。

一番だいじなのは信念だ。

ほしいと思うものが得られる根本は信念だよ。

信念が出来上がったら、もう何も恐れるものはない」

 

マニラルプールの信者

「はい。--ときに、グルはどうしても必要でございましょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「大部分の人には必要だね。

そして、グルの言葉を信じなくてはいけない。

グルを神様だと思って見ていれば、それが出来るはずだよ。

だからヴィシュヌ派の信者たちは、グルとクリシュナとヴィシュヌは一体なり、と言っている。

あの御方の名をいつも念じていることが大切だ。

現代のような末世には、称名が最高の力だ。

物質に頼っている時代だから、昔のようなヨーガは出来ないんだよ。

あの御方の名を称えて手を拍てば、罪の鳥は飛んでいってしまうよ。

それから、誠実でまじめな人たちといつも交際していること。

ガンジス河のそばに近づくほど涼しい風が当たるようになる。

火のそばに近づくほど熱くなるだろう。

のんびりやってちゃダメだ。

世間の楽しみにうつつを抜かしている連中は、『いずれ、そのうちに神様にもお目にかかるとしよう』といった調子だがね。

わたしはケーシャブ・センに言ったよーー『息子が待ちかねてじりじりしていれば、親は予定していた三年前でも財産を分けてくれる』とね。

母親が料理している間、赤ん坊を寝かせておシャブリをくわえさせておく。

赤ん坊がおシャブリを落として泣き叫ぶと、鍋を下ろして抱きかかえて乳を飲ませてやる。

こんな話もケーシャブに聞かせてやった。

末世時代(カリユガ=物質万能主義の時代)だから、一日一夜も泣いて祈れば神様にお会いできる。

自信を持ってこう言え--『あんたが私を創ったのだから、会ってくれるべきだ!』と。

この世にいようがどこにいようが、神様は人の気持ちをちゃんと見ていらっしゃる。

この世のものに執着している心は湿ったマッチ棒みたいなもので、いくら擦っても火が付かん。

エクロビヤという人は、土で自分の師匠のドローナの像を作って、その前で弓の練習をしたそうだ。

前進しろ。

木こりは先へ先へと進んで白檀の木を見つけ、銀の山を見つけて、金の山を見つけて、まだ先へ進んでダイヤの山を見つけた。

無智な人は土壁で囲った部屋の中に住んでいるようなものだよ。

なかにも光はないし外のものも見えない。

智慧を獲て、それからこの世で暮らしている人は、ガラス張りの部屋にいるようなものだ。

内部のものも見えるし外部のものも見える。』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

かれは光るものの光の源泉であり

物質性(グナ)の明暗を超えて光輝いている

かれは知識であり 知識の対象であり

知識の目的であってーー全個々(すべて)の心臓(フリディ)に住む

 

用地(肉体)と 知識と知識の対象について

わたしは簡単に説明した

いま話したことを理解するわたしの信者だけが

わたしの浄土に来ることができよう

(バガヴァッド・ギーター第13章18ー19)

 

 

 

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